第5話

 雨音に混じって、遠くでうなるような雷鳴が響いた。

 空路塔の従業員控室(もといユピナの居室)に招かれたセイルは、複数人がけのテーブルにユピナと向かい合って座り、俺は少し離れた壁際にもたれ掛かった。


「ひ、久し振りだねユピナ。元気にしてたかい?」

 

 緊張をにじませながらも努めて穏やかな口調で口火を切るセイル。

 それに対してユピナの表情は氷のように固く冷たかった。


「心配したんだ。君が突然いなくなるから。もちろんご家族だって心配している。学院の皆だって」

「……そう」

 

 消え入りそうな声で他人事のように相槌を打つ彼女は、息をするだけでも苦しそうだった。


「どうして家出をして、一人でこんな所まで? 理由を聞かせて欲しいんだ」

「……嫌。セイルには、話したくない」

「ど、どうしてだい?」

 

 焦燥と困惑を隠そうともせずに追及するセイル。ユピナの表情はどんどん険しくなっていく。恐らく、こいつは意図せずしてユピナの地雷を順調に踏んでいっている。

 ここは少し助け船を出してやるべきか。


「おい、あんた」

 

 そう言って俺は二人の会話(というほど成立してはいないやり取り)に割り込んだ。


「そう一気にまくしたてるもんじゃない。こいつだって遊びでこんなことやってる訳でもないんだろうから」

「そ、そうですよね……」

 

 いくらか冷静になってくれたようで、前のめりにしていた体を重たそうに背もたれに寄り掛からせるセイル。


「まずはあんたの話から聞かせてくれ。どうしてここが分かったんだ?」

「それは……以前、ユピナがよく『島の外れに行ってみたい』と言っていたんです。だからユピナがいなくなった時、きっと浮遊島の外縁部へ向かったのだと思いました」

「ふむ」

「俺たちの故郷から一番近い外縁部の地域はこの辺りです。そこであっちの街まで飛んで行って、ユピナという少女が訪れていないか聞き回りました」

 

 そう言ってセイルは西の方角――俺が住んでいる村の近隣にある港町の位置する方だ――を指した。


「そして程なくして、ユピナという灰色の髪の少女がこの空路塔で働き始めたという話を聞いて……」

「なるほど」

「一人で来たのか?」

「はい」

「この二、三日かけてか」

「ええ」

 

 こいつもまた大した行動力だ。翼を持っている人間というのは大概にしてアクティブなものなのだろうか。あるいは、それほどにユピナのことを想っているということなのか?

 

「……お節介なのは承知の上でもう少し喋らせてもらうぞ。ユピナ、あんたはどうしたい? こいつと一緒に故郷に帰るって言うなら、俺がここの後始末をつけておいてやる」

 

 するとユピナは弾かれたように顔を上げ、こちらを見た。


「っ……そんな……」

 

 唇をきゅっと結び、見開かれた瞳は悲しげに揺れている。

 ユピナは、「そんなことを言わないでください」と言おうとしたのかも知れない。ただの自惚れかも知れないが。しかしユピナが帰りたくないと思っていることははっきりと伝わった。

 それがセイルにも伝わればいいのだが、俺の口から言うのは何か違う。俺はあえてユピナ自身の言葉を促すことにした。


「どうなんだ。イエスか、ノーか。はっきり答えろ」

「……分かってください」

「俺だけじゃない。セイルにも、きちんと思いを伝えるんだ。お前自身の言葉でな」

 

 厳しく突き放され、ユピナはわがままを退けられた子供のように泣きそうな目をした。が、腹の底から湧き上がる激情をぐっと堪えるようにしてうつむき、やがて俺の目をまっすぐに見つめて言った。


「もしケンリヒさんが、これ以上私をここに置いておくのが迷惑だと言うのなら、私は帰ります」

「なっ……!」

 

 思いもよらない言葉に俺は息を飲んだ。

 こいつ、この期に及んで俺を試しに来やがった。

 幼稚で、主体性がなく、甘ったれた台詞だ。「ああ、迷惑だ」と冷たくあしらってやれば、こいつも少しは頭を冷やすだろう。

 

 ――だが、それを俺に言わせるのか。

 俺が初めから無理にユピナを帰さずに仕事と寝床を用意してあげたのも、俺が彼女の存在にすがろうとしていたからではないのか。己の孤独と自尊心を埋めるために彼女を匿ったことを、俺は初めからきちんと自覚していた。

 俺には、「これ以上居られても迷惑だ。この男と一緒に大人しく故郷に帰れ」と言うことはできない。いま口を開けば「そんなことはない」という言葉が滑り出してしまう。そうなれば、ユピナは確実に俺に依存し、俺の存在を盾にセイルを追い返してしまうだろう。

 それで良いのだろうか。

 いや、それは何に対する疑問だ? 彼女の未来を想ってか? ここにきて倫理的な問題意識が芽生えたか? それも、少し違う気がする。

 

 ……ああ、そうか分かった。

 ――俺なんかの存在が、彼女の元の生活に戻る機会を奪う要素になってはいけないのだ――。

 壁に寄り掛かって立ったまま、石に変えられてしまったかのように沈黙する。ユピナも、セイルもまた沈黙を貫き、俺の返事を待っていた。

 空回りしそうになる舌を一度湿らせる。最適解を求めて全身の血液が頭に集中した。


「……俺のことは、どうでもいいだろう」

 

 どうにか絞り出した言葉に、あくまで淡々と内容を付け加えていく。


「あんたがまだここに居たけりゃ別に置いといてやるし、帰るならそれで構わない。俺にはどちらがあんたにとって最適な選択なのかわ分からん。だから俺の意志でどうこう決めようとはするな」

「っ……」


 ユピナは静かに俺の言葉を聞いていた。だが間をおいて、内側から処理できない感情があふれ出してくるように、その綺麗な眉間にしわを寄せた。


「私のことは、何とも思っていない。どうでもいいって思っているってことですか……?」

 

 その声はか細く震えていた。そのときセイルの眉が微かに動くのが見えた。


「そんな誤解を生むような言い回しは止めろ。セイルはあんたを想ってここまで――」

「違う!」

 

 悲痛な裂帛れっぱくが部屋の冷えた空気をびりびりと震わせ、暖炉の炎をなびかせた。


「セイルはそんな風に想ってなんかいない! 皆そうなんだから! セイルは嘘吐き、偽善者! 何で今更そんな思わせ振りなことをするのっ? もう帰って。お願いだから……」

 

 堰を切ったように胸の内を吐露して、ユピナは両手で顔を覆い隠してしまった。すすり泣く声と共に、嗚咽が小刻みに肩を揺らした。

 俺が困惑と共にセイルに視線を遣ると、彼はその意味を正確に察してくれたらしく、悲壮な目をして席を立った。


「馬鹿だな俺は。分かっていたことじゃないか……」

 

 そう独り言ちて、セイルはレインコートとゴーグルを引っ掴み、「雨、止んできたみたいですね。塔の上に出ることって出来ますか?」と尋ねた。

 それに対して、俺は「ああ」首肯した。

 

「聞かせてくれ。あいつのことを」

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