第3話
「着きました」
「ああ」
俺たちは空路塔のてっぺんに出た。
そこには視界を遮るものがほとんどなく、平らで広い石畳のホームになっていた。中央には丸い金属球が付いたオブジェクトがあり、それは本来空路を示す魔術レーザーを射出するための装置なのだが、現在稼働していないのは言うまでもない。
上にも下にも空が見える。不思議だが、そういう言い回しでしかこの景色を客観的に説明できない。
「あ……」
ふと、上空を、二人分の白い翼が軌跡を描いて飛んで行った。
「し、島の外まで飛んで行きましたよ、あの人たち」
隣でユピナが「ほう……っ」と息を飲みながら言った。
「翼があっても、下に何もない所を飛ぶのは怖いのか?」
俺は素朴な疑問を投げかけた。
「それはもちろん。飛んでいる高さがまるで違いますし、万が一落ちたら死体も残らないんですから」
「もはや死ぬと言うより消えると言うべきだな」
「ええ。それにやっぱり、土の上を飛ぶって、それだけで安心感があるんです。まあ墜落したら最悪死ぬんですけど、なんて言ったらいいか……」
上手く言葉にできずにあたふたするユピナに苦笑しつつ、俺は「言わんとしていることは分かる」という意味合いを込めて二度頷いてみせた。
「しかし、ああやって飛べたらきっと楽しいんだろうな……」
話題を変えるため何の気なしにそう言ったものの、あまりよい話題選びではなかった気がして口をつぐむ。
「……ああ、今のは忘れてくれ」
「気にすることないですよ」
表情の変化に乏しいユピナが、少しだけ笑った。
「ケンリヒさんには、いろいろ助けてもらいましたから。私でよければ、お話を聞くことくらいはできますよ?」
「あんたみたいなガキに愚痴れって言うのか? 勘弁してくれ」
大げさに肩をすくめ、鼻で息をする。
「ガキでは、ありません」
あくまで凪いだ水面のような表情で、不満げな色を声ににじませるユピナ。
「めんどくせえ。じゃあお嬢さんでいいか?」
「……」
おちょくられていることは分かっているのだろうが、上品な言い回しに変えたことで一応の納得はしてくれたのか、ユピナは小さなため息を吐いた。
「それで、『お嬢さん』にお悩み相談でもいかがですか?」
「自分でお嬢さんとは言わないだろう」
ポリポリと頭を掻き、俺は彼方で若いツバメのように大空を飛び回っている二人の有翼の女たちに気怠い視線を遣った。
「悩みとか葛藤とか、そういうのはとっくに飲み下したつもりだから、話すべきことなんてマジでないんだがな……」
そう前置きをして、ユピナに一瞥を投げる。
「ただ退屈はしているし、この生活は不便だと思う。翼がなきゃ空路塔も使えないし、人権すら認められないなんて目にも、往々にして遭う」
「……」
ユピナは、何も言わずコクリと頷いた。
「だが、それだけだ。そういう事実が、現状が、経験が、いま目の前に横たわっている。それ以上でも、それ以下でもない。『そういうものだ』と、俺が認知している。そこに挟むべき感情は、もうない」
「っ……」
「これで満足か?」
努めて穏やかな口調で、俺は話をしめた。
「そういうものでしょうか」
ユピナの瞳には、困惑や不安が入り混じったような濁りがあった。自分の体を抱きしめ、何か感情の整理をつけようとしているようにも見えた。
「私も、そのくらい割り切れるようになれば楽なんでしょうか……?」
「すぐにどうにか出来るようなものじゃない。時間をかけて折り合いを付けていくしかないのさ」
しゅんとするユピナの頭の上に、俺はおもむろに手を置いた。
「っ……!」
ユピナが少し驚いてこちらを見上げたが、構わずわしゃわしゃと頭を撫で回す。指の間に絡まる艶やかな髪の感触に、僅かに胸の高鳴りを覚えた。
「あ、ちょっ……、もう、何ですか」
困ったような、それでいてくすぐったそうな顔をして、ユピナは片目を閉じて体をよじった。その反応が可愛らしくて、しばらくこうしていたい気持ちになった。
「……っ」
が、そんな馴れ馴れしいスキンシップは柄でもないし、本気で嫌がられても堪らない。ふすぅと深く息を吐いてから、名残惜しくも右手を引っ込める。
ユピナはまたこちらを向き、今度はいくぶん柔らかな表情を浮かべていた。笑っている、のだろうか。
「あ、ありがとうございます」
どもりながらも健気に礼を言うユピナ。その言動から、彼女の中の不安や悩みを少しでも和らげることができたのだと伝わった。
「ああいや、こちらこそ」
「?」
なぜ俺が礼を言うのか理解できずに首を傾げるユピナ。
「気にするな。至って個人的な話だ」
そう誤魔化してユピナから視線を外す。
本当に、個人的なこと。口にするのも小っ恥ずかしい話だ。こうしてユピナと話ができて、彼女のことを助けてあげられる、それだけのことが自分にとっては嬉しいのだと言ったら、ユピナはどんな顔をするだろうか。
こいつは不器用で繊細なのかも知れないが、優しい子だ。
俺のような羽を持たない人間を前にしても変な目で見ることなく、言動は素直で、立ち振る舞いは謙虚かつ奥ゆかしい。少し変な奴だが、淑女たるものかく在れかしと言わんばかりの女だと、俺は思う。
だからだろうか、嫌味なくらいに広く青い空を見上げて、「こんな日々がこれからも続けばいいのに」なんて考えが頭上をよぎって行ったのだった。
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