第2話

 俺の家は浮遊島の外縁付近に位置するとある村、その外れに建っている。

 木造平屋の質素な家屋だ。平地のただ中にあるそれは、内地にそびえる山々を背にし、空から直接吹き付ける風でいつも軋んでいるようなあばら家だ。


「ほら」

「お、おじゃまします」

 

 俺はひとまずユピナをダイニングテーブルに座らせ、適当にお茶を出しておく。

 

「あ、どうも」

 

 ユピナが小さくお礼を言ってコップを傾ける。その間に俺はマスタードを塗ったパンで燻製肉と葉物を挟み、サンドイッチをこしらえた。

 

「簡単なものしかないが」

「いえ、いただきます」

 

 ユピナは神妙な顔つきでサンドイッチに手を伸ばし、それを頬張った後で少しだけ表情を弛緩させた。感情の読みにくい奴だが、どうやらお気に召したらしい。


「で、あんたこれからどうするつもりだ?」

 

 一足先にサンドイッチを平らげたところで、俺は本題を切り出した。

 ユピナは両手で包み込むようにして持っていたサンドイッチを皿の上に下ろし、視線を落とした。


「家には帰りたくないって言ったら、笑いますか? それ以外は何も決まっていないんです」

「馬鹿だとは思うよ」

「私もお兄さんと同じ仕事できないでしょうか」

「間に合っている。あと言っておくが、あんたを養う余裕はないからな」

「そこまで甘ったれては、いないつもりです」

 

 ユピナは力なく苦笑した。

 それでいい。期待する分には仕方がないが、本気にされるのは困るし、そんな甘い思考回路ではこのさき生きていけないだろう。まあ、何だかんだで広いこの浮遊島の内地から、こんな辺境まで一人でやって来た行動力と精神力だけは褒めてやってもいい。


「あっ、でもそうだな……」

 

 ひとつ良いことを思い出した。


「家の近く、俺の仕事の巡回経路の途中に、今は使われなくなった『空路塔』がある。あれの清掃をやってくれる人間を探しているって、前に上司がぼやいていた。お前がその空路塔で働けるように頼んでやろうか? あそこなら住み込みで働くこともできるはずだ」

「ほ、本当ですかっ」

 

 ユピナが弾かれたように席から立ち上がる。表情は固いのに瞳だけは大きくなる、猫みたいな奴だ。そのアッシュブロンドの上から猫耳が立って見えるようだ。


「ま、これも何かの縁〈えん〉というやつだ。浮遊島の縁〈ふち〉だけにな」

「……?」

 

 地味に温めておいた渾身のジョークは、しかしユピナには通じなかった。急に自分がすごく悲しい奴に思えてきた。


「ちっ、で、どうなんだ。やるのか、やらないのか」

「それは、もちろん! ……いや、でも」

 

 二つ返事で承諾するかに見えたユピナだったが、突然表情を曇らせた。


「何か気になることでもあるのか?」

「いえ、ただ……『子供は大人しく家に帰れ』とか、『家族や友達が心配しているぞ』とか、そういうことを言わないんですね……」

「言って欲しかったのか?」

 

 ユピナは首を横に振った。

 はあ……、何なんだろうな、この遣る瀬無い気分は。呆れてもいるし、うっとうしくも感じる。それでいて、こちらまで虚しくなるのは何故だろう。


「確かにそういう言葉をかけてやれない俺は、良識ある大人としては失格なんだろうな」

 

 そう言って、お茶を一口すする。


「だがな、この世には正論や一般論じゃ救われない人間ってのがいる。そういう連中にとって最も慰めになるのは、そいつの主体性や自由意志を認めて後押しする言葉だ」

「それは……つまり」

「お前が元居た環境から逃げ出して、逃げ延びたいって言うんなら、俺の生活が脅かされない範囲で手助けしてやってもいい。そういう意味だ」

「……っ」


 ユピナが息を飲んで目に涙を溜めるのが見て取れた。


「それに、もし帰りたくなったらいつでもそうすればいい。あんたには翼があるんだ。空路塔を辿って飛んで行けば、どんなに遠くても一日かければ着くだろう」

 

 最後は少し自虐的になってしまったが、事実だ。ユピナには翼があり、どこへでも行ける自由がある。この土地に居ついたからといって二度と戻れないわけじゃない。


「使えるものは何でも使え。縁でも、翼でも、若さでも何でも」

「……はいっ」

 

 ユピナは何度も何度も頷いた。

 俺も馬鹿だな。所詮は自己満足なのだ。人を助けていい気分になって、ついでに退屈しのぎになるだろうなんて打算で彼女の存在を認め、助けてやることにしただけだ。

 でも、まあこういうのもいいだろう。


「よろしくな、ユピナ」



* * *



 それから三日後。

 俺は草原を横切る黄土色の道を歩き、雲の上に浮かぶこの島の縁っこも縁っこ、雲海を臨む灯台のごとき石造りの塔へとやって来た。

 塔の内部に通じる観音開きの扉を叩く。しばらくすると中から扉が開き、すっかり見知ったアッシュブロンドの娘が出てきた。


「あ、おはようございます。ケンリヒさん」

「おう、おはよう」

 

 (相変わらず表情は固いが)礼儀正しくあいさつをするユピナに応える。

 こいつには約束通り、この空路塔での住み込みの仕事を与えた。

 「空路塔」とは要するに、翼を持つこの島の人間にとっての駅のようなものだ。浮遊島の至る所に同じような塔が建てられ、各空路塔は魔術装置によるレーザーで結ばれている。そのレーザーが示す空路に沿って人々は翼を広げて飛び回り、移動し、物を運ぶ。それがこの世界の交通事情だ。

 ユピナの仕事は、現在使われなくなった空路塔を綺麗に保ち、壊れた箇所がないか点検することだ。下手すれば俺の見回りの仕事よりも無意味に見えるが、この空路塔の管理者はまだ何かしらの使い道を見出しているらしい。


「仕事には慣れたか?」

「はい。お陰様で」

 

 ふん、少しは気の利いた言葉を使えるじゃないか。


「一応あんたの様子を見ておくよう上司に頼まれている。いま大丈夫か?」

「はい」

 

 ユピナは快く空路塔の中に入れてくれた。

 塔の内側は太い柱に沿った螺旋階段になっている。所々に採光のための窓があるが、それでも中は薄暗く、まるで石段の一つ一つが冷気を放っているようにひんやりと涼しい。

 しばらく上っていくと、開けた屋内空間にたどり着いた。塔の頂上手前に位置する、空路塔の職員のための部屋だ。

 そこにはベッドと机、その他寝泊まりに最低限必要なものが揃っていた。ユピナもまだ就任三日目だから生活感はないものの、こうして見てみると空路塔での生活も面白そうだと、胸をくすぐるものがあった。

 とは言え、仮にも女の子の部屋を本人の目の前でまじまじと観察するほど、俺も野暮ではない。

 ひとまず仕事として来ているということで、いくつか質問をする。


「ちゃんと眠れているか?」

「大丈夫です」

「飢え死にの心配はないか?」

「はい……一応」

 

 ここに来たとき、すでにユピナの財布は底を突きかけていた。しかし身元の知れない少女に仕事をやるだけでも上司には無理を聞いてもらった手前、給料を前借りする訳にもいかなかった。

 そこで当面は俺の食料を分けてやることにしたのだが、こっちだって決していい暮らしをしているわけではない。せいぜい死なない程度の食料しか分けてやれないし、食料を譲るだけでもユピナには散々遠慮された。


「他に何か困ったことは? 仕事でも、生活のことでもいい」

「いえ、ありがとうございます」

「ならいい」

 

 事務的な問答を終えて、俺はふと天井を見遣る。少し遊んでいきたくなった。


「上に行ってもいいか?」

「はい。私もご一緒します」

 

 そう言ってユピナは先頭に立って上に続く階段へ向かった。


「『ご一緒します』……ねえ」

 

 自分でも腑抜けた感慨とは分かっているが、それで少し愉快な気分になってしまった。孤独に慣れ親しめば、もっと他人との馴れ合いに拒絶を示すものだと思っていたのだが。

 相手がうら若い少女だからだろうか。それもあるだろうな、それなりに美人な方だし。だが、同じ顔をした女が少しでも違う経緯と理由でここにいたとしたら、きっと俺はこいつを受け入れたりはしないだろう。

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