第7話
「斉藤先生、ちょっとよろしいですかね?」
サチを飼い始めてから一週間が経過した。友人が死のうとも、その友人が飼っていたものを引き取ろうとも、生活は続く、金を稼がなければならない、働かなければならない。だから今日も私は中学校の職員室にいた。そして教頭先生が声をかけてきた。
「どうしたんですか?」と訊ねると、ただでさえ声の小さい教頭先生はさらに声を潜めて、「斉藤先生の受け持ちのクラスの湯川春斗くんのことでして」と言った。
私にはそれだけで、教頭先生がなぜ私に声をかけたのかがわかった。
「あー、湯川春斗の不登校の件ですか?」
教頭先生は小刻みにこくこくと頷く。
「そうです、湯川春斗くんにせめて保健室登校をさせてもらいたいんです」
「させてもらいたいといっても、私も何度か湯川春斗の家に電話をかけて交渉を試みたんですけどね、湯川春斗本人どころか親まで取り合おうとしなくて」
「直接ご自宅を訪問したことは?」
「それはまだしてないですけど――」
あぁ、なるほど、教頭先生の言いたいことが見えてきたぞ。
つまり電話ではなく、直接自宅に押し掛けて説得しろと命じたいのだ。
「わかりました、それでは今日にでも湯川春斗の自宅に行ってみます」
「そうしてくれると助かります」
教頭先生はそれだけ言うと、そそくさと去っていった。
私は今日も今日とて溜息をつく。正直なことを言えば湯川春斗の自宅に押し掛けるのは気が重い。
別にそこまで面倒臭いわけではないし、教師としての情熱というものは乏しいが、自分の受け持っているクラスの生徒のことが気にならないわけでもない。ただ、何度か電話したときに、本当につっけんどんな扱いを受けたのだ。
かけた回数は三回。うちの二回は母親が出て、一回は本人が出た。
本人が出たときはすぐに電話を切られたし、母親が出たときは「うちの子は大丈夫ですから」の一点張りだった。現に不登校なわけだから何も大丈夫ではないのだが、やはりすぐに切れるし、再びかけても出ようとしないのでどうしようもない。
こんな対応は電話口でされても気が滅入るのに、面と向かってやられたらどんな想いをするか。
そんなことを考えると、溜息が出るほど憂鬱な気持ちにならざるを得なかった。
仕方がない、こういうのも仕事だ。形だけでもやらないと。
朝のチャイムが鳴る数分前に職員室を出、今日もホームルームのために教室に向かう。
湯川春斗が不登校になったのは中学一年生の夏休み明けからだ。
原因不明。湯川春斗本人に訊いても、答えようとはしなかった。
当時の担任の教師も何度か湯川宅に訪問したそうだが、にべもなく追い返されたらしい。
そしてずるずる一年生の間、まったく学校に来ず、二学期分の授業を受けずに二年生に進級した湯川春斗は、私の受け持つクラスに配属されたわけだ。
湯川春斗は二年生になってからも一度も登校していない。だから私が訪問しに行く破目になるのだが。
一年生のときの担任に聞くと、湯川春斗は典型的ないわゆる内気な大人しい生徒というやつで、休み時間は本を読むわけでもなく、イヤホンで音楽を聴くわけでもなく、ましてや同級生と仲良く談笑するわけでもなく、ただ自分の席に座ってぼーっとしていたという。
いじめはなかったとのことだったが、これは教師の主観もあるし隠蔽している可能性もあるから判断しかねる。ただ、湯川春斗の不登校の理由が謎であることは事実だった。
クラスメイトにも訊いて回ったが、何か知っている生徒はいなかった。
というか、湯川春斗の友達を名乗る生徒自体が誰一人もいなかった。
湯川春斗という生徒の人物像も思考も、私には何もわからないままなのだった。
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