第6話
沼崎雅裕が死んだ。
死因は突発的な心臓発作。一人暮らしの自宅で倒れ、そこを管理している大家に発見されたときにはすでに意識不明の重体だったらしい。
まだ息がある状態で救急車に乗せられ、病院に運ばれたが、あえなく死亡。沼崎の両親が病院に駆けつけ、息子の遺体を確認し、泣き崩れている最中に、空気も読まずに私が電話をかけてきた。そういうわけだった。
ようやくそのことを知った私も、その病院に駆けつけた。
看護師に案内されて霊安室のような部屋に連れていかれた。そこに沼崎の遺体があった。
沼崎は冷え切った土色の肌で、でも眠っているような安らかな死に顔だった。
今にも血色を取り戻して起き上がってきそうな、生き返りそうな、そんな――。
私は――私は呆然としていた。悲しいとか寂しいとかではなくて、ただ呆然としていた。
脳裏は真っ白で、何も考えられず、眼球は実感もなく、からからに乾いていた。
翌日、さっそく沼崎の通夜が行われた。私はもちろん参列した。
あいつには迷惑をかけられていたが、曲がりになりにも友達だったのだという想いがあった。ここでもまだ頭は呆然としているだけで、悲しいという感情の実感がなかった。
僧侶のお経を正座で聞き、線香と焼香を上げ、棺桶の中の沼崎の死に顔を拝む。
そのときにふと、本当に何の前触れもなくふと、目から涙が零れた。
悲しいと思った。こいつは死んだのだという実感が湧いてきて、悲しいと思った。
思えば、なんだかんだで沼崎との付き合いは小学生からだ。小学生の頃からずっと友人でいた存在なんて、沼崎以外にはいなかった。
沼崎は昔から面倒臭いやつで、迷惑なやつで、切れるなら切りたい腐れた縁故だって自分は常々前から思っていたが、そう思って笑っていたが、これもなんだかんだで、私はこいつを友人として、じつはとても大切に想っていたということか? いつの間にか涙が止まらなくなっているのは、そういうことだろうか?
私は最終的に、転んで怪我をしたガキのような、ぐちゃぐちゃの汚い泣き顔で通夜を終えた。
さらにその翌日には葬儀が執り行われて、沼崎の遺体は火葬場で焼かれた。
私は相変わらず悲しかったが、その日は泣かずに火葬場の煙突から流れる煙を見送った。
沼崎の葬儀が終わった後、沼崎の両親から「話がある」と沼崎の実家に呼び出された。
「斉藤くん、単刀直入で申し訳ないが、雅裕が飼っていたネコミミをもらってくれないか?」
沼崎の父親がそう頭を下げてきた。
「沼崎の飼っていたネコミミって――あのサチっていう?」
「そうだ。そのサチというネコミミを斉藤くんに飼ってもらいたいんだ」
「あの――てっきりご両親が引き取るものだと――」
「我々もそうしたいのは山々なんだが、如何せんもう歳でね。生き物を飼える経済的な余裕も体力的な余裕もないんだ。不躾で失礼なお願いなのは重々承知なんだけどね」
「いえいえ、それより頭を上げてくださいよ。心苦しいですから」
「それに――――」
「それに?」
「雅裕の遺言でもあるからね、これは」
「え?」
「以前に雅裕が漏らしていたことがあってね。自分が死んだら、サチは斉藤くんに引き取らせたいって、そう言っていたから。遺言と捉えるには無理があるかな」
「いや――そんなことは――」
確かに、沼崎は私自身にもこんなことを言っていたことがある。
「自分が死んだらサチはおまえが預かってくれ」と――。
酒の席での冗談めかした口調の発言だったから、冗談だと受け取って「縁起でもないことを言うな」と笑ったが、あれは本気だったのか? 本気で私に自分の飼いネコミミを託したかったのだろうか?
「どうかね? 斉藤くん、サチをもらってやってくれないか? この通りだ」
沼崎の父親はさらに頭を深く下げる。母親も同じようにそうする。
私はあわあわと「やめてくださいよ」と言いながら、どうしようか逡巡する。
私はネコミミを飼ったことがない。実家で飼っていたこともない。
ましてや猫や犬すら飼ったことがない。夏祭りに掬った金魚くらいだ。
そんな自分がネコミミなんて責任を持って飼えるのだろうか?
いや、近年はネコミミを飼う人口が激増しているらしいから、飼おうと思えば飼えるのか?
そうこう考えあぐねているうちに、襖を隔てた隣の部屋から「にゃー」と鳴き声がした。
それは猫が鳴いているというよりも、人間が猫の鳴き真似をしているような声だった。
「あぁ、サチをもうこっちに連れてきてるんだよ。見てみるか?」
沼崎の父親の申し出に、とりあえず私は頷いた。
沼崎の父親が襖を開けると、沼崎のネコミミ、サチがこちらの部屋に入ってくる。
サチは薄茶色の短髪の女性の姿をしたネコミミだった。
スタイルも良く、顔立ちも整っている。本物の人間ならさぞかしモテる容姿だ。
見知らぬ私を見ても落ち着いていて、大人しそうなネコミミだった。
このネコミミを私が飼う――のか。想像してみようとする、このネコミミとの生活を。
といったって、一度も飼ったことがないのだから想像のしようがない。
でも、友人の両親にこんなに頭を下げられ、生前の友人の言葉もあって、それでも断れる度胸は私にはなかった。
「わかりました。サチちゃん、引き取ります。引き取らせてもらいます」
私の返答はそれ以外にはなかった。
かくして、サチが我が家にやってくることになった。
たまたまペット可のマンションに住んでいて良かった、とホッとした。
まずサチを飼うに当たり、色々と買い揃えなければならない。
ネコミミ用トイレ、ネコミミ用ゲージ、ネコミミ用餌皿etc――。
ペットショップで一気買いした。ペットショップには犬コーナーと猫コーナーに続いてネコミミコーナーが設けられており、四角いゲージの中でまだ赤ん坊のネコミミが毛布に包まって寝ていたり、ボールで遊んだりしている。それを女性や子供が中心に囲うように集まって、「可愛い、可愛い」とネコミミたちを愛でてはしゃいでいた。
準備を怠っていないか念入りにチェックしてから、サチを迎え入れる。
サチは初めて来た家に落ち着かないのか、始終そわそわしていた。
気も立っているようで、頭を撫でようとしたら、「しゃーっ」と怖い顔で威嚇された。
気を取り直して餌をやろうとしたが、餌皿にネコミミフードと呼ばれるキャットフードみたいなネコミミ専用の餌を盛っても、知らんふりをして一向に食べようとしない。
どうしたもんかと困っていたら、ふとあることを思い出して押し入れを探る。
じつはサチと一緒に沼崎の本棚にあった本も引き取っていた。それを詰め込んだ段ボールを押し入れの中に入れていた。その本の中に、確かノートが――。
段ボール箱から本を出して確認していくと、果たして段ボール箱の底にそれはあった。
『サチの飼育日記』と、そのノートの表紙には下手糞な字でそう書かれていた。
文字通りサチについて記した沼崎の日記で、沼崎の形見の一つとも言えた。
その何ページ目かに、サチの餌について記されていた。
それによると、サチは特定のネコミミフードしか食べない偏食だとのことだった。
私がサチにやろうとしていたネコミミフードは、そのノートにあるネコミミフードではなかった。
さっそくペットショップでノートにある通りのネコミミフードを買ってきた。するとサチはあっさり餌を食べた。黙って大人しく餌を食べる姿は、なんだか可愛かった。
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