第3話

 渋々沼崎の頼みを聞いた私は沼崎とともにある場所に向かった。

 それはそこそこ栄えた街並みの中に、ぽつんと建っていた。

 『ほんわかネコミミ喫茶』そう記された看板が店先に立てかけられた店。

 私と沼崎はその店に入る。ドアにつけられた鈴がチリンチリンと音を鳴らす。

「いらっしゃいませ!」眼鏡をかけた男性店員が笑顔で出迎えてくる。

「あぁ、沼崎さんと斉藤さんですね。ご贔屓していただき、ありがとうございます」

 私と沼崎はもう何度もこの店に来店しているので、店員とはすっかり顔馴染みだった。

「いつものコースでよろしいですか? 一時間の」

「はい、それでよろしくお願いします」

「それでは、もうご案内も必要ないでしょうが、こちらにどうぞ」

 店員に案内されるままに店の奥に進む。そして『1―A』と書かれたドアを店員が開ける。

 そのドアの先には幼稚園みたいな部屋が広がっている。ようは壁に子供が描いた絵がたくさん貼られていて、マットレスの敷き詰められた床には角のない玩具が転がっている。

 しかし、幼稚園と決定的に違うのは、その部屋で遊んでいるのが子供ではなく、たくさんの全裸の女性であることだ。

 その女性たちの頭には猫の耳が、尻の方には猫の尻尾が生えている。そしてその丸っきり猫のような仕草をして、猫のような動作でボールを追いかけたり覆い被さって蹴ったりして遊んでいる。

 とある知識がないとギョッとするところかもしれないが、私と沼崎は動じない。別にここは非合法な店ではない。ちゃんと法律的に認められた店だ。

「それではごゆっくりどうぞ」

 店員は笑顔を崩さずに部屋を出ていった。

 私の隣に立つ沼崎は早くも目をキラキラさせてやがる。気色悪いにも程がある。

「ほらよ、とっとと愛でろ」

 そう私が言うまでもなく、沼崎はその中の一人――いや一匹に飛びついている。

 その一匹の首にかけられた首輪には『あきにゃ』とその一匹の名前が記されている。

「よしよし、可愛いな、おまえ」

 沼崎はテレビに出ているペット大好きタレントよろしく、猫撫で声で一匹の『あきにゃ』を撫で繰り回す。

 人馴れしているのか嫌がることはなく、『あきにゃ』はごろごろと喉を鳴らしてみせる。

 男が全裸の女性に飛びついている姿は、一見、というかどう見てどう考えても犯罪の匂いしかしないわけだが、別段私には何も感じることはない。

 何度も言うがこの店は合法なのだ。そして沼崎の行為も合法。見ているだけの私も合法。

 何せ撫でられている女性――いやこのメスは人間ではない。

 俗に『ネコミミ』と呼ばれる、人間と猫の間のような別の生物だ。

 法律でもちゃんと認められた、誰でもペットにできるような愛玩動物だった。

 特徴は人間の容姿でありながら頭には猫の耳が、尻には猫の尻尾が生えていること。

 知能は人間よりも猫に近く、仕草も猫に近く、人間と似ているのは本当に容姿だけの生物。

 ただ本当に人間にそっくりなため、あまり『ネコミミ』の存在を知らない人間が見れば、猫耳をカチューシャと尻尾の玩具をつけてコスプレした人間に見えるだろう。しかし、あの猫の耳と猫の尻尾は、つけているのではなく、しっかり内側から生えているのだ。

 まぁ、この世界で『ネコミミ』の存在を知らない人類なんてもう一人もいないだろうが。

 私は沼崎がネコミミたちを戯れているのを眺めている間、煙草が吸いたくなってきて、沼崎に断ってからその部屋を出、さらに店の奥にある喫煙スペースに向かった。ネコミミに煙草の煙は毒だとかで、あのネコミミの部屋で煙草を吸うのは店側が禁止していた。

 透明なガラスに囲まれた喫煙スペースには、すでに先客がいた。

「あれ? またご友人の同伴でこられたんですか? あなたのご友人も好きですねぇ」

 先客である初老ぐらいの男性は、私が喫煙スペースに入るなり、そう声をかけてきた。

「えぇ、まったく困ったやつですよ。一緒に来てくれないと恥ずかしいとか抜かしまして」

 私は急に話しかけられたことに物怖じせず応じる。何せ顔見知りだからな。

「はっはっは、でもちゃんと一緒に行ってあげてるんですから、ご友人も感謝してますよ」

「本当にそうならいいんですけどね・・・・・・」

 初老の男性は快活に笑い、私は苦笑いで返事をする。

 この男性の名前は佐村さんという。この店の近くに住んでいるらしい。

 佐村さんと知り合ったのは、この喫煙スペースでのことだ。沼崎とともにここに来るようになってもうかれこれ一年にはなるが、佐村さんは私が喫煙スペースに行くときに高確率でそこにいた。

 私は元来、見知らぬ人とあまり話をするようなタチではなく、隣に立って黙って煙草を吸うだけだったが、そのうち向こうから声をかけてきてくれて会話をするようになり、今ではこうやって自然に会話ができる程度の仲になっていた。

 佐村さんにはお孫さんがいて、そのお孫さんはネコミミが非常に好きらしく、そのためよくせがまれてこの店に来るのだ、と佐村さんは優しげな笑顔でこの店に来る理由を説明した。

 見た目も中身も、本当に穏やかなご老人、といった感じの人だった。

 私は煙草の箱から一本煙草を取り出し、ライターで先端に火をつけて、吸う。

 煙がぶわっと口の中に溢れてきて、そして吐き出す。この瞬間が日々の生活で一番落ち着く。

「最近は喫煙者には辛い時代になってきましたね」

 佐村さんがそう口を開く。私は煙草の灰を、用意されている灰皿に少し落としながら頷く。

「まったくですよ。やれ禁煙だ、それができなきゃ分煙だって、煩い時代ですよ」

「まぁ吸っていて身体に良いことがないのは事実ですけどね」

「だって自分の身体ですよ。自分の身体をどう酷使しようと自分の勝手じゃないですか」

「それだけじゃなく他人様にも迷惑かけますしね。副流煙とか」

「だからこうやって、こんなところで隠れて吸ってるわけじゃないですか」

 また大きく煙草の煙を吸って吐く。もう一度、吸って吐く。灰を落とす。

 まったくもって喫煙に関しては住みづらい世の中だ。テレビでは毎日のように禁煙を訴えるコマーシャルが流れているし、職場の学校にもその手のポスターが何枚も貼られている。野外で吸えば周囲の人間は非国民を見るような目で見てくる。最近は吸わない方が多数派になりつつあるせいか、喫煙者への風当たりがさらに強くなってきている気がする。

「最近、煙草に対する風当たりが強くなった気がしますね」

 私が丁度思っていたことを佐村さんが口にし、頭の中を覗かれたのかと少しドキリとする。

「ここだけの話、ネコミミ保護協会っていうが煙草への注意喚起を強化してるそうですよ」

「ネコミミ保護協会? ってあの、ネコミミに人権を、ってコマーシャルの?」

「それで有名ですね、あそこは。デモ活動とかもやってるそうですし」

「何でまたネコミミ保護協会なんかが煙草への注意喚起なんかするんですか?」

「何でも煙草の煙はネコミミに害を及ぼすとかで――」

「そんなこと言い出したらどんな動物にも害があるじゃないですか、煙草は」

「さぁ? まぁネコミミ保護協会ですからね。ネコミミのことしか考えていないんでしょうね」

 ネコミミ保護協会は、ネコミミが発見されてから数か月も経たないうちに結成された民間団体だ。ネコミミを保護することを活動の第一とし、ネコミミに害を及ぼすものへの注意喚起や取り締まり、ネコミミを保護するための資金の募金などを行っている。

 近年はテレビでコマーシャルが流れ、そのコマーシャルに出てくるフレーズ、『ネコミミに人権を!』は流行語大賞にノミネートされるほど巷で流行った。

 実際にはネコミミは生物学的にも法理的にも畜生の類なので、人権なんかは当然ない。しかし、ネコミミ保護協会はネコミミの人権を訴え続けている。「ネコミミは知能は低いが人間にそっくりな容姿であるため、人類に認定すべきだ」と、それがネコミミ保護協会の主張だった。

 もちろんそんなのは暴論というのが世間の感想で、コマーシャルも苦情を殺到したため、すぐにテレビから姿を消した。

 だが、その騒動の結果、『ネコミミに人権を!』のフレーズは爆発的に広がり、ネコミミ保護協会の名も有名になった。ただ私を含めてあまり良い印象を持っている人はおらず、ネット上では密かに「ネコミミ保護のために、危険なテロ活動を計画している」とか、「ネコミミに危害を加える者を抹殺している」など、悪の秘密結社かよとつっこみたくなるような、荒唐無稽な噂が囁かれている。

 しかし、現にそんな新興宗教にも似た危なっかしさと怪しさを漂わせ、正体不明で悪い噂が立っても仕方がないような団体、それがネコミミ保護協会だった。

 先程でも述べたが、私はネコミミ保護協会に対して良い印象はない。理由は特になく、漠然とした嫌悪感というか気持ち悪さがあるだけだが、とにかく良い団体だとは思えない。

 そんなネコミミ保護協会が最近の喫煙者の取り締まり強化に関わっているとあらば、より強固に嫌悪感を抱かざるを得ない。私は眉を顰め、少し何かを責めるような口調になる。

「大体何でネコミミを保護するんでしょう? ネコミミなんて今や世界中に溢れてるじゃないですか? 一時期の野良猫と同じくらい。あまりにも数が多くて田畑や民家が襲われる例があるから、駆除する動きがある地域もあるのに。今朝だって通勤のとき、道端で車に轢かれたネコミミが死んでいるのを見つけましたよ。もうカラスと一緒ですよ、あいつら」

 私の愚痴とも嫌味とも取れないようなくだらない文句を、佐村さんは口を挟まずに黙ってうんうんと頷きながら聞いてくる。そして聞き終わると、諭すような口調で私に言う。

「この国の法理だとまだ保護対象なんですよ、ネコミミは。たぶんそれだけだと思いますよ」

「変な話ですね。何よりも変なのがネコミミ保護協会ってところだ」

「どの辺が変だと思われますか?」

「すべてですよ。あのコマーシャルだって異常だったでしょ? ネコミミに人権を主張するって、つまりはネコミミに人間と同じ生活をさせろって言ってるわけですよね? でもそれは無理ですよ、だってネコミミは人間と同じような社会性を持ってないじゃないですか。やつらは人間そっくりの見た目をしてても、しょせんは畜生。中身は猫なんですよ」

「おやおや、しょせんは畜生とは、この店に来る客のものとは思えない台詞ですね」

「私はネコミミが好きなわけじゃないですから。友人の同伴ですので」

「いえ、ちょっとつまらない話を振ってしまいましたか? 不快になられたらすいません」

「いや、私こそ申し訳ない。佐村さんとは和やかな会話をしたいだけですよ」

「まぁこんな話題を提示しておいて、和やかも何もありませんけどね」

 佐村さんの吸っている煙草の最後の灰が、灰皿の上にぽたっと落ちて崩れる。

「私はここらへんでお暇しますね。それではまた今度、お会いしたときに」

 佐村さんは煙草の火を揉み消すと、吸殻を残して喫煙スペースから出ていった。

 取り残された私は、またしばらく自分の口から吐き出される煙をぼんやり見つめていた。

 そのうち私の煙草も燃え尽き、喫煙スペースを出て沼崎のいる部屋に戻った。

 沼崎は大勢のネコミミに囲まれてにやけ面を晒している。

 まるで全裸の女性をはべらせているようだが、それが性的なものではないことを私は知っていた。だから取り乱すこともなく、引くこともなく、何も感じることはなかった。

 そうこうしているうちに約束の一時間が経つ。先程の男性店員が呼び出しに来る。

「もう終了のお時間ですけど、延長しますか?」

「いえ、結構です」と沼崎が返事する前に、私が返事をする。

 沼崎は名残惜しそうな表情でネコミミたちを見つめていたので、無理やり引っ張り出すように部屋を出ていかせた。会計を済ませ、「またのご来店を」の声を背に店を出る。

 外界は日が沈んですでに真っ暗。貴重な時間を無駄遣いした気がして、治まっていた溜息が再び口から漏れ出す。野良ネコミミの一匹が目をらんらんと光らせてこちらを見ていたかと思うと、目が合った瞬間にどこかの民家の塀をひょいと飛び越えて消えてしまう。

「ほら、さっさと帰るぞ、おまえのせいでこんなに遅くなっちまった」

 沼崎にそう文句を言ったが、本人はネコミミの余韻に浸っていて、話を聞いていなかった。

「おい! 沼崎! ちゃんとの人の話を聞け! 沼崎!」

 何度か呼びかけると、ようやく我に返ったらしく、沼崎はキョトンとした顔で私を見る。

「何だよ、そんなに怒って」

 本気でそんなことを抜かすので、頭を軽く叩いてやった。

「もー何だよ」

「もーじゃねぇよ。帰るぞ。おまえの家のネコミミも待ってるだろ」

「あ、そうだった、サチに餌あげないと。じゃあな、斉藤」

 沼崎は唐突に私を置いて走り出した。途中で振り返って私に向かって手を振った。

 まるで小学生みたいな一連の行動に心底呆れたが、せっかくなので振り返した。

 が、私が手を振り返した頃には沼崎は前を向き、再び走り出してあっと言う間に姿は見えなくなった。

「忙しいやつだな、ほんと」

 もとい面倒臭いやつだ。

 私は軽い頭痛に少し立ち眩みをしながら、車に乗り、自宅への家路についた。

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