第14話

 おい、いつまで寝てるんだよほら、おい兄ちゃん、


 そういう声がすぐ上から聞こえてきて、直後に脇腹を強く蹴られ、俺は呻きながら目を開けた。男が立っていた。


 ようやく起きたな、ずいぶん寝てたんだぞあんた、普段から徹夜続きなのかよ、ご苦労様だな……平均的な体つきと髪型をしたスーツ姿の男が俺の顔につばを飛ばしながらまくし立てる。電柱の前から駆け出して俺を誘い込んだ男だとすぐにわかった。


 男の印象は恐ろしく普通だった。どこにでもいるような顔と身なりの中年。ここから出たら、俺はすぐにでもこいつを忘れてしまうかもしれない。


 ここ、と思ってから、この場所がどこなのか知らないことに気づき、寝かされていたソファから体を起こして、俺は無言のまま周囲を見回した。


 どこかのオフィスらしかった。日の当たらない雑居ビル、1台しかないエレベーターは恐ろしく遅く、常にホコリ臭くて、狭小な各フロアに4、5つのテナントが押し込められ、用を足すたびに尊厳が削られていくような湿りきった薄暗いトイレが付いているような、そんなビルを俺は想像した。


 おい、こっちの話を聞けよ、あんた聞いてるのか? 返事をしろって!


 印象のない男が怒鳴った。ヒステリックで甲高い声だった。かすかに震えているのがわかる。


 こういう場は初めてだが、と俺は冷静に思った。


 こういうシチュエーションは初めてだが、この男は恐れる対象ではない。


 男の、あまり頑丈でなさそうな肩を透かして、俺はまっすぐ向こうに座るもう一人の人物を見た。じっと見つめることはできなかった。ほんの一瞬そちらを向いて、すぐに目をそらした。部屋には俺たち三人だけらしかった。


 男は無機質で飾り気のない大きなデスクに座り、肘をついて組んだ手の上にあごを乗せて、俺を見ていた。視界に入ったとき、男の頭部が異様に大きい感じがした。異常なサイズだと感じられた。一度目をそらしたが、好奇に抗えずに、俺はもう一度男を見た。


 頭部が大きいのではなかった。逆だった。頭部以外の部位が短く、貧弱で、そのために頭部が際立って大きく映ったのだ。


 肩はほとんど存在しないように見える極端ななで肩で、顔の前で組んでいる腕も恐ろしく細く、そして短い。少ない髪は油か何かでべったりと額になで付けられているが、年齢がわからない。


 背後のカーテンの向こうは暗い。室内には淡い照明が、部屋の中央でひとつ灯っているだけで、デスクに座る男の顔はぼんやりとしか見えなかった。だが年齢の見当がつかないのはそのためだけではなさそうだった。


 男の放つ雰囲気は、シュールで、ちぐはぐな気がした。小柄で頭の大きな、子供向けのマスコットか何かのようにも見える。一方で、極限まで清貧を追求した肉体に知性を象徴する大きな頭部が据えられた、どこか遠くの国の密林で部族に崇拝される偶像じみた神聖さをたたえているようにも思えた。


 ただ者ではないと直感でわかった。俺は男を見てるうち、激しく当惑して息が苦しくなった。


 正体不明のメイコにかかわり始めたときから、これまで交わったことのない、交わるべきでない怪物が蠢く怪しげな世界に巻き込まれることになる予感がどこかにあった。


 だが、早すぎる気がした。ゲームの終盤で対峙すると思っていたモンスターに、開始直後に遭遇してしまったような感覚。


 男はまったく目をそらさず、まばたきもしないで、気が遠くなるほど長いこと俺を凝視した後、椅子から立ち上がり、枯れ枝のように痩せ細った腕でおでこの前に三角を作る独特のポーズを見せてから、口角だけを緩やかに吊り上げて、言った。


「同志よ、あの女のところに、私を案内してくださいますか」

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