第13話
自宅へもどる途中に何度か電話を鳴らしたが、メイコは一度も出なかった。
日が沈んだころ、家を後にして駅へ向かった。
狭苦しいワンルームの自室でそのまま夜を迎える気にはなれなかったからだ。
3階建てのアパートを階段で下まで降り、最寄り駅に向かう。アパートの目の前は何かの町工場で、前を過ぎる際いつも甘ったるい黒砂糖の香りがする。
今日はその匂いがしなかった。
工場の脇を曲がると、古い貨物列車が走る線路と並行して延びる一本道に出る。線路は小高い土手のようになった頂点に敷かれていて、土手は大小さまざまな草木に覆われている。道の遠く向こうでは、よく見かける中年女性が手足の極端に短い小柄な洋犬を連れて歩いていた。
都会に似合わない、その牧歌的な風景が好きで俺はこのアパートを選んだ。
だがその風景も、今は色を失ったように味気なく見える。
駅に続くその一本道を歩きながら、違う、と気づいた。
黒砂糖の匂いも穏やかな風景も、何も変わってはいない。変わったのは俺だった。
俺の中のあらゆる感覚が狂い始めている気がした。
原因はもちろんメイコだ。それにあの喫茶店の男、そして、昼間かかってきたあの電話。
電話口のあいつは一体俺をどうするつもりなんだろう、ぼんやりとそう思ったとき、道のずっと先、犬を連れた女性のさらに後方に、電信柱の前でこちらを向いて立つ背の高い男の姿を見つけた。
男は道端に、明らかに俺のほうを見て立っている。
嫌な予感が下腹のあたりで膨らみ始めたのとほとんど同時に、こちらに視線を向けていた男が駆けだし、右に曲がって視界から消えた。
おい、待てよ、声にならないほどの呟きとともに、俺は男を追った。無意識の行動だった。
男の立っていた場所までたどり着いた。当然ながら周囲に男の姿はない。だがさらに奥の道の角から、男がふいに顔を出し、それからすぐに引っ込めた。
罠か何かだろう、とは思わなかった。絶対に捕まえて知っていることを吐かせてやる。
メイコのこと、電話のこと、ミッドナイトクライムのこと……
そこまで浮かんだとき、日に数本しか走らない貨物列車が北側から南下してきて、低速で過ぎる電車に特有の低く柔らかい通過音があたりを包んだ。
次の瞬間、脇腹に強い衝撃を受け、俺は足を止めてその場に倒れこんだ。
後方の電信柱の陰に隠れていたらしい別の男が、巨大な電気シェーバーのような形の機具を片手に俺を見下ろしている。
スタンガンか……そう思ったところで意識がとぎれ、視界が、音もなく暗闇へと変わった。
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