第9話
男の話は終わりそうになかった。メイコに捨てられてから、おそらく誰とも口をきいていなかったのだろう。
あの、ちょっといいですか。
中身のない長話に苛立ちを覚え始めていた俺は、男をさえぎって唐突に本題を切りだした。
あの女が、メイコがですね、あなたにあることを聞いてこいって言ったんですよ。
「あること?」
男の表情が急に硬くなった。異様な緊張感が伝わってくる。演技めいたそぶりで慌ててタバコに火をつけ、俺から目をそらして吸い始めた。また車が通ったのか、近づきそして遠ざかっていくエンジン音が外から聞こえる。
男の様子から、俺は直感的に確信した。
この男は、知っている。
「何だいあることって、君はボクに何を聞きたいの?」
俺はじっと男を見つめて喋らない。男はその沈黙に耐えられないのか、不必要な言葉を吐き続ける。
「黙ってないで、何か言いなよ、第一、突然ボクのところへ訪ねてきたのは君じゃないか、早く用件を言いたまえ、ボクだってヒマじゃないんだから」
目が泳ぎ、店内のあらゆる方向へ散っている。もう俺を見ていない。俺を直視できないのだろう。いや、俺じゃない。俺を通じて見えるメイコを、だ。
完全に落ちつきを失った男が、何かわけのわからないことを口走りながら勢いよく立ち上がった。俺を殴ろうとするのか、あるいは物でも投げるつもりなのか、細く短い右腕を振りかぶる。
コミュニティのことなんですけど、俺は横目で男を見上げながらそう言った。
腕を振りあげたまま、男が固まった。口を開け、鼻をひくつかせて、俺を凝視している。無精ひげの生えた首すじを汗が伝う。
俺はにらむように目を細め、じっと男を見た。
腕を下げ、うなだれながら、男が元のイスにへたり込む。男はふたたび目に涙を浮かべていた。その姿を俺に隠そうともせず、ひっきりなしに鼻をすする。
その、何なんですか、コミュニティって。
問いつめるように俺は聞いた。幼児のように泣きじゃくっていた先ほどとは雰囲気が違う。男が急に放ち始めた異常な空気に、かえって俺のほうがたじろいでしまった。
今すぐこの場を立ち去りたい衝動を強烈な好奇心でなんとか抑えこみながら言葉を継ぐ。
メイコから言われたんです、あの、そういうコミュニティがあるって。
立場が逆転してしまった。今度は俺が、落ちつきなく男に質問を投げつける。男は脱力した様子で座ったまま何も言わない。床にこぼれる涙を拭おうともしない。
不気味な光景だった。
ねぇ、あなた知ってるんでしょう、その、コミュニティのことを、あのね、メイコがね、入りたいって言ってるんですよ、そこに……
そこまで言いかけて、俺は口をつぐんだ。
男がいきなり顔を上げて、潤んで赤くなった目でこちらを見つめてきたからだ。目には明らかな当惑の色があった。
「何を言ってるんだ君は」
その声には、困惑とともにいくらかの怒気が含まれていた。
あの女なんだ、と男はささやくような声で言った。
何ですか?
「あいつだ、あの女なんだよ、ボクをあの気狂いどもの集まりに紹介したのはね、
あいつがボクを、あの恐ろしい連中のグループに、引き込んだんだ」
怒りからだろうか、恐怖からだろうか、男の頰が震えている。
猛烈な渇きを喉のあたりに覚えた。俺は男の淹れたまったく美味くない冷めたコーヒーを手にとり、ゆっくりと口に含んだ。
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