第4話

 電話がかかってきたのは午前中の編集会議の最中だった。


「もしもし?」


 メイコだった。


「昨日は楽しかったわね、初めて会った人とあんなにお話ししたこと、わたし今までなかったわ」


 楽しかった、という記憶は俺にはない。ほとんど一方的に喋り続けるメイコの話を、ぬるくなったビールを少しずつ何か義務のように口にしながら聴いていただけだった。


 話が終わると、メイコは自分の勘定だけ済ませてさっさと帰ってしまった。帰り際、あなたの連絡先を教えて、と言って。


 そうですね、昨日はどうも。


 俺は曖昧にそう返した。本意を濁して伝えるという行為は二十代なかばからのサラリーマン生活を通して俺の中にべっとりと重油のように染みついていて、おそらく死ぬまで剥がれ落ちることはない。


「わたしね、見えなかったかもしれないけど、すごく酔っ払っていたのよ、ほら、あのグラスのお酒ね、あれってすごく強くて」


 会議室のドア越しに編集長の坪井の野太い声が聞こえてくる。インタビューのトラブルの件はうまく落ちついたようだ。会議の話題は、先週発売した文芸書籍群の売れ行きに移ったらしい。


 あの、すいません、いま会議中なもので……


 メイコの話が長くなる気がして、俺はやんわりと用件を促した。


「ああごめんなさいね、ほら、あの件よ」


 あの件?


「コミュニティのこと、あなたも乗り気だったじゃない、楽しみだって」


 ちょっと待ってくれ、俺は一度もそんなこと言ってないぞ、という反論は出てこなかった。その言葉は、生つばとともに飲み込んだ。夕べと同じ嫌な緊張感が背中にひと筋走り、そこから瞬時に全身に広がった。


 この女はやはりおかしい。


 何も答えない俺になんら違和感を覚えた様子も見せず、メイコは喋り続ける。


「それでね、わたしあのあと調べたのよ、偉いでしょう? そしたらね、そのコミュニティのことを知ってるっていうひとを見つけたの、すごいでしょう、だからあなた、これからそのひとに会いに行ってきてくれる?」


 何だって? 俺は聞き返した。


「だからね、そのグループのことを知ってるっていうひとがいたのよ、嘘じゃないわ、わたしちゃんと調べたんだから、

 とにかくね、わたしは今日は忙しいから、ほら、あなたが会ってきてよ、向こうにはそう伝えておいたから」


 そう言って、俺の回答を確かめずに、メイコは電話を切った。


 会議室からは坪井の声がまだ聞こえている。だが何を喋っているのか、言葉は俺の耳を素通りするだけだ。

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