逃げているのは誰?

「捨てないでよ? さっきのプリ」

「捨てられるわけないですよ」

「嬉しいこと言ってくれるなぁ」


 俺と先輩はゲームセンターを出て、再び目的もなく歩いている。

 先輩と撮ったプリクラは財布にしまってある。いくら直視できないものとはいえ、他人との思い出を簡単に捨てるような奴ではないのだ、俺は。


「プリクラはね、女の子を無敵にするんだよ」

「どうしたんですか? 突然」

「ううん、ちょっと言ってみただけ」


 先輩は前を見ながら言った。

 こんな独り言を言う先輩は珍しかった。先輩の新しい一面を見たように感じて心がざわめく。

 ただ、それは少し前に喫茶店で感じた違和感とも違ったものだった。あの時のものより心地がいい。


 ふと、先輩が足を止めた。

 向かいにある専門店は全国にある服屋だ。アルファベットの名前のあの店。


「服、見て行こ?」


 先輩はそう言うが俺は別に服に興味がある訳じゃない。


「どうぞ、行ってきてください」

「えー。玲士くんも行くの」


 先輩は前に出て手招きしている。


「……分かりましたよ」


 渋々といった体で俺はそれに従う。

 先輩は案外素直な俺に少し驚いたようだった。


「あれ? 全然素直じゃん。さっきとは違うなー。何かあった?」

「何も。そういう気分だったってだけです」

「ま、来てくれるならいっか」


 先輩は納得すると店内へ入っていった。

 ゲームセンターの一件のように強引に連れて行かれたら、どうすればいいか分からなかった、というのが素直に従った理由だが、先輩にそれを伝える訳にもいかない。言ったら、嬉しそうな顔でからかってくるかもしれない。


「うーん。どれがいいかなー」

「何見てるんですか? ここ男物の売り場ですよ」

「うん、だから、玲士くんに似合う服を探してるの」


 時々、商品を手に取りながら、先輩は答えた。

 先輩の奇行はいつものことだから驚かないが、どうして俺の服を探すのか。


「大抵の女の子はね、小学校を卒業するまでに、おままごととお人形遊びと恋を経験するんだよ」

「……つまり、俺は先輩の着せ替え人形ってことですか」

「それはどうかな? 着せ替え人形って大体が女の子のモデルだから」

「じゃあ、何だって言うんですか」

「ちょっとそこに立ってて」


 先輩は質問の答えのかわりに、指示を出し、手に取った服を俺に合わせ始めた。


「うーん、やっぱりこっちかなー? でも、こっちも悪くないような……」

「悩んでいるとこ悪いですけど、俺はどっちも着ませんからね」

「えー」


 抗議の目を向ける先輩を置いて、店を出ようと歩き始める。


「ちょ、ちょっと待って」

「はい?」

「玲士くんの服を選ぶのはやめるからさ、かわりに私の服選びに付き合ってよ」

「……はい?」


 一つ前とは抑揚の全く違う『はい?』が出てしまった。

 どういう理屈で俺の服選びのかわりが先輩の服選びになるのか。少しだけ真剣に考えてみたが、分からなかった。


「いいから、ちょっと見てもらうだけだから、ね?」

「はぁ……。ついて行くだけなら構いませんけど……」

「よしっ」


 何だか、つくため息の深さが段々と深くなってきているような……。

 前を歩く先輩は明らかに機嫌がいい。もしかしたら、全てはこの状況を作るための準備だったのではないかと邪推してしまうほどだった。

 ……そんなはずないだろうけど。


「さーって、どれがいいかな?」


 自分の服を選ぶ先輩はとても楽しそうだ。

 俺はといえば、居心地が悪くてしょうがなかった。女性物の売り場に男が入るというのは落ち着かない。

 視線をさまよわせて、ふと視界に入った下着売り場から慌てて目を逸らす。

 視線を逸した先で一瞬、見覚えのある人影を見た気がした。

 あの小さい背丈と青い眼鏡は……。


「……長坂?」


 もう一度、その方向を見てみる。

 両手に一着ずつ持ち、真剣に見比べているその女子は確実にあの長坂英里だった。

 長坂は両手に持った服を数秒眺めてから二着とも売り場に戻していく。彼女がおそらく他の服を探そうと顔を上げて――

 ――俺と目が合ってしまった。


「……っ」

「玲士くん、これ、どっちがいいかな?」


 サッと目線を移した瞬間、先輩が俺に声をかけた。その手には色違いの二着の服があった。


「さぁ? どっちでもいいんじゃないですか」

「どっちでもいい、は禁句だよ?」

「……そうですか」


 先輩とそんなやり取りをしながら、長坂の姿を探す。だが、辺りを見回しても長坂はいない。

 俺が先輩の方を向いた時に、物陰に隠れたのかもしれなかった。


「……玲士くん? 知り合いでもいたの?」


 会話が上の空だったことを先輩に怪しまれてしまう。とはいえ、一発で核心を突いてくるのはさすがとしか言えない。


「……いえ、別に。ここが落ち着かないだけです」

「……ふーん、そっか」


 長坂の存在を誤魔化した俺に先輩は何も言わなかった。けれど、先輩の目は俺を疑っているように思えた。


「で、どっちがいいと思う?」

「そうですね……」


 長坂のことも気になるが、今日は先輩の相手に集中すると決めているのだ。

 ここは先輩の服選びに付き合うことにする。


「こっちがいいと思います」

「やっぱりこっちかー。うんうん、玲士くんならこっちを選ぶと思ったよ」

「なら、俺に訊くこともなかったんじゃ……」

「いやいや、確認をとるのは大事だよ?」


 言いながら、先輩は俺が選ばなかった方の服を戻していく。


「じゃあ、これ買ってくるね」

「買うんですか?」

「せっかく玲士くんが選んでくれた服だしね。買わないと」


 先輩はそう言って、レジへ向かって行く。

 俺はレジに行く必要がないから、先輩から離れすぎない範囲で店内を周ってみた。

 長坂は売り場にはもういないみたいだ。

 人探しは諦めようとしたその時、店を出ていく小さい背中がチラっと見えた……ような気がした。

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