出来れば会いたくない

「はぁー。どうするかな……」


 休み時間、先輩の連絡先の書かれた紙切れを眺めて、俺はため息をついた。


「そんなに嫌なのか。だったら、無視すりゃいいんじゃないか?」

「そうはいかないんだよ……」


 今朝、美浜先輩の端的な説明を聞いた竹内は、

「……は?」

 という、呆気にとられた表情をして、

「どういう意味だよそりゃ」

 さらなる説明を求めてきた。


「言葉通りだよ。あの先輩はあらゆる文化部で一番をとったんだ」

「というと?」

「吹奏楽部に入れば、全ての楽器をどの部員よりも上手く演奏できたし、将棋部に入れば、部員最強に君臨したし、書道部に入れば、作品展で優秀賞を貰ったりしてた。それで、うちの中学では文化部のエースって呼ばれてたんだ」

「……なるほどね」


 と、言ったところで始業のチャイムが鳴ったのだった。


「でさ、その先輩って運動の方はどうだったんだ?」


 一限目の休み時間、竹内はそう聞いた。


「あんまり話に聞かなかったけど、普通にできてたよ。通知表には四がつくぐらいだったはず」

「すごいんだなぁ、その先輩。成績もよかったんだろ?」


 竹内も先輩のことを誤解しているようだった。俺はその誤解を正すために言う。


「いや、成績はあまりよくなかったよ。文化部を転々としすぎて教師からは気に入られてなかったしな」

「へぇ、話を聞いた感じじゃ勉強もできそうなのにな」

「実際、先輩が本気を出せば、成績だっていいとこいくはずなんだけどな。とにかく、そういうことにこだわらない性格だったんだよ」


 ここまで聞いて、竹内には思ったところがあるようだった。俺の持った紙切れを見て、尋ねる。


「なんで、お前は先輩に会うのを嫌がるんだ? 全然悪い先輩には聞こえないけど」

「そうだよな。ここだけ聞けば純粋にいい先輩だよな」

「ああ、そんな気がする」

「俺だって最初はそう思ってたよ」

「それは――」

「おーい。授業始めるぞー。テストまで時間がないからなー。チャイムは鳴ってないが席につけー」


 教室に入ってくるなりそう言った数学教師の一声によってクラスはざわめきを大きくした。

 竹内が言いかけた言葉は途中のままだったが、俺はその先を聞きたいとは思わなかった。これ以上、彼女について話すことはできないだろうから。

 それから、竹内は俺に美浜先輩について聞いてくることはなかった。授業中も紙切れを眺める俺になにかを察したのかもしれない。


 結局、小さい紙切れに書かれた数字とアルファベットの扱いについては放課後になっても決まらなかった。



 放課後になれば、いつものアレがある。

 今日の彼女はどんなヒロインを見せてくれるのだろう。人気のない教室へつながるドアに手をかけて、一息に引いた。


「よーっす」

「……こんにちは」


 長坂は相変わらず小声で目を合わせてくれずにいた。それでも、キャラを被ることをやめたのは進歩だと思う。

 俺の前に紙束が差し出されて、長坂は言った。


「み、見てくれる……?」

「……ああ」


 俺達の会話はどこかぎこちない。素の長坂との距離感を俺は測りかねていた。

 何か行動を起こさなくてはと、渡された紙束に目を通す。


『わ、私の言う通りにしなさいよね!』

『……なんでお前なんかに』

『いいから、言うことを聞きなさい! 貴方は勝負に負けたのだからっ』

『はぁ……、わかったよ。何をすればいいんだ?』

『まずは――私に付き合いなさい!』


 ――とまあ、こんな感じの短編が書かれていた。もちろん手の込んだイラストも十分に用意されている。

 長坂からこれを受け取る度に思うのだが、これを作るのは労力と才能の無駄遣いのような気がしないでもない。


「どう……?」


 長坂は俺がひと通り目を通すのを待ってから尋ねた。


「ん、あー。いいんじゃないか。うん、よくできてると思う」


 俺が伝えるのは、ひどく曖昧とした感想。この系統の知識に関して、俺は疎いのだ。

 これを見て、何を言えばいいのか俺にはわからない。


「それで『お嫁』には……」

「それは、できない」

「そう、だよね……」


 こんなぎこちない会話をして、俺たちは日々を過ごしていた。

 この息苦しい時間をなんとかしたいとは思いつつも、何も行動を起こせないでいる。


「じゃあ、またね」


 長坂は俺と目を合わせずにそう言うと、鞄を持って教室から出て行った。


「何をすればいいんだろうな……」


 そんな呟きが漏れるくらいには、俺も悩んでいるということなんだろう。

 教室を出て昇降口へ向かい、靴を履き替える。長坂の靴は既になくなっていた。彼女は俺よりも先に学校を出たようだった。

 まぁ、あいつの方が先に教室を出ているから、当たり前なんだが。


「……はぁ」


 校門に差し掛かったところでため息をつく。


「ため息をつくとは、なにかあったのかい?」


 そのため息に反応したのは、聞き覚えのある声。その声の主を確認するため、視線を上げる。


「んな……」

 その顔を見て、思わず声が出た。


「ん、その顔はないんじゃない? せっかく会いにきたのに」


 まさか、こんなことになるとは思わなかった。

 先程の長坂とのやり取りも、彼女への接し方も、ため息の理由が一瞬で遠くなるほどの驚きが俺を襲った。


「なんで、ここに……?」

「玲士くんがなかなか連絡くれないから、会いにきちゃった」


 ほぼ無意識に出た質問に微笑みながら答えたのは――


 ――美浜みはま 深雪みゆき先輩だった。

 

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