きっとできる仲直り

 朝。いつもより二時間早く起きた。

 さすがに眠い。あくびを噛み殺しながら通学路を歩く。俺以外に学生は見当たらない。

 これは、早すぎたかな……。

 校門を抜け、靴を履き換えて、教室へ向かう。その間、誰ともすれ違うことはない。

 こんな朝早くに呼び出した長坂の目的を考えつつ、階段を登る。


 あいつは一体、何がしたいのだろう。昨日から考えているが、全く分からなかった。

 廊下を歩いて教室の前で立ち止まる。扉を開いた時、長坂以外の誰かがいたら、一旦、帰って二度寝しようと決める。

 今から帰っても三十分は寝られる時間なのだ。……何でこんな早く来たんだ、俺。


 考えても仕方がない。扉に手をかけたその時、

「――レイくん?」

 クラスメイトの声が聞こえた。


 俺を小学時代のあだ名で呼ぶ奴などクラスに一人しかいない。


「……詩乃」


 幼馴染の塩谷詩乃は困惑に満ちた瞳で俺を見ていた。



 実を言うと、この展開は予想していた。予想と言っても、確信があった訳ではない。

 ただ、書いてあったのだ。長坂が作った、設定資料に。


 そこには、詩乃の身長体重、髪型からスリーサイズなどの容姿に関する設定から、詩乃の交友関係などあらゆる情報が書かれていた。その全てが現実の塩谷詩乃を元にしていた。

 体重とスリーサイズは聞いたことがないから現実と同じどうか比較することは出来ない。が、見た感じ、数字は近い気がする。

 以前見た時と違い、イラストはほとんど無かった。もちろんヌードも無い。

 そして、その資料の最後にはヒロインとしての詩乃を主人公にした短編があった。彼女の幼馴染の少年に自分の誤解を正され、少年との関係を深める話。その少年は早朝の教室にヒロインを呼び出していた。

 幼馴染の少年――それは俺のことだろう。

 長坂が何かを予見してそれを書いていることは明らかだった。

 短編は少年のこんな一言で始まる。



「詩乃、大事な話がある」

「……。分かった、聞く」


 詩乃は一瞬、間を開けて答えた。無視を貫くか迷ったようだった。

 俺と詩乃は教室に入る。当然、こんな早くに俺達以外の誰かが来ているはずがない。

 二人きりの教室。

 俺は何と話を切り出すか考える。短編の中の俺は普通に話せていたが、現実はそうもいかない。言いたいことがたくさんある。

 結果、教室内は沈黙に包まれていた。


「……長坂さんって、喋れたんだね」


 先に口を開いたのは詩乃だった。


「あぁ、あいつはちゃんと喋れる。俺もお前と話せる」

「はぁ…。もうやめた。無視するの疲れたもん」


 俺は詩乃の目を見る。久しぶりに合ったその目は緊張しているように見えた。


「詩乃、あのな……。あの本のことでお前は何か勘違いをしてないか?」

「ど、どういうこと?」

「あの本は俺の物じゃない。人から借りた物なんだ。だから……」

「ちょ、ちょっと待って! 全然、話についていけないよ」


 詩乃は話が分かっていないみたいだ。


「何だよ。言葉が悪かったか?」

「ううん。その事は、わたしも知ってたよ。あの本が竹内君の物だって分かってた」


 詩乃が知っていた……? 俺を無視した原因はあの本に無いのか。


「じゃあ、お前は何を勘違いしたんだ?」

「それは……」

「はっきり言えって」


 詩乃はかなり言い渋った後で、

「レイくんはわたしに告白するんじゃなかったの?」

 とんでもない爆弾発言だった。


「はあ!? どういうことだよ」


 どう解釈すればそんな誤解が生まれるのか。詩乃の思考回路は謎に満ちてる。


「え、だって……。竹内君が、あのラノベ?は俺のだからレイくんにそういう趣味はないって教えてくれて……」


 ラノベ、の発音が曖昧だったが、詩乃はそっち系の本は触れたことが無いからだろう。


「そっから、どう思考が発展したら俺が告白することになるんだよ」


 そこが俺には分からない。


「……趣味じゃない物を借りるってことは何か事情があるのかもと思って、わたし、友達に相談したの」

「本の内容も話したのか?」


 頷く詩乃。多分、内容を伝えたのが失敗な気がする。


「でね、友達は本の話を聞いて、それは絶対告白の勉強をしてるんだ、って。近い内にわたしはレイくんに告白されるって言われて、どうすれば分かんなくなって……」

「無視するようになったのか」


 詩乃はまた頷いた。……その友達に一言言いたいな。何やってくれてんだ。


「わたし、レイくんとはずっと友達でいたかったから、恋人っていうのは違うなって思ってた。それに好きな人がいるし。でも、告白された時の断り方が分かんなくて、告白される前に無視しようって考えたの」


 詩乃らしいと言えば詩乃らしかった。

 変に物事を深読みして間違えたり、人の意見を鵜呑みにしたり。

 今回の誤解もそういうところから生まれたのだろう。


「俺は詩乃に告白するつもりはない。これからも友達として仲良くやろうぜ」

「……うん」


 何にせよ、詩乃との関係が元に戻ってよかった。長坂には感謝しないとな。

 そうだ、長坂――。


「詩乃、いつ長坂と話したんだ?」

「えっと……。休みの日の前に一回と昨日の放課後に話したよ」

「何を話した?」

「好きな食べ物とか、身長体重とかいろいろ聞かれた」


 それって、まさか。


「なあ、お前ってBなの?」

「……っ‼ ばかっ! 何で知ってるの⁉」


 顔を赤くして俺の足を踏みつける詩乃。どうやら当たりだったらしい。


「適当に言っただけだよ。忘れとくから」


 詩乃をなだめるために言っておく。実際は適当に言った訳ではない。長坂の資料に書いてあった。


「……本当に忘れる?」


 詩乃はジト目で俺を見つめてくる。


「忘れる忘れる。でも、自分の体型のことは誰にも教えない方がいい」


 一応、忠告しておく。詩乃は長坂に聞かれたこと全てに正直に答えたみたいだった。資料の数字は正しいらしい。

 もう一つ聞いておきたいことがある。


「その時の長坂はどんな感じだった?」


 キャラを作って話していたのか、素で話していたのか、知っておきたかった。

 知ってどうなるってこともないが。


「長坂さん、ずっと下向いててわたしに興味があるとは思えなかったよ」

「そっか。なるほど」


 それはおそらく素の長坂だ。キャラを作っているのは俺の前だけなのか。

 他にも話したいことはあったが、やめた。

 教室にぼちぼち人が増えてきたし、もう一人、話をしたい奴が来ていたからだ。


「ありがとな、詩乃」

「うん、また後で」


 とにかく、俺と詩乃は無事に和解できた。

 


 

 



 

 


 

 

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