明日も会えますか?
「おい、どこに行くんだ!」
廊下から担任の声が聞こえた。多分、長坂が理科室から出ていったところを注意しているのだろう。
俺も廊下に出るか、と思って席を立った瞬間に担任が入ってきた。
「あれ、長坂は?」
「どこか行ってしまった。あの子はよく分からないからなぁ」
担任は何故か遠い目をしている。
「で、先生。俺がここに呼ばれた理由は何ですか。何も聞いてないけど」
「ああ、君達は生活態度が悪いからな。罰則というか、しつけみたいなものだ。理科室の掃除を手伝ってほしい」
「……そんな悪いですか? 俺の生活態度」
別に悪くないと思う。挨拶だってちゃんとするし、課題だって忘れず提出している。
「君は日誌を書かなかっただろう。あの日誌を読むのはちょっとした楽しみでね。手抜きをする奴は許せないんだ」
「……私怨かよ」
動機が意味不明過ぎて、一生言わないと思っていた単語を使ってしまった。私怨とか刑事ドラマでしか聞かない言葉だろ。
「……君はともかく、長坂の方は問題だ」
担任は話を切り替えるように言った。
「俺よりもってことですか」
「あの子、喋らないからな。意思疎通が文字でしか出来ないんだ」
……長坂の奴、担任とも話をしないのか。
担任は続けて、
「その分、日々の日誌が重要なんだよ」
と、俺を見て言った。
「すいませんした」
適当に謝る。悪かったですねえ、日誌書くの手抜きして。
心の中で担任に悪態をついていると、
「これは何だ。お前のか?」
机の上の紙束を指して
長坂が渡してきた詩乃の設定資料。それは机の上に置きっぱなしだった。
俺にこれを読む気はやはりない。けれど、
「……はい、俺のです」
わざわざ、長坂に返すのは面倒だったから俺の鞄にしまっておいた。
「君は長坂と話したことがあるか?」
唐突に担任は質問した。俺の挙動に思うところがあったのか。
「はい、少しくらいなら」
あいつの性格も考えて控えめに答える。
「そうか。あの長坂が……。君はその関係を大事にした方がいい。あの子のためにも」
「……大事にします」
とりあえず、了承を示しておく。担任の真意は分からなかった。
その時、理科室の扉が開いた。
現れたのは長坂。担任の姿を一目見て、顔を俯かせると、何も言わずにさっき座っていた席に戻る。
担任の制止を振り切って理科室を出たことを謝りもしない。長坂に罪悪感がない訳ではないのだろうけど、極端過ぎると思った。
「ごめんなさい」も言えない程に会話を苦手としている長坂は、確かに生活態度が悪いとも見えるかもしれない。
「さて、長坂も戻ってきたことだし、早速始めるか」
担任は長坂の態度をあまり気にしていないようだった。当たり前のこととして受け入れているのだろう。
それは、何か違うと思った。
だからと言って、何を言うべきか分からないまま俺は理科室の掃除を始めた。
「相川は床を、長坂は流しを掃除してくれ」
という指示通りにまずはほうきを動かす。
掃除は一切会話をすることなく進んでいく。担任は教師用の机に座って作業をしている。明日の授業の準備でもしているのか。
「……」
長坂は無言で流しの汚れと向かい合っている。理科室に響くのは水音と担任のペンの音だけだった。
ほうきから雑巾に持ち替えて床に膝をつく。作業のペースが非常に早い。
無言だとこんなに能率が上がるんだな。
一時間、床の汚れと戦ったところで、
「よし、もう終わりでいい。……かなり綺麗になったな」
担任は俺達と理科室を見渡して言った。
「帰っていいですか」
「ああ、お疲れ様」
さっさと用具を片付けて、鞄を持つ。机の向かいでは長坂も鞄を持っていた。
「さようなら」
「さーなら」
「……」
適当に別れの挨拶をして廊下に出る。長坂も無言でついて来た。昇降口までの道は同じだから当然だ。
「……」
二人きり。気にする他人の目はないのに、俺は何を言えばいいのか、黙って歩いた。
「……み、見てくれた……?」
俺の三歩後ろを歩く長坂が尋ねてきた。俺の鞄に入った紙束のことだろう。
「いや、まだ見てない」
「み、見て……。お願い。そ、それと……」
長坂の言葉は歯切れが悪いし、話している時も視線は床に向いている。
「それと?」
「あ……明日の朝、い、一番に教室に行ってくれる……?」
意外な頼みだった。長坂に『嫁』の件以外で俺に頼みを言うのは初めてな気がする。
「誰よりも早く教室に入れってことだよな?何のために……」
長坂は首を振った。これ以上は言えないらしい。長坂の本当の性格を知ってから、俺はこいつに強気に出れなくなっていた。
「……お、お願い」
「……分かったよ、明日は早起きする」
朝に弱いってこともないし、それくらいの頼みなら聞いても構わない。
「し、資料…も、ちゃんと見て……」
長坂はしつこくそこに
また断ろうとも思ったが、その資料は俺の鞄の中にある。「見ない」と言うのも変な気がした。
「持って帰るよ。これは」
鞄を指して言う。見る、とは断言しなかったが長坂は安心したようだ。これが、今、俺ができる最大の譲歩だった。
昇降口に到着して靴を履き換える。
校門を出る前、何も言わずに別れるのはどうかと思ったから、
「……またな」
一言、そう言っておいた。
長坂は変わらず無言だったけれど、その手が小さく動いていたのを確かに見た。
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