伝わらない想い

 翌日、俺はいつもより十分以上早く学校に着いた。詩乃は必ず俺より先に学校にいる。だから、先回りして、話をつけようと思ったのが一つ目の理由。もう一つは、長坂から逃げるためだ。長坂は普段の俺と同じ時間帯に登校してくる。時間帯をずらすことで長坂と関わるのを避けようと思ったのだ。


「……よし」


 教室には詩乃も長坂もいない。作戦の前段階は上手くいったようだ。

 後は詩乃を待って登校してきたタイミングで声をかけるだけ。

 今日こそは詩乃の誤解を解いてみせる。

 何を勘違いしているのか分からないが、あの本がきっかけなのは間違いないだろう。

 詩乃を待っていたら、竹内が来た。


「お、早いな」

「お前いつもこの時間に来てるのか?」

「そうだけど。どうしたんだよ今日は」

「詩乃と話をしようと思ってな」


 詩乃に避けられるきっかけを作ったあの本を俺に貸したのは竹内だが、俺にこいつを恨むような気持ちはない。こいつを怒るのは筋違いな気がしていた。


「ストーカーにはなるなよ。いくら塩谷さんがお前を避け続けてると言っても、そこまでいけばお前の方が悪くなるから」

「……わかってる。変なこと心配してんじゃねえよ」

「ならいいけど」


 そう言って、竹内は教科書を取り出した。


「ふう……」


 息を吐く。今日こそは話をしてみせる。

 詩乃が教室に入って来た。俺は即座に席を立ち詩乃の元へ向かう。


「詩乃、あの本のことなんだけど――」

「……」


 何も言わない。詩乃は俺の顔を見ようともしなかった。


「詩乃っち、今日遊べるー?」

 一人の女子が詩乃を呼んだ。

「うん。遊べるよ」


 詩乃もそれに普通に返している。そこまで見て俺は廊下に出た。

 詩乃の態度に少し傷つく。俺の心はガラスよりも脆いらしい。


「貴方、あの人に無視されているのね。見ていて滑稽よ。貴方の努力は」

「……長坂か」


 また失敗だ。廊下に出ればこいつに会うことを忘れていた。


「もっと頭を使いなさいよ。あの人に反応してもらうにはどうすればいいか」


 昨日と違ってよく喋る。キャラが変わったらしい。


「……うるさいな。考えてるよ、俺は」

「考えて、実行して、成功しなければ、考えていないことと同じよ」

「暴論だ。そんな訳ないだろ」

「まあ、貴方にはあの人を振り向かせることは不可能ってことね」


 今日の長坂は毒舌だった。その言葉に俺はむっとする。


「不可能とか言ってんじゃねーよ」

「そう言うなら構わないわ。せいぜい足掻きなさい」

「お前に何が分かんだよ。部外者のくせに」


 長坂は一拍置いて、

「そう、まあいいわ。これを見なさい」

 紙束を差し出した。


「見ない」


 俺は迷わず答える。


「どうしてそこまで頑なに断るのかしら?受け取ってくれたら私は一度下がるのよ」


 確かに長坂の言うとおり俺がこの紙束を受け取ればいいだけなのかもしれない。


 だが、俺はそれをしたくなかった。


 紙束に描かれた『嫁』候補のヒロインを受

け取って、詩乃の誤解がさらに広がったらどうする? そのリスクを避けるためにはどうしても受け取れないのだ。

 …そういう事情を抜きにしても受け取りたくないが、今くらいに頑なではないだろう。


「俺はそれを見たくない」

「私は貴方に見て欲しい」


 そんな押し問答を数回繰り返して、

「そこまで頑なに断ることないじゃない。そんなだから貴方はあの人に避けられるのよ」


 長坂のその言葉は嫌に俺の心の中を引っ掻いた。


「……いい加減にしろよ。お前に何が分かるってんだよ‼ 知ったような口で上から言ってんじゃねぇ! 迷惑なんだよ。お前が俺にこんな紙束を押し付けてくるのは! 俺の事情に赤の他人が踏み込んでくるな。何も知らないお前が俺と詩乃の関係に口出しするな!関係ないお前はもう俺に関わらないでくれ‼

その紙束、二度と俺に見せるなよ」


 全力で怒鳴りつけた。何でこんなに怒鳴っているのか言ってる途中で分からなくなった。……けれど、今言ったことは偽りない俺の本音だった。


 長坂は何も言わない。

 少し感情が落ち着いて、冷静になった俺は居心地が悪くなって、長坂に背を向けた。


「……ごめんなさい。私、言い過ぎたのね」


 後ろから耳に入ったその言葉は聞こえてないことにした。


「お、戻ってきた。……どうした?」


 教室に入ると竹内が言った。

 後悔・・が顔に出ていたのだろうか。だとしたら、ショックだ。

 怒り過ぎたかもしれないと反省していることなど誰にも気づかれたくない。


「何でもねーよ。変な詮索はするな」

「わかってるって。ちゃんと、落ち着いた頃に聞いてやる」


 竹内はいつも通りに笑う。

 こいつの何かに気づいていても、余計なことは聞かない性格には助かっている。


「チャイム鳴るぞ。真面目に座ってろ」


 そんな感謝を伝えるわけにはいかないので、適当に言って誤魔化すが。


「あ、そうだ。一応教えとこう」

「ん? まだ何かあるのか」

「ああ、お前がいない間、塩谷さんがお前の席、ちらちら見てたよ」

「……お前、ストーカーの素質あるよ」


 竹内からもたらされた情報は意外過ぎて、見当外れなことを言うしかなかった。


「言いたかったのはそれだけだよ」


 竹内は会話を止めた。

 詩乃の方を見る。俺よりも前の座席に座っているから、今はこちらを見ていない。

 竹内が言っていることが本当なら、関係を元に戻せる日も近いのかもしれなかった。

 

     


 



 

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