その轍はどこへ続くのか
夜明けの少し前にそれは始まった。
出発予定を繰り上げた事による荷物の積み込みだ。
マナが走って商店に行き、店主を叩き起こして頼んでいた商品の受け渡し時間を早めてもらいに行った。
無茶な願いを伝えられた商店も「カナフさんの頼みなら仕方ないかぁ……」と眠い目をこすりながら準備してくれたようだ。
こっそりエノスが聞いた所によるとカナフというのはモデクレスの他の名前で、本当の名前はもしかしたら誰も知らないかもしれない、との事だった。
そんなこんなで商店が準備した荷物を馬車へと積み込む作業が始まっていた。
これから十日程かけてランサ国という非常に小さな国までいく為の物資を積んでいるらしい。
この国は所謂"八カ国会議"にも列席を許されていない力のない国だった。
しかしその分、奴隷にも肯定的で商売をするにはいい環境なのだ、とモデクレスが話てくれた。
その時、モデクレスが大事そうに抱えていた鞄がエノスの目についた。
厳重に鍵が掛けられていて、何か大事なものでも入っているのかもしれない。
モデクレスに聞いてみたら「命よりも大事なものだよ」とはぐらかされてしまった。
「準備は出来ましたでしょうか?」
馬車の御者台に登って出発の準備を待っていたモデクレス付の奴隷が皆に声をかける。
普段のモデクレス付の奴隷は最初に会った時の部屋にいた彼が務めているようだった。
周りから「待った」の声が掛からない事を確認して二頭引きの馬車は出発する。
16人いる奴隷全員が乗ることは出来ないようで健康そうな男性の奴隷は徒歩でついてくる事になっているようだ。
エノスは、といえば馬車の荷台に乗ったらどうかという提案をやんわり断ってモデクレス付の奴隷と共に御者台に上がっていた。
「まだ暗いですけど門は空いているんですか?」
エノスは隣に座っている奴隷の男に尋ねる。
「開いていません」
「え、それならどうやって外に出るんですか?」
「錠を開けて出ます」
エノスはどうにも弾まない男との会話に心の距離は遠そうだ、と会話を一時中断した。
その間にも馬車は進み、やがて街の端にある高い壁にまで到達した。
御者台の高い位置から辺りを見渡したエノスの瞳は反対側の遠くに霞んで見える大きな門を捉えていた。
「あれ? 御者さん、門はあっちですけど?」
「ええ、でも大丈夫です。あと御者さんではありません。私は……奴隷ですから」
「あ、あぁすみません」
「それと私に敬語を使わないで頂けますか? 護衛の方にそんな態度を取らせたとなると旦那様になんと言われるか……」
「…………わかった」
なんとなく家族のような雰囲気があったこの奴隷ファミリーだが、それはたまたま目にした一部分に過ぎなくて、やはり本質は奴隷商なんだろうなとエノスは思いながら馬車に揺られた。
馬車が壁伝いに進んでいくとやがて小さな門が現れた。
あんな所に?エノスがそう思うのも無理はない事だった。
その門は建物の影に完全に隠れていて、知らなければ気付かないかもしれない。
建物に近づいていくとまずいことに気がついた。
その建物は自分が軟禁もとい"入院"していた建物だったのだ。
幸い馬車が居るのは建物の裏口になるようで、人の気配はなかったがエノスは御者席からなるべく出ないように小さくなって息を殺した。
やがて馬車が門の前に着くと馬車の中からモデクレスが出てきて何やらしているようだった。
しばらくするとピーピーというような音が聞こえた後、ガシャン……ギギギ……と音を立てて門が開いたのだった。
モデクレスが馬車の中に戻ると同時に門が閉まり始めたので馬車とその周りの奴隷達は少しスピードを上げて門をくぐり抜ける事になった。
エノスの眼前には見渡す限りの草原が広がっていた。
後ろを振り向けばもう遠くなったスターティア王国の街が見える。
「やったぞ」
エノスは叫び声をあげたくなった。
しかしそんな声をあげる前に自分の感覚に触れる何かがあった。
感覚を研ぎ澄ましてみると、馬車の進行方向やや右手に動く物体がある事に気付いた。
「エヴェド……!」
エヴェドというのは御者台に座っている奴隷の男の名前である。
意思の疎通が捗らないのは名前を知らないせいだ、と思ったエノスが名前を尋ねるも「奴隷は名前を持たないのです」と頑なに言い張るのでエノスが勝手につけた名前だった。
エヴェドはちゃんと自分の付けられた"あだ名"に気がつけたようで視線を向けてくる。
「右手の方向に動くものだ、俺が降りて確認してきてもいいか?」
「ここからでは何も見えませんが……」
「見えてからじゃあ遅いだろう」
エノスはそう言うやいなや馬車から飛び降り、走っていく。
その姿が馬車に掛かった幌の隙間から見えたのであろうモデクレスが御者台の男に尋ねる。
「何があったのだ?」
「ええ、エノス様が右手の方角に何かいる……と」
そう言われたモデクレスも幌の隙間からよく目を凝らしてみるが走っていくエノスの後ろ姿しか見えない。
やがてエノスすら霞む距離になった頃、向こう側で動きがあった。
しばらくすると……どうやらエノスは戻ってきているようだ。
一瞬そのままどこかへ逃げて行くのでは?と思ったモデクレスだったがその心配は杞憂だったようだ。
馬車へと戻ってきたエノスは"仕留めてきた"獲物"をモデクレスに見せる。
「どうやら狼だったようです。5匹の群れでいたので万が一を考えて狩っておきました。残りはどうします?」
簡単そうに言うエノスだったが、モデクレスは俄には信じられなかった。
いや、エノスのその手に何も握られていなければ絶対に信じなかっただろう。
獲物など姿形も見えないこの距離から危険を察知し、さらには実際に仕留めてきた。
どれだけの腕があればこんな事が出来るのだろうか。
モデクレスは見たところ25歳になるかならないか、といったところだろう青年の事が少しだけ恐ろしく見えた。
「ほう……そうだな3匹は譲って貰おう。あとはエノスの物にしなさい」
そんな姿は微塵も見せないでモデクレスは指示を出す。
その指示を聞いたエノスは意外そうな事を聞いたのかキョトンとした顔を見せる。
「ここの狼は食べられるのですか?」
馬車は近くを流れていた川の側で停車している。
陽が落ちるまで移動してきたので今日はここで野営をする事になったのだった。
手慣れたように奴隷たちは火を起こし、竈を組んで料理を始めた。
「しかし、あれは傑作だったな」
「ちょっと……もうからかわないでください」
少し離れた場所に組んだ薪の火にあたりながらエノスがモデクレスにかわかわれていた。
「ここの狼は食べられるのですか?」
モデクレスがエノスの真似をしてくるがちっとも似ていないのが余計に腹が立つ。
「あぁ最初から毛皮目的だって言ってもらえればそんな間違いはしませんでしたっ!」
「最初から言ってればそりゃそうだろう……」
モデクレスが冷ややかな目で見つめてくる。
その瞳で見つめられるのがどうもいたたまれなくなったエノスは立ち上がって言う。
「あーなんかあっちとあっちで何かが動いてる気がするんでちょっと行ってきますね」
と、適当に周囲をブラつく口実を作るがそれも見透かされていたようだ。
「ああ、じゃあ今度は何か食べられる肉を頼むよ」
馬車は今日も走っていた。
いや、走るというのは字の問題で、実際にはゆったりと歩くようなスピードでの進行だった。
ここまでの移動であらかた食料などを使い切ったとはいえ、馬車の中には沢山の人が乗っているし、徒歩でついてきている奴隷もいる関係もあってこれくらいのペースが丁度いいらしい。
ゆったりとしたペースではあるが確実に前進していたエノス達は目的地のランサ国まであと二日足らず、という位置まで来ていた。
ここからは川沿いから離れて森の中を征く、とエヴェドから聞いていた。
馬車が森に差し掛かるとエノスは心のどこかに不穏なものを感じた。
荷台の方を振り返り、幌の中に居るモデクレスへと声を掛ける。
「モデクレスさん、なんだか森が変な気がします。なんだろう……あちこちで何かが動き回っているような気配だ」
それを聞いたモデクレスは勝手知ったる顔で頷く。
「それはそうだ……だって森だからね? 生き物が沢山いるもんだ。そのために車輪にベルを付けたのさ。これを付けておくと大きな音がして動物達は寄って来ないんだ」
「なるほど。まぁそういう考え方もありますけどこれは動物とかそういった感じでは……戻りませんか? せめて川のそばまで」
エノスは押し寄せてくる不安感からそんな事を口にする。
モデクレスは首を横に振りエノスを諭すように言う。
「君の驚異的な察知能力はこれまでの道中見せてもらった。だから疑っているわけじゃないんだ。でもね、この道を通らなければ大分遠回りになってしまう。奴隷たちも疲れてきているし食料も足りなくなるだろう。遠回りする事で何人かを切り捨てないといけなくなるかもしれない……そう考えるとやはりこの道を行くしかない
。少しばかり危険でもね」
エノスはモデクレスのその言葉の裏側に奴隷たちへの愛と、仕事への覚悟、そしてエノスへの信頼を感じた。
「分かりました。すみませんでした、突然口を出してしまって」
「いや、いいんだ。それが君の仕事だろう? あと少し、十分働いてもらうとするよ」
モデクレスが幌から覗いていた頭を馬車の中に戻すと共にエノスは前を見据える。
これが一度に来るとすると……守りきれるだろうか?
でもいつもこの道を通っているモデクレスさんが大丈夫だと言っているんだから平気か?と考えかけてやはり気を引き締めた。
いや何が来たって守ってみせる、とエノスは決意を新たにした。
しかしたった一人のそんな矮小な決意は簡単に噛み砕かれてしまうのだ。
この顎アギトには。
決意を新たにしたエノスを乗せて馬車は進む。
着々と狭まっている包囲に向けて自ら招かれるように。
その轍を刻んでいくのだ。
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