猟犬は斯くも猛々しく

「ふんふんふ〜ん」




「…………」




「ふふんふ〜ん」




「………………」




「ふふ〜んふんふんふ・ふ・ふ〜」




「カ、カーロフ殿っ!」




 先程まで聞こえていた鼻歌がピタリと止まる。


 それと同時に水浴びしていたであろう男が濡れたままの身体で仕切りの向こう側から出てきた。




「なぁんだよ、聞こえてるってエの」




 カーロフと呼ばれていたのは全身を真っ黒な毛で覆われた豹のような獣人だった。


 その体高はおよそ二メートル半で、全身が筋肉で出来ているかのようにガチガチなのが見た目からも伺えた。


 切れ長の目で睨まれると大抵の兵士は身動きが取れなくなるほどの迫力だ。




「あ、あの。恐れながら申し上げますと、ヴィクター様からのご依頼が……」




 それを聞いたカーロフは進言しようとしていた兵士の顔を片手で掴み、そのまま持ち上げた。




「だぁから聞こえてるつうの! 久々に声かけてきたと思えば……ハッ! 人探したぁ馬鹿にしてンのかあの野郎」




「はーほふははほほへほ……」




「なアに言ってんだお前? ああ、俺が握ってだんだったか」




 どさり、と床の上に投げ落とされた兵士は悶絶しながらも肺を捻じ伏せ、乱れた息を整える。


 このカーロフという男の前でのんびり息を整えている訳にはいかなかった。




「はっ! カーロフ様のお手を煩わせるまでもなく我々だけで対処出来るとヴィクター様にはお伝えしたのですが……我々の手には負えないと……」




 兵士は悔しさを噛み締めるように言葉を紡ぐ。


 その言葉を聞いたカーロフはわずかに顔を綻ばせた。


 それが逆に怖い、などとは口が裂けても言えない兵士はぐっと堪える。




「はアん、それはいいんじゃあねえか? 最近どいつもこいつも生っちょろくてよオ……お前らの練兵所だっけ? あそこにも行く気がしなくなってたしよ」




 確かにカーロフは一時期、連日のように兵士たちが訓練を行う練兵所に来ては大暴れしていたのだ。


 あの時は地獄の一歩手前……いや両足突っ込んでたな。と兵士は回想していた。




「お、懐かしいかア? ぐははは、また遊んでやるさ。とりあえずこの件を片付けたらなあ」




「そ、それではっ?」




「ああ、このカーロフ様が引き受けてやるってヴィクターの野郎に伝えておけエ。準備をしたら出るからそれまでに戻ってこい」




 兵士は戻ってきたくはなかったが、そう言われてしまえば戻ってこざるを得ない。


 顔には出さないでいられたのは日頃の訓練の賜物か。




「はっ! カーロフ殿とご一緒出来るとは有難き幸せ!早速ヴィクター様に報告して参ります」




 兵士は踵を返すと、足早にその場を去っていった。




「ぐほほ。あいつら兵士達だってちったアやるぜ・・・? こいつぁとんでもねえ大物って事だったりしてなあ……グォグォグォ」




 ドアの向こうから聞こえてくるカーロフの楽しそうな笑い声を必死に聞かないようにして走った。


 聞いてしまえば替えのパンツがなくては走れなくなってしまうだろうと確信したからだ。




 兵士はヴィクターの待つ"研究所"へ走っていった。








 シュッシュッっと同じリズムで繰り返される音はカーロフの研ぐ爪の音だ。


 カーロフは自分の身体を武器として戦う武闘派だった。


 その為には自分の武器である身体のメンテナンスも非常に重要なのだ。




 そして爪を研ぐカーロフの足元には血まみれの兵士が転がっていた。




「……俺の入浴の邪魔しやがるからだア」




 先程の兵士が数名の仲間を連れてカーロフの住処へ戻ってくるとカーロフの姿がなかった。


 家中探すべきだ、という仲間の声を無視できず一緒に探す事になってしまった。


 何もしないのもまずいのでさっきまで水浴びしていたカーロフが入浴するわけがないと確信して探す振りをしながら踏み込んだのだ。




 そこには二度目の入浴を楽しむカーロフの姿があった。


 カーロフは綺麗好き。


 兵士たちはこれをまず覚えておかなければならないだろう。




「さアて」




 カーロフのそんな何気ない言葉に身体を硬直させる兵士たち。




「行く前にとりあえずこいつを片付けてこい」




 そう言いながら足で兵士だったものを仲間の兵士に押しやる。




「……っはい!」




 数分前まで仲間だったモノを四人がかりで運びだす。


 幸いカーロフが住んでいるのはスターティア王国の郊外の果て。


 言ってしまえば高い壁で囲われた街の外にある森であったため、辺りには誰もいない。




 仲間だったモノをそっと下ろすと四人は無言で穴を掘り出した。








 四人がカーロフの元へ戻ると戦闘用と思われる服に着替えたカーロフが待っていた。




「オオぉぉい遅えぞ。一人で逝っちまおうかと思ったぜ」




「も、申し訳ありません! 思ったよりも土が固くっ……」




 四人を代表して謝罪をした兵士の言葉はカーロフの一睨みによって阻まれた。




「オイオイ、言い訳は……ナシだって訓練の時に教えたよなア? ま、ここでまた時間をかけてもご馳走に逃げられちまう……か」




 なんとか助かったらしい兵士は替えのパンツを持ってこなかった事にひどく後悔していた。




「くせェが……逝くぞ」




 カーロフを含めた五人が駆ける。内一人はぎこちない足取りで。




 最初にカーロフへ助力を願い出てから街を往復した後に穴を掘っては埋めていた為、それなりの時間がかかってしまっていた。


 太陽はすでに大分傾いてきており、高い街の壁が長い長い影を作っている。




「おうら、着いたぞオ。開けろ」




「はぁ……はぁ……だだいまっ!」




 膝に手をついて休みたい気分の兵士達だったが、息一つ切らしていないカーロフの前でそんな無様は出来ない。


 あまりのスピードで走ってきた為、兵士のパンツもすっかり乾いていた。




 ピーピー……




「ああアァくそお、いつ聞いても耳障りな音だぜえ」




「はっ!申し訳ありません! ヴィクター様いわくここにも古代の叡智が使われているとか……」




「古代のエッチだとオ? お、おう。まあそういうのは俺も嫌いじゃねエから我慢してやらあ」




 なんだか勘違いをしているようなカーロフだったが、我慢してもらえるなら有難かった為に兵士たちが何かを言いだすことはなかった。




 ガシャン……ギギギ……




 重苦しい音を立ててブ厚い鉄の扉が開く。


 ここは街に住んでいる殆どの者が知らない秘密・・の裏口だった。


 国としては殊更秘密にしている訳ではないのだが門番がいないという都合もあり、正門とは違って常に硬い錠が掛けられている。


 そのため、許可が必要であると共に必ず解錠する古代の鍵を持った兵士を伴わなくてはならない為、自ずと住民は知る必要のない場所になっていったのだった。




「さて、まずはどこに逝きゃいいんだ? ヴィクターの野郎をぶっ飛ばすかア? カッカッカッ」




「ええ、それも宜しいかと思いますがまずはゲート場へ!」




 カーロフに媚び諂いつつ、いつも無茶をいう上司への恨みを少々晴らす兵士。




「おう、お前とは気が合いそうだなア」




 そう言いながらカーロフは兵士の肩を何気なく叩いた。


 はずだったのだが叩かれた兵士は泡を吹いてその場に倒れ込んでしまった。


 近くにいた兵士がすぐさま状態を見てみる。




「肩が……折れている……!」




「おうおう、軟弱だなあ。よし、そいつは置いていけ。今回の敵は手強いらしいからな」




 そんな事を軽くいうカーロフを見たあとに兵士達が顔を見合わす。


 一番手強いのはあなただ、とでも言うように。


 しかしそれを咎められてもことなので急いで気絶した仲間を端に寄せるだけしてカーロフの側に戻る。




 ーー残り四人






「さて、ゲート場ってーとあそこだったなア?」




「はっ! 間違いございません」




「でもあン中は少し苦手なんだよなあ」




 カーロフのそんな言葉に兵士は少しばかり驚く。




「カーロフ殿にも苦手なものがあったのですかっ!」




 言ってからしまった!と後悔した兵士だったがそれは紛れもない本心だった。




「うるせエや」






 ゲート場に到着すると苦手だといっていたカーロフを先頭にして中に入っていく。


 途端にゲート場の建物内が物々しい雰囲気を帯びる。




「皆のもの、我々は治安維持部隊である。取り調べ中の容疑者が脱走したので調査をしに来ただけ故に安心せよ!」




 兵士が何事かと遠巻きに見つめる住民に説明をする。


 多少どころではない嘘が混じっているが住民がパニックになるよりも大分マシであるとの判断だ。


 そこへ人混みの前に立っていた兵士達より多少良い制服を着こなした男が進み出てきた。




「これはカーロフ殿! よくおいで下さりました。我々憲兵隊が本日の朝方よりこちらで調査をしていたところ気になる情報がありましたのでワタクシ副隊長の権限をもちまして"件の現場"をしかと、しかと保存しておきました」




 憲兵隊と名乗る男が前に進み出て自らの手柄をアピールする。




「あア、そうかよ。さっさと連れて行けえ……」




 当のカーロフはそんな事はどうだっていい、というように低く唸る。


 ゲート場が苦手、というのもあながち嘘ではないのかもしれない。




「ははっ! ではこちらへずずいと!」




 非常に面倒そうな副隊長を先頭に進んでいくと"5番ゲート"と書いてある待合室に通された。




「カーロフ殿! こちらになります!」




 副隊長がピンと伸ばした手で指し示したのは……どう見ても吐瀉物だった。


 それを見た兵士達は総じて渋い顔をしていた。




「これが?」




「はい!聞き込みをしていました所、見慣れぬ男が突然ここで!なんと!吐いた!との情報でして。服装を聞いた所、検査着を着ていたわけではなかったのですが実のところワレワレが練武で着る際の服を着ておったようなのです。そしてそれは当日、かの者が検査の際に着ていたものとなんと一致!これは奇跡か!いや、これこそ探し人!とまぁこういった形でありまして……」




 カーロフと共にいた兵士達は副隊長が説明をしている途中から気が気ではなかった。


 いつ「うるせエ」とその爪が振るわれるのか。


 目の前の副隊長が肉塊になるかならないかの賭けをしたら成立しないのではないかと思うほどだ。


 しかしそれは杞憂に終わった。




 副隊長の芝居がかった話を最後まで聞いたカーロフは「そうかア」とだけ呟いて吐瀉物へと向かった。


 そしてそのまましゃがみ込むとクンクンと匂いを嗅ぎ出した。


 これには見ていた兵士たちが顔を背けるのも仕方がないように思えた。




「くせぇ……こりゃ色々とやがるなア」




 それは当然だろう、と兵士達は思った。




「あァ、でもこりゃあ探しやすいぜ」




 カーロフの言葉に兵士達の顔は明るくなった。




「さて、ここにゃもう用はねエな」




 吐瀉物の前から音もなくスっと立ち上がったカーロフが待合室の出口の方へ向かう。


 兵士達は自分達も何かした方がいいのではないか?と考えた。考えてしまった。


 その足は自然とカーロフの調べていたモノに向かい……








「ああ……何でワタクシがこんな事を……」




 カーロフが現場を確認したことによりこれ以上保存する必要もなくなった為、現場の"掃除"を憲兵隊がする事になったのだった。


 なぜか増えた四人分の吐瀉物を。






「うぉぉオ! やっぱ外はイイなあ」




 ゲート場の外まで出たカーロフは先程までとは打って変わって気力が漲っていた。


 ついていく兵士達の顔色は逆に最悪になっていたのだが。




「あいつが向かったのはア……」




 カーロフは鼻を空に向けてクンクンしているが本当にそんな事で分かるのだろうか?


 と兵隊たちが心配し始めた時。




「こっちだなア……」




 豹の見かけそのままの姿をもって二本足で立つ事から"黒い死神"とも言われたカーロフの足が動く。


 迷いのない足取りで。




 そして止まったのは……冒険者ギルドの前だった。




「おラ、失礼するぜ」




 扉を蹴破るようにして中に入り込むカーロフに兵士たちが続く。




「おう? なんだ? 人の昼寝を邪魔するんじゃねぇ」




 冒険者ギルドの主が吠える。名前は……ガンツォと言った。




「あア? もう昼間は通り越して太陽さんもオサラバする時間だア。これからはオレの時間だって事だ。でよ、オタクの客について……ちょいと聞きたいんだガ」




 カーロフの鼻は尋常ではない。


 既に対象がここに"居た"もしくは"居る"ことを確信していた。




「お生憎様だが、依頼人、冒険者どっちであろうと何も話せねぇ。それがここの主である俺の役割だ。この守秘義務ってやつは国の方でもわかってるんじゃねぇか? おい、そこの兵隊さんよ」




 兵隊達は顔を見合わせるばかりだった。


 カーロフが何の為にここに立ち寄ったのかすら分かっていなかったのだから。




「おおゥ、そっかそっか。じゃあ別に話さなくてもいいゼ? まぁ話したくなるんだろうけど……ナ」






 絶望はーーいつだって側にある

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