其の諸手に握るものは
「さぁて今日の検査を始めますよぉ」
ウォルトが目を覚ましてベッドから起き上がったのを見計らったかのように部屋を尋ねてくるヴィクター。
「今日は随分早いんだな。何かあるのか?」
ヴィクターは軽く伸びて未だ寝ぼけている背筋を伸ばしながら尋ねる。
「えぇ、たまには身体でも動かしたらどうかなぁ? なんて思いましてねぇ」
ヴィクターはそう言いながら動き易そうな軽い布で出来た服をウォルトに手渡す。
「お、ということは久しぶりに陽の光が浴びられるのかな」
そんな軽口を叩きながらもウォルトは内心ウキウキとした気分だった。
「陽の光ならそこの窓から嫌というほど入ってくるじゃあないですかぁ? それより早く着替えて下さいねぇ。私は用意があるので中庭で待っていますからぁ」
ウォルトはなかなか運動すら出来ない軟禁状態を皮肉ってみるがヴィクターは全く意に返すことなく部屋を出て行った。
大体中庭で何かすると言っても軽い運動と日光浴くらいしかした事がないのになんの用意だろうか。
そんな事を思いながら渡された服に着替える。
「なるほど、これは動き易そうだ」
シンプルな白いシャツとぴったりしているがよく伸びる皮のパンツは軽装の剣士が好みそうなものだった。
一週間ぶりの外に少しばかり機嫌を良くしてウォルトは部屋を出る。
「と、その前に」
机の上に置かれた絵に視線を這わせる。
「行ってくるよ」
机の上のシェリーに声をかけると、以前は毎日そうやって声をかけていたような気がしてくる。
いや、実際にそうだったのかもしれない。
そうに違いない、ウォルトはそう感じていた。
中庭に到着するとヴィクターは既にその用意を終えていた。
「ようやくきましたねえ。……ああ、とてもよくお似合いで」
「ああ、なんか自分でもこういった服は着慣れている気がする。それよりこれはなんだ?」
そう言いながら一瞥したのは中庭の中央に並べられていた人の形をとる木の板だった。
少し離れた壁の側には短剣、長剣をはじめとして何種類かの武器が置かれていた。
ヴィクターは口元を緩ませる。
「昨日あなたの記憶の一部である絵の人物が誰なのか判明したわけですが……実は彼女のいる国から来た使者は騎士団長でした。つまり……」
「俺がその騎士団長本人だとすればそれなり以上に武芸を嗜んでいるはず、か」
「ええ、でも先に言わないで下さいよお。まぁその通りです。今日はそれを確認してみましょう」
「よし、わかった」
ウォルトは剣、斧、弓とそれぞれ握ってみるが、どれも長年使っていたかのように様になっている。
手始めに、とシンプルな剣を選んで鞘から抜き放つとその場で軽く振っている。
フォン、フォンと風を切り裂く細い音がするのはその鋭さ故か。
「おお、これは鋭い剣筋ですねぇ。近くで見ているのも怖いくらいですよぉ」
そう言いながら顔がニヤけているのはいつも通りか。
「ではではこの人形に切りかかってみてくださいねぇ」
ヴィクターにそう言われ、ウォルトは改めて剣を構えた。
人形と相対し、そのままジッと人形を見つめていると。
「フッ」
一瞬で人形に近づいたウォルトが剣を振り切るとしばらくしてから人形は二つに分かれ、上の半分が地に落ちた。
「おぉこれは思っていたよりも素晴らしい結果ですねぇ」
後ろでヴィクターが手を叩いている。
口調は褒めているようだが顔には先程までの緩みがない。
「そうか?剣さえあればこれくらいの事は誰でも出来る気がするんだが」
「何を言っているんです?その剣は刃の部分を潰してある訓練用の剣ですよぉ。それで木の人形を真っ二つぅ!なかなか出来る事じゃあありませんよねぇ」
そう言われて手元の剣を見てみると確かに刃の部分が潰れていた。
「って事は?」
「えぇ……あなたは騎士団長、その人の可能性がかなぁり高まったと言ってもいいでしょう、いいでしょう」
二回目は自分に言い聞かせるように大袈裟にうなずくヴィクター。
「はは、俺が……そうか……」
そう言われてみればそうだったような気がしてくるものだ。
自分が何者なのか……それがもうすぐ明らかになるのではないか?
ウォルトはそんな予感に胸を躍らせた。
「ヴィクター。それじゃあ早速ツヴァイク王国に連絡」
「それは出来ません」
ウォルトの言葉に被せるようにしてピシャリと否定を口にするヴィクター。
「あぁ? 俺はこうして生きているだろう。それを自分の国に報告して何が悪い? まさかこの国で囲おうなんてことは……」
ヴィクターは、はぁと一つ息を吐き出すと説明を始めた。
「問題はいくつもありますねぇ。まず前提として、事故の事は各国に伝えています。国の中で最も武や知に秀でたような人材を派遣していましたから、隠すことなど出来ません」
「じゃあ余計に生存を喜ぶんじゃないか?」
ヴィクターのいう事はよく分からないがニヤついた顔は見る者に強い不快感を与えるようなものだ。
「ええ、国にとっての逸材が生存していた。それはそれは喜ぶでしょう。しかし……」
「しかし?」
「我々は生存者、つまり貴方の存在を各国に公表してはいないのです」
ウォルトはその言葉に頭を殴られたような衝撃を受ける。
「なんの……ために?俺は……じゃあなんなんだよ」
存在を赦されていない。
ウォルトの心をそんな感覚が支配する。
「勘違いしてはいけませんねぇ。これは無用な希望を与えない為です。いいですか? あなたの国の使者は生きている、と正面切って伝えられればいいですが貴方には記憶がありません。いざ引き渡して人違いでした、じゃあすまないのですよ」
ウォルトはそう説明されても深刻そうな顔を崩さない。
「そもそも"ウォルト"という名前もワタシが付けたくらいなんですから、おたくの国のウォルトは生きていたなぁんて言っても……ねぇ?」
「それも……そう……なのか? それならどうしたら戻れるんだ? ずっとこのままか? なあ、ネズミみたいに実験実験って毎日身体と頭を弄くられて生きて行けってことか? そんなのはゴメンだ」
「実験じゃなくて検査、なんですが……まぁそこはいいでしょう。何度もいっているように貴方の記憶が戻ればすぐにでも。そう考えてはいますよぉ?だから毎日じっけ、検査をしているんじゃあありませんか」
「それは……いつになるんだよ。明日か? 明後日か? それとも10年後かよ?」
「ふむ……あまり良い傾向ではない、か」
ヴィクターが小声でなにか呟く。
「あ?なんだって?」
「いえいえ、まぁこのまま続けて行けばそう遠くない事だとは考えていますよお。昨日、今日と色々分かって来たこともあるじゃあありませんか。焦らないのが大事だとワタシは考えていますよぉ」
「……そうか…………わかった」
「ええ、分かってもらえて安心しました。あぁ、じゃあその服と剣は預けておきましょうかねぇ。部屋で振るなり眺めるなりしてみて下さい。使い慣れた道具が側にあればまた何か思い出すきっかけになるかもしれませんからねぇ」
そう言われたウォルトは手元にある剣をじっと見つめながら頷いた。
「ふぅ。騎士団長……か」
今日の残っていた検査を明日以降にしてもらって部屋に戻ったウォルトは剣を見つめて独りごちる。
中庭では分かったような態度をとったウォルトだが、やはり飲み込むのは時間がかかっていた。
昨日もらった紙に書かれていたシェリー・メアリベートという女性は間違いなく自分に関係のある人で、かの国の使者は騎士団長だった。
そして自分はどうやら武に秀でているようで騎士団長という称号があってもおかしくはなさそうだ。
そう考えているとそれだけで十分じゃないか、という気持ちを拭えなくなってくるウォルト。
掴みかけた『自分』という人物の欠片。
これを掴まずしてどうしたら記憶を取り戻せるというのか。
その時、ウォルトの手元がふと光ったような気がした。
昼間にヴィクターから貸して貰った剣だ。
「……シェリー」
未だ記憶は遠く、揺蕩っている。
しかしその蜃気楼をどうしても掴みたい。掴まねばならない。
ウォルトは剣を強く握ると、シェリーの絵をポケットに仕舞った。
「……待っていろ」
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