夜明けと共に

「脱走? ウォルトが?」




 事実を知ってひどく落ち込んでいたウォルトをしばらくそっとしておこうとしたのが間違いだった。


 部下からの報告を聞いたヴィクターの顔はそう言っているようだった。




「見張りはどうしたんですかっ? そもそも建物の出入り口には警備兵がいたはずでしょう?」




 声は裏返り、細い眼を目一杯に開いて部下に唾を飛ばす。




「いえ……落ち込んでいるようだからそっとしておきましょうねぇ、と」




「誰がそんな事をっ!?」




「お、恐れながらヴィクター様が……」




「ふ、ふん! では警備兵は? 警備兵はどうしたのですかっ?」




 ヴィクターからは普段の軽妙な口調が消え去っていた。




「警備の兵士は……」




 報告に来た部下は言いづらそうに口を噤むがヴィクターの顔はそれ以上の沈黙を許さない。


 思い切って事実だけを完結に述べることにしたようだ。




「全員っ!意識を失っておりましたっ!」




「意識を……?」




 そう呟きながら考えを巡らせている様子のヴィクター。


 すぐに何かに気がついたように顔をあげる。




「あの剣かっ!」




「はっ! 後に意識を取り戻した兵によると彼は剣を持っていた、との事です」




「まぁいい、確かに腕は立つ。けれどです。ああ、目的地は……」




 何かを思い出し落ち着きを取り戻すヴィクター。




「ゲート場に行きなさい。行き先はツヴァイク王国ですよぉ」




「はっ! 直ちに警備兵を向かわせます」




「いやいや、一般の警備兵では手も足も出ないでしょうから……カーロフを向かわせましょうねぇ」




「りょ……猟犬を?」




 ヴィクターはその言葉に目を細め部下を睨む。




「し、失礼しました! 直ちにカーロフ殿に助力を仰ぎ、ツヴァイク王国行きゲート場を抑えます!」




「えぇ、そうして下さいねぇ」




 ヴィクターは手をひらひらさせて退出を促す。


 失礼しました、と部屋を出る部下を一瞥すらせずに嗤う。




「検査……いや実験も含めて楽しませてくれますねえ」




ーーーーーーーー




 夜明け前から行動し、難なく軟禁を抜け出したウォルトは街に潜伏していた。


 右も左も分からなかったウォルトだが、幸い目的の場所はすぐに見つかった。


 まだ夜も明けきらないというのに数人がその場所に屯していたからだ。


 その場所は"ゲート場"だった。


 ゲートを使って人や物を運ぶのにはそれなりの人と動力源が必要なため、夜のうちは動かさないという話はヴィクターに聞いていたが、その通りだったらしい。




 つまり屯している人々はゲート場の開場を待つ人、という事だ。


 色々な格好をした人がそれなりの数居たため、ウォルトは上手く紛れ込めた。




 しばらく待つと時間になったのかゲート場の門がゆっくりと開いた。


 ウォルトは門が開ききると同時に建物の中へ滑り込んだ。




「ツヴァイク王国は……5番ゲートか」




 行き先が書いてある案内図を遠目に確認して目的の5番ゲートへ向かう。


 着いた所は待合所となっていて、そこには既に20人程が待っていた。




「始発は……あと15分後か。くそっ」




 ウォルトはどこからともなく流れてくる焦りという汗を拭った。


 警備の意識を刈り取って見えにくい場所に押し込んで来たものの、そろそろ目覚めたり見つかったりしてもおかしくない頃合いだったからだ。




 早く出発させろ、そんな事を思いながら待合所からゲート場を覗き込む。


 待合所の窓を隔てた向こうにそれはあった。




 ——ゲート




 魔法陣のように複雑な線が描かれたそれは離れた地点に人と物を一瞬で運ぶ夢のような道具だ。


 そして……ウォルトの記憶を奪ったものだ。




 よく見るとゲートはわずかに発光し、あたりには微かに燐光が漂っていた。


 待合所の中の喧噪がなければさぞ神秘的だろう。




 そしてその喧噪を沈黙させる音が響いた。




「おえぇぇぇ……」




 四肢を床につき、ビチャビチャと胃の内容物を床に吐き出す男。


 ウォルトである。




 一瞬沈黙していた待合所がまた騒々しくなる。




「おい、吐いたぞ!」


「う、離れよう」


「大丈夫か!?」




 近くにいた数人がそれぞれそんな声をあげる。




 遠巻きに様子を伺っていた人たちの中から一人の老人が近づいて、蹲るウォルトの身体に触った。




「ふむ、この汗……それに土の色をした顔色。拒否反応かもしれんな」




「拒否……反応?」




 なんとかそう聞き返すウォルトの顔色は確かに最悪だった。




「うむ、なんらかの理由でゲートを使えない者が一定数いるのじゃよ。ここらに漂う燐光が原因じゃないかと言われておるが詳しい事は分からん。わしはただの技師だしのう」




 ゲート場に足を踏み入れた時から気分が重苦しかったウォルトだがそれは追われる事の焦りからだと思っていた。




「どう……したら?」




 ウォルトは息絶え絶えになりながら老人に尋ねるが老人は首を横に振る。




「その様子を見るにゲートでの移動は無理じゃろうな。少なくとも今日はやめておきなさい」




 そんな……ウォルトは心の中で叫んだ。




 ——それでは連れ戻されてしまう!




「だい……じょうぶだ、ありがとう」




 老人に礼を言い、フラフラになった足をなんとか奮い立たせ出口に向かう。


 出発まではあと10分ほど。




 ウォルトはギリギリまで建物の外で待ち、時間になったら中に飛び込もうと決めて外に出る。


 建物から少し離れて深呼吸をすると少し気分が落ち着いたようだった。




 その時、街の反対側からゲート場に武装した兵士達が走ってきた。


 咄嗟に身を隠したウォルトだったがそれはどうやら正解のようだった。




「病院の検査着を着た男を見なかったか!?」




 そんな声が少し離れた場所のウォルトにまで聞こえてくる。


 思わずウォルトは自分の格好を見るが白いシャツに皮のパンツだった。


 中庭の検査後、なんだかしっくりきたのでずっとその服のままでいたのだった。




 少しだけホッとしたウォルトだったが、あれは明らかに自分を探している。


 たまたま検査着ではなかったから幾許の時間は稼げるかもしれないが、いつあの兵士達がこっちの方へ来るか分からない。


 ウォルトは……その場を離れる事にした。






 街中まで来てみたもののウォルトは途方に暮れていた。


 ツヴァイク王国へはすぐにでも行きたいが肝心のゲート場にはウォルトを探す兵士が彷徨いている。


 そもそもゲートに入ると酷い体調不良に見舞われるのだ。




「どうしたものか……」




 路地裏を歩くウォルトの少し先の建物の角から警邏のような格好をした男達が歩いて来るのが見えた。


 街の警邏までもが自分の事を探しているのかは分からなかったが、反射的に近くの建物の中に滑り込んだ。




「おう、いらっしゃい」




「あ、すまない。客ではないんだが」




 がらんとした店の中で大柄の店主がカウンターに肘をつきながら座っていた。


 目立つのは大きな身体だけではないのだが。




「じゃあ出てけ」




「いや、ここはどんな店だ?」




「あ? 店じゃない。ここは冒険者たちのギルドだ。そんな事も知らずになんで来た?」




 ギルド?……ああ、大量発生したモンスターを依頼で狩ったり遺跡などでアーティファクトを探索したりする『あれ』か。


 でもなんでだ? うすぼんやりした記憶の中にあるギルドは一攫千金を夢見た荒くれ者でもっと大賑わいだったはずだ。




「寂れてる……ってか?」




 どうやら顔に出ていたようだ。




「ああ、俺の記憶……いや知っている街ではもっと大賑わいだったからな」




「あ? この国の出身じゃねぇのか? この辺はどこもこうさ。街の壁を高くして移動はゲート様だからな。なんだってすぐ運べるから人も物もたいして街の周辺を通らねぇ。それを分かってかこの街の外には野生の動物はいても危険なモンスターみたいなのはほとんどいねぇ。旨みがねぇからな。そんなわけで夢と実力を持ってるやつは違う国に行ったり外に出たまま帰っちゃこねぇ。ま、実質開店休業だわな」




 店主はそう言いながら自嘲気味に笑う。




「そんな訳で暇だから話してやったがもういいだろ? 用がないなら帰れ」




 外に出たまま帰ってこない……




「なぁ、俺も冒険者っていうのになれるのか?」




「あ? そんな事は知らねぇよ。自分の腕にききな。それともその腰の剣は飾りか?」




 実際のところ剣には刃がなく、飾りみたいなものだったがあえて言う事でもない。




「あ、いやそういう事じゃなくて登録できるか?って意味だ」




「あ? ここでか? まぁ結論だけ言えば出来るが……オススメはしねぇよ。この辺にはまともな依頼なんかねぇ」




 指をさすほうをみるとそこには木の板と数枚の紙が貼ってあった。




<★★居なくなったチェリー(犬)を探して>


<☆ランサ国まで馬車の護衛急募>


<★庭の草むしり求む>




「なるほど……確かに数が少ないな。この星みたいな記号はなんだ?」




「あぁ、これは受けられる冒険者のランクだ。自分のランクの一つ上か一つ下のランクしか依頼は受けられねぇって仕組みだ。もちろん最初は一つ星のシングルスターだな。」




「って事は登録すればここにある依頼は全部受けられるってことか……」




 壁に貼ってある依頼を一つずつ確認しながら尋ねる。




「ん? いや、間違っちゃいないが白い星はランクじゃねぇ。フリーって事でどのランクでも受けられる。まぁその分裏があったり報酬が安かったり……ってな具合だな」




 なるほど、それなら。




「身分を証明するものは失くしてしまったんだがそれでも登録できるか?」




「おい、聞いてたか? 登録は出来るがオススメは……」




「じゃあ登録させてくれ。受ける依頼も決まってる」




「……ふん。まぁいいが」




 そう言いながら渋々といった様子でカウンターの下から一枚の紙を取り出す。


 長年登録者がいなかったとみえ、被ってしまった埃を払いながらカウンターに置いた。




「字ぃかけるか?」




「あぁ、大丈夫だ」




 ウォルトはペンを受け取り、書こうとした所でペンが止まる。




「おいおい、やっぱり書けないんじゃねぇのか? そんな奴ぁ沢山いるんだ、意地はらなくても代わりに書いてやるぞ?」




「いや……そうじゃないんだ」




 ウォルトはペン先を見つめる。


 そこには『名前』と書いてあった。




 ウォルト……この名前は記憶がなくなっていた自分にヴィクターが付けたものだ。


 この名前を使ってしまったら……しばらく悩んだ後にペンを走らせる。




 そこには迷いのない筆跡で書いてあった。




 エノス……と。


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