第5話

「マフィアに追われてるんですか?」

 夜も更けた頃、レオンが目覚めた部屋で、彼の隣でベッドに座るルチアが尋ねてきた。レオンは彼女の顔も見ずに首肯する。

 そう。レオンはマフィアに追われている。ルチア以外の誰かに聞かれたらまずい話だ。最悪の場合、レオンを追う者達に密告される。だから、ルチアに部屋の鍵を固く閉めてもらった。レオンとルチアも、小さめの声で話している。

 何故レオンがマフィアに追われているのか。それは────。

「俺は元マフィアだからな」

 何の疑問もなくそう吐き捨てると、ルチアはええっと声を上げた。

 それは当然だ。助けた青年が元犯罪組織の構成員だなんて知ったら、驚かない奴なんてまずいない。それに、マフィアがマフィアに追われるなんて、普通は考えない。

 膝の上で頬杖をついて、レオンは続けた。

「俺は組織の中の掟を破っちまったんだよ」

 組織の中の掟……レオンがかつて居座っていた業界では『血の掟』と呼ばれているものだ。

 マフィアは、組織のボスが、元々のレオンのような構成員に、服従と沈黙を厳しく命じる。それが形となったのが、『血の掟』だ。

 そのような掟を守らなければならない理由。それは、マフィアは秘密組織の代名詞とも言える存在だからだ。

 マフィアは秘密組織であり、犯罪組織でもある。だから、その存在を世に知られては困るのだ。その為に『血の掟』は存在している。

 『血の掟』の詳細はここでは語らないが、主な内容を開示するとすれば、大体は「他の組織や警察関係者に会ってはならない」「真実を語らなくてはならない」と言ったものだ。

 レオンが、元々仲間であったマフィアの連中に追われているのは、『血の掟』が大きく関係していた。

「二ヶ月前、俺は幼馴染と再会したんだ。俺がマフィアの一員になる前と何も変わらない、元気ばかり溢れてる奴だった。俺は正直嬉しかったんだ。昔からの知り合いが、今でも変わらずにいたことが」

 ルチアはそんなレオンの語りを、遮らずに黙って聞いている。真剣な顔をして、レオンの顔をじっと見つめていた。

 レオンはそんな彼女が気になりつつも、話を続けた。

「でもな。そいつは俺と同じ、マフィアの構成員になっていた。それも、俺とは別の組織の構成員だった。それをどこかで仲間に知られて、俺は掟破りと見なされたんだ。だから、何ヶ月も追われていた……ナポリからここまで、一人で逃げてきた」

 ルチアの顔は唖然としていた。夕食の頃まであった笑顔が、彼女の顔から全て失せていた。

 ふと、レオンは疑問に思った。

 何故彼女は、偶然助けた奴の身の上話を、こんなにも真面目に聞いているんだろう。出会ったばかりの赤の他人の話なんて、価値があるだろうか。

 これ以上話すのは、もう止めた方が良さそうに思えた。それが彼女の為だ。

「……もうよそう。お前だって、こんな話聞きたくないだろ」

 レオンはそう言いながら、頬杖をつくのをやめる。

 ずっと黙っていたルチアが、ほんの少しだけ顔を俯かせた。

「レオンさんが……マフィアの一員だったのは、驚きましたよ」

 たどたどしく言葉を繋いで、ルチアは声を絞り出していた。やはり、相当な衝撃を受けたのだろう。真面目に聞いてくれていただけマシだったと、レオンは一人で納得する。

 でも、とルチアは顔を上げた。

 レオンの目を真っ直ぐに見つめて、口を開いた。

「それでも、私みたいな赤の他人に、自らの状況を打ち明けてくれました。普通だったら、きっと何も言わないと思うんです。なかなか明かすことのできない正体を話してくれるだけでも、私はとっても嬉しいんです」

 両手を胸に当てて、ルチアは顔を綻ばせた。

 ────あぁ、とんでもないお人好しだな、このシスターは。

 普通なら、素性を打ち明けてもらえただけで喜ばないだろう。自分だったら、相手の悩みを解決するまで気が晴れない。解決してやろう、と必死になるばかりだ。

 だが、ここにいる彼女は違う。相手の悩みを一緒に抱えようとしている。そして、それだけで笑顔を見せる。

 どうしてこいつは、こんなに笑えるんだ?

 どうして────。

「ありがとうございます、レオンさん」

 救われたような顔をして、ルチアはレオンの両手を優しく包み込んだ。それに気付き、レオンは逸らしていた目を、真っ直ぐにルチアに向けた。

 白んだ素肌が、冷えたレオンの手に僅かながらの温度を与えてくるのが分かる。昼間より距離が縮まっているのも、今更気が付いた。

 彼女は真剣な眼差しになって、レオンに言った。

「私、貴方の力になりたいんです」

 一瞬、意味が分からなかった。言葉がレオンの耳をすり抜けていくのを感じた。

 貴方の力になりたい、と聞こえた。彼女はその言葉の意味が分かっている上で、レオンにそう言ったのだろうか。

「……本気で言ってんのか?」

「私はいつだって本気ですよ」

 彼女の言葉に嘘の色がないのを、レオンは彼女の声色で感じ取る。

 レオンには、『力になりたい』という言葉は二つ解釈ができる。

 一つは、「追われているレオンと共に逃げる」ことだ。

 だが、これは正直考えられない。ルチアは修道女だ。教会を簡単に離れられるような人間じゃない。彼女がいくらレオンとの逃亡生活を望もうとも、彼女の立場がそれを許してはくれないだろう。

 それに、レオン自身も彼女に今の生活をやめてもらいたくはない。見た感じ彼女は平和そうに暮らしているし、自分のせいでそれを壊すような真似はしたくない。

 もう一つは、「レオンが修道院にいる間だけ、彼に協力する」ことだ。

 レオンからすれば、こちらの方がとてもありがたい。傷や体力が回復したら、レオンはすぐに修道院を離れるつもりでいる。そうすればルチアも、この修道院の人々も巻き込むことは無い。

 ルチアがどちらの考えを持っているのかは知らない。だが、レオンは彼女の心を動かせる程の説得力を持ち合わせていない。

 どうにもできないことを悟ったレオンは、とうとう答えてしまった。

 「……分かった」

 ルチアには、いくら物を言ったところで敵わないと思う。一生かけたところで、きっと彼女にはある意味で勝つことはできないかもしれない。

 こんなにあっさり「負けて」しまうのは、多分人生の内で初めてだ。

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