第5話 3-A組 鴻ノ宮京香

 厄介な先輩達を皆に押し付けて私は一人、4階への階段を駆け上がる。2階と3階にも誰かいるかと思ったけどそんな事もなく、私はあっさり4階へと辿り着く。待ってて国塚先輩!今貴女のハニーが愛をお伝えに参りますわ!と廊下へ首を出して生徒会室の方向を見た瞬間、私は自分の首にギロチンが落ちるのを錯覚した。


「ひっ!?」


 反射的に私は階段へと逃げ戻る。そこからもう一度廊下を覗きたいけど、体が言う事を聞かない。考えたくない、いや下の二人を見た瞬間に薄々気付いてはいたけど、その事実を信じたくなくて私はそこから動けなくて


「くぉら天津坂あまつざか

「いたっ!?」


 ぱこん、と私は後ろから頭を叩かれる。

 そこには息を切らしながら階段を駆け上がってきた黒咲くろさきさんがいた。


「あれっ黒咲さんじゃん。どうやってここまで上がってきたの」

「あの後、他の運動部の連中も押し寄せてきたんだよ。そいつらに押し付けてきた。今は下で仲良くじゃれあってるよ」

「他の運動部もって、それでなんで黒咲さんだけが」

「上にアイツがいるって聞かされたら、全員ビビって諦めやがった。ケッ、フヌケの玉無し共が」

「えっ黒咲さんあるの!?」

「うっせええよバカ!」


 私達はそう言い合いながらそっと廊下を覗き見る。

 。確かにいる。いてはならない人が生徒会室の前で仁王立ちしている。

 パッと見は艷やかな黒髪を腰まで伸ばした、絵に描いたようなお嬢様。

 けどよく見るとなんかスケールがおかしい事に気付く。

 まず縦がおかしい。廊下の高さぴったりにそのお嬢様は収まっている。

 そして横もおかしい。女子高生離れした肩幅から連なるシルエットはほぼパワードスーツだ。

 3-A組、生徒会長のこう宮京香みやきょうか。身長179cm、体重75kg。元空手部主将でインハイ二連覇。通称、鉄拳の京香。

 そのシンプルすぎる二つ名は、厚さ1cmの鉄板に正拳で拳跡を付けた事に由来する。翔凰館しょうおうかん三大女傑の頂点にして翔凰館の絶対支配者だ。


「……だからってブルっててもしょうがねえだろ。ここは先に行かせてもらうぜ」


 その言葉は少し震えていたけど、それでも黒咲さんは階段を上がり、正面を向いて立った。そして堂々と宣戦布告を始める。


「ヘイヘイ生徒会長さんよ、そんなとこでの真似事かい?だったらその辺の動物園にでも行きな、アンタに似合いのゴリラが引っ掛かるだろうぜ!」


 黒咲さんのアメリカンな挑発に、生徒会長は視線だけをジロリと向ける。


「……弱い犬ほどよく吠える」

「あぁ!?」

「使い古された常套句にはそれなりの理由があるものだな。遠くで喚いてないでさっさと掛かってこい。これでも忙しい身だ」

「……じょぉォ!」


 その切り返しに沸騰した黒咲さんが真っ向からダッシュで距離を詰め、その勢いのまま左の横蹴りを打ち込む。体捌きは素人だけど体重の乗った良い蹴りだ。あれを土手っ腹に喰らえば、鍛えてない人間は吐きながらその辺をのたうち回るだろう。


 会長はその渾身の一蹴を、まるでゴムボールみたいに右手一つで受け止めていた。


「だろうなァ!」


 黒咲さんが掴まれた左脚を軸足にして、今度は右脚で顔面を狙って蹴り上げる。うわすごい、アレは素人がやろうと思っても中々出来ることじゃない。黒咲さんカポエラの素質あるんじゃないかな、今度誘ってみようかしら。


 会長はその蹴りもあっさり左手で掴んだ。両脚を掴んだ会長は、そのまま黒咲さんを逆さに吊るす。黒咲さんのスカートが捲れて下着が露わになった。


「うっわ黒咲さん、パンツえっちぃ!勝負なの、勝負下着なの!?」

「わーっ!バカバカ見んなぶっ殺すぞ!」


 黒咲さんがスカートを手で抑えようとした時、会長が死刑宣告のように呟いた。


「乙女の恥じらいも結構だが、今は頭を護った方が良いな」


 軽々と棒切でも振り回すように、脚の持ち方を変えた会長が黒咲さんをリフトアップする。


「やべっ……!」


 咄嗟に頭に手をやる黒咲さんに構わず、会長はゴミでも放るみたいに、


 黒咲さんを床に叩きつけた。


「かっ……」


 2m近い高さから、リノリウムの床へ向けてのバスター。

 手加減はされてたみたいだけど、病院沙汰になってもおかしくない荒業。

 だというのに。


「まだだ……アタシは、まだ……」


 黒咲さんは根性だけで、朦朧としたまま立ち上がった。

 目の焦点も合わず左右にふらつく黒咲さんの顔を、会長がそっと両手で包み込む。


「脆いな」


 そう呟きながら、会長が右膝を腰の辺りまで持ち上げた。

 まずい、アレは――


「愛おしくなるほどに」

「黒咲さん逃げて!!」


 私の叫びが届く前に、会長が上げた右脚を振り下ろす。


フンッッッ!!」


 爆発音にすら似た震脚の音が校舎全体に響き渡った。

 両掌からの寸勁が黒咲さんの体を縦に貫通する。

 完全に意識を失った黒咲さんが会長の体にもたれ掛かり、そのまま滑るように床に落ちた。

 

 あまりにも、桁が違いすぎる。


「次はお前だ、天津坂。それでこの下らない茶番も終わる。さっきも言ったが私は忙しいんだ」

 

 最初の立ち位置から一歩も動かないまま、言葉だけで会長が私を引き摺り出す。

 今のを見て勝ち目があると思えるほど私は楽天家じゃない。

 正直逃げたい。何もかも忘れてお布団かぶって眠りたい。

 でも、私はやると決めたのだ。だったら、やれることは全部やらなくては。

 沈んでいった黒咲さんの分まで。


「……会長、一つ聞いてもいいですか」

「なんだ。手短に話せ」

「下の二人もですけど、なんで会長はそこまでやるんですか。私達が先輩に告白しようとするのがそんなにいけない事なんですか」

「別にそれ自体に大した興味はない。ただ、スピカから頼まれたのでな」

「……スピカ?」

の生徒会長だよ。來見沢くるみざわスピカ。お前がまだ入学する前の話だ。『二年後、景吾がちょっと面白い事になるからフォローしてやって欲しい』とな。言われた時は何の話かと思ったが、まさかこうなるとは。結局あいつは底の底まであの女に見透かされ、転がされていたという訳だ。まああの未熟者には似合いの末路だろう」


 何の話だか、飛び過ぎててさっぱり分からない。けど、一つだけ聞き逃がせないことがあった。


「未熟者って、国塚先輩の事ですか」


 いつの間にか、私は拳を握りしめていた。


「当然だろう。なんだ、お前まだ分かってなかったのか?アレが掛け値なしの善意と博愛で駆けずり回ってるとでも思っていたのか。アレはただ自分の事しか考えていない愚か者だ。傲慢にも遙か彼方の星に手を伸ばし、走り続けるだけの猿。その過程で自分が何を踏みにじっているのかを知りもせずにな。その結果がこの馬鹿騒ぎだ。お前や黒咲を始め、多くの人に迷惑を掛けた。これが未熟でなくて一体何だ」

 

 ……やっぱり会長の話は意味が飛びすぎていて分からない。それでも分かったことが二つある。一つは、国塚先輩は私を、私達の事をまるで見ていないという事。

 いや、ずっと前から気付いていた。私が初めて国塚先輩に助けられた時、ほんの一瞬だけ目が合った。私はそれからずっと国塚先輩を追い続けて、なのに私はそれ以降、先輩と一度も目を合わせていないのだ。

 私達は皆、ただ懸命に走り続ける先輩に憧れた。一度もこちらを振り返りもしないその背中にこそ惹かれたのだ。だからその想いには何の報いも無くて、私達の心は苦しく、痛み、傷ついて。


 そしてこの女は、私達のその痛みを「迷惑」と言った。

 覚悟を決めるには、それは充分すぎる理由だった。


 私は会長に背を向け歩き出し、少ししてから振り返る。

 目測、会長まで大体40m。よしバッチリ。


「会長、私が陸上部だってご存知ですか」


 私は改めて、会長に宣戦布告を開始する。


「……ああ、河野森こうのもりから聞いている。難しい子だけど素質は十分、アレで真っ直ぐ育ってくれればと嘆いていたぞ」


「へえ、そんな風に評価されてたんですか。じゃあ私の得意種目はご存知ですか」


「いや、それは聞いてなかったな」


「そうですか。じゃあ今から教えてあげますね」


 私はその場で、クラウチングスタートの姿勢を取る。


「ほう、それは楽しみだ」


 それだけでもう私が何をする気かを悟ったのか、会長がこちらに対し半身の構えを取る。左手をゆるく前に出し、右の拳を腰溜めに。誰が見てもすぐ分かる構え。

 右の正拳中段突き。

 これで準備は整った。


「じゃあ行きますね」

「ああ、いつでも来い」


 ゲットレディ。


 両手両足に、ありったけの祈りを込めて。


 ゲットセット。


 光る両目で獲物を見据え。


 ゴー。


 私は一匹の獣となる。


 床を蹴り、私は会長に向かって一直線に駆け出した。ブレーキという概念をスタート地点に置き去りに、ただひたすら前に、速く、速く。永遠にも思える時間が一瞬で過ぎ、数秒もせず私は会長に肉薄する。衝突まであと10m、目印はその中間にある廊下の窪み。0.2秒でそう決めた。会長の構えがより深くなる。けどもうこっちも止まれない。あと0.03秒、あと0.02秒、今!


 力の限り踏み切って、私は全力で前に飛ぶ。

 貫け、私の走り幅跳び6m07。


アアァッ!!」


 会長が空中の私に向けて、全力で正拳を開放する。

 ゲット。その断定を待っていた。

 会長、やっぱりあまり陸上には詳しくないんですね。

 私は今、左足を前に伸ばし、右足を後ろに曲げている。

 これは正しい幅跳びの姿勢じゃない。

 伸ばした足を下に振ると、右膝が反動で上に来る。体幹が垂直から水平になり、そこから体を捻って右膝を直上から振り下ろす。連動して後ろに下がった私の顔を会長の正拳が掠めていく。


「何っ!?」

ぅぅらぁえぇーーーーッ!!」


慣性はそのままに。流星と化した右膝が会長の顔面を直撃する。

どうだ!走り幅跳び式ローリングオーバーニー!

思いつきはしたものの実際やったら死んじゃうから今日まで封印してきた私の切り札、私の人生の集大成だ!いくら会長でもこれを食らえば――


「ぐぅっ……!」


 会長は咄嗟に膝を額で受けたらしく、少し態勢を崩して後ろに数歩下がっていた。気絶どころかダウンすらしないと来た。この人やっぱロボットなんじゃないかしら。

けどこれで充分、会長は最初の立ち位置から数歩下がり、私は生徒会室の入口の前に立っている。私は手を伸ばし、生徒会室の入り口を開け放つ。


「国塚先輩、私です!2-C組の天津坂宮古です!私、私は先輩の事がずっと――」


 長机にパイプ椅子とホワイトボードの生徒会室。その中央に立っていたのは私がずっと追い続けてきた、広く逞しい背中の――


「まさか本当に辿り着くとはね。天津坂さん、申し訳ないけど国塚先輩はここにはいない。彼は今、東棟一階の職員室にいる」


 ではなく、私と同じくらいの背丈で眼鏡を掛けたお人好しそうな同級生。

 2―B組の宮島公司みやじまこうし書記だった。



 


 

 

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