第20話上 崩壊と再構築、忘却の記憶は突如として一つの運命を呼び寄せる

第20話上 崩壊と再構築、忘却の記憶は突如として一つの運命を呼び寄せる(著者/ソルティア)


 一連の喧騒が過ぎ去った後のコインパーキングは、異臭と沈黙とに包まれていた。そこにいたのは、蓮と、メーネと、そして――魂を焼かれてその場に伏している、透のみである。重く静かな空気は、立ち尽くす蓮とメーネに重くのしかかってくる。空を見上げれば、二人の目には、空にポッカリと空いた深淵がこちらを覗き込んでいるようであり、そのことが尚更の混乱を招き入れていた。

「姉さん、一体何に巻き込まれているんだよ」

 徐に口から出たのは、身内のことであった。一年離れているとはいえ、やはりそこは家族ということらしい。

 しかし次には蓮は一度かぶりを振り、そうして空の深淵を見上げて、口を開いた。

「メーネ、結界は消えたんだよね?」

「えぇ、恐らく」

 メーネは、短く答えた。

「なら、鈴は助かるんだよね?戻って来れるんだよね?」

 蓮の言葉は、言外にそうだと言ってくれと、そう訴えているようですらあった。否、事実訴えいるのだろう。言葉には焦りが見て取れた。

 しかしメーネは直ぐには口を開かず、沈黙を送った。

「メーネ!」

 半ば怒鳴るような声色を蓮が上げると、ようやくといった具合に、メーネが徐に口を開いた。

「多分……帰れるわ、多分。けど、貴方はそれでいいの?」とメーネ、「下界に降りた私は、もう塔の管理者ではないわ。ただの一人の精霊よ」

 蓮は沈黙を持って、話の続きを促した。

 メーネの言葉は、どこか少し歯切れが悪い。

「今なら、まだ契約ができる」

「それでも――まずは鈴を塔から連れ戻すことが、先決だ」

「そう。なら、仕方ないわね。やってみ――」

 しかし、それ以上のやり取りをする事は、蓮には叶わなかった。

 蓮は急激な立ちくらみに襲われた。疲労と、魔力の酷使と、それから――五度に渡る臨死体験の影響だろうか。そうして自らの意識が途切れ行くのをただ、蓮は他人事のように受け入れた。

「蓮!」

 サラが蓮の中から飛び出して、駆け寄った。彼女は彼の精霊である。きっと彼が限界に限りなく近しいとこにいたのも、知っていたはずである。

 しかし、メーネはそれを平然と見送り、呟いた。

「そう……。先に、行くのね。精霊の塔に」

 メーネの視線の先は、またもや空に空いた深淵に向けられていた。

 メーネは塔の番人である。それは即ちメーネとは塔の管理者であり、ならば塔の事を良く知るメーネが、かつての記憶を半ば取り戻しつつあるメーネが、自身の身に何が起きていおり、塔がどういう対応を取るのかも、大方分かってしまう事に同義である。だからこそ、帰れるという保証も無く、またそれは即ち――

「やるだけ、やってみようかしらね」

 メーネは半ば諦念の目で、独り言ちた。

 真夏特有の照りつける日差しと、ガソリンの異臭と、沈黙だけがメーネに襲いかかる。

 ――幸いにも、騒ぎにはなっていないらしかった。


「なあ、ガルフリート」

「どうした、兄弟」 

 ポツ、ポツと光りだす街灯の中、二人――否、一人が佇んでいた。氷矢である。周辺に他に人影はいないらしかった。

 結局今日は、彩に魔法についての基礎を片っ端から教えるだけで昼間を使ってしまっていた。そうして彼女を見送り、姿が見えなくなった頃合を見て――氷矢が徐に口を開いたのである。声色は妙に落ちついており、夕方の西日が氷矢に影を落とす。

 一方のガルフリートもやけに落ち着き払っており、それがこれからの会話の内容を示唆しているようであった。

「どうして、何も聞かない?」

 氷矢が見つめる先は住宅街の曲がり角であり、そこは既に姿を消していた彩の行った道であった。頭上の街灯が、微妙な時間故か、それとも単なる老朽化か、チカっ、チカっといった具合に明滅していた。

 ガルフリートの姿は見えず、どうやら少年の中にいるらしかった。

「兄弟こそ、何も言わなかったじゃねえか」

 空気は生暖かく、時折そよ風が吹き抜ける。その度に氷矢の髪はゆられ、しかし涼しいとは感じられずにいた。

 重苦しい空気の中、思い出したように烏が泣いた。だがそんな事は二人にとってはただの環境音でしかなく、特段それについて何かを思うことも無い。

 長く伸びた影はどこか不気味で、しかしそれについても特段気にする事なく、だというのに氷矢は視線を落とし、その影をジッと見つめていた。否、単に俯いただけだろうか、焦点は合っていない。

 沈黙の中を支配するのはそういった空気感のみであり、しかしそれを気にも留めないでいる為か、二人の沈黙は重かった。

「そうだな」

やっとの思いで氷矢が外に出した呟きは、唯の肯定の表しであり、であればそこに意味は無い。そうすると再びの重苦しい空気がのしかかって来て、思わず氷矢は嘆息した。

 そうして氷矢は、顔を上げ――

「思い出したんだ。全部」

 短く、そう言った。


「管理者権限を執行、我を塔へと誘い給え」

 浮かび上がるのは、魔法陣。メーネの足元に現れたのは、解読不能の言語が書かれた、複雑怪奇な魔法陣であった。その一文字一文字が鮮明に、けれど全体を損なわない程度に発光し、そうして魔法陣はゆっくりと右へと回転を始める。空気は混乱し、全てがメーネを中心に捉えて渦を巻く。あたりに満ちるのは最早沈黙と異臭ではなく、地上の荒天と神聖さであった。失われたはずの神聖さが輝きを取り戻し、その透過しそうでしない不可思議な衣服がはためき、だというのに荒天は常人の目には映らない。彼女は精霊である。それは即ち、人らなざるものであり、ならば巻き起こる荒天もまた、人ならざるものであった。

 魔法陣が輝きを増す。然れどそれも常人の目に映ることはなく、全てが虚構である。 

 メーネは目を閉じた。全ての理を受け入れうるように、全ての結末を、顛末を受け入れるように。

「メーネ、何を――」

 サラが呟いた。しかし、メーネは見向きもしない。

 そうして、やがて――

「きゃっ」

 魔法陣は消滅した。弾かれたのである。塔は既に人格者としてのメーネを手に入れたのだと、だから要らないのだと、メーネの術を、管理者権限なるものを拒否したのである。

「やっぱり、もう遅いのね」

 しかしその事を特段気にする様子の無いメーネは、改て諦念の意を込め、嘆息した。

 見上げた空の深淵の向こうでは、朧げな形の塔が姿を表し――崩壊を始めていた。

「塔の再構築――始まってしまうのね」

 メーネは、意識を失った蓮を一瞥して、また嘆息した。

「ごめんなさい、蓮」とメーネ、「でも……諦めて」

 メーネは踵を返した。蓮の元を離れるつもりらしかった。

「待って」

 しかし、それをサラが止めた。

「どこに行くの」

「さあ」

「何が起こっているの!鈴はどうなるの!諦めてって何!」

 しかし、メーネは答える事なく歩みを進めた。

「メーネ!」

 ――メーネが振り返ることは、一度としてなかった。

 そうして、メーネは夕闇の中へと消えていった。

 空の上の深淵は、今やサラにもはっきりと目にする事ができた。

「鈴……大丈夫なの?」

 夜がもうすぐ始まろうとしていた。

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