第16話 人々は過ちを繰り返し、そうして忘却の過去は突然として思い起こされる

 16話 人々は過ちを繰り返し、そうして忘却の過去は突然として思い起こされる (著者/ソルティア)


 いつの話だっただろうか。数百年も前かもしれないし、ひょっとしたら十年も経ってないのかもしれない。最早記憶は掠れ、薄れ、何れ消え失せる。だというのに、どうして今――


「おーい、紗々」

 聞き覚えのある声が聞こえてきた。名前は――思い出せない。

「なぁに?」

 少女――多分私だ――が聞き返すと、少年は自慢げに胸を張って、私に笑顔を向けた。

「新しい魔法を編み出したんだ、今から見せてやるよ!」

 少年は確か、魔法使いだった。私は違う。年齢は――思い出せない。いつの時の話なのか、そもそもそれが分からない。ぼんやりと思い起こされる背丈は、きっと八歳とか、そんな感じだった。

 ――時は流れた。背丈はもう四歳程成長しており、落ち着きの無かった少年は、すっかり成長していた。穏やかだった。平穏そのものだった。少年と私は仲が良かった。私も成長し、正しく平和だった。けれど世の中は戦乱で溢れ、過酷が渦巻いていたという。隠れ里である故郷では、無縁な話であったが。

 ところが、平穏は突如として壊された。他でもない、その無縁な戦で。

「おい、何だアレ」

「神の祟だ、祟りだ」

 大人たちは口々にそうはやし立てる。曰く、「空に真っ黒な穴があいた」だの、「あの真っ黒い穴から少女が落っこちた」だの、馬鹿げた話であった。それもそのはずで、私にはその真っ黒なお空の穴は見えなかったのだから。

 けれど、少年は違った。

「お前には見えないのか?」

「うん」

 魔法使いなら見える――というわけでもなく、魔法使いで、それも一部の人達だけが見ることができたという。今思えば荒唐無稽な怪奇伝説――なのかもしれない。けれど、私たち里の人間は、見えようと見えまいと、口々に祟りだ、祟だ、神様の祟だとはやし立てた。

「どうして、私には見えないの?」

「魔法使いじゃないからかな」

 少年は言った。

「でも、魔法使いじゃなくても見えない人はいるよ」

「分からない。けど、僕には見える」

「落ちてきた女の子は?」

「うちで預かってる」

 少年の家で預かっている女の子は、名をメーネと名乗ってるらしい。聞き覚えのない名前だった。もっと言えば、それが名前なのかも怪しかった。私は里で噂になったとき、一度だけその姿を見ていたらしく、しかしその容姿は思い出せなかった。

 ――さらにそこから少しだけ時が進んだ。何やら、神様を鎮める為――未だ空の穴は消え失せていないらしい――、神様に生贄を捧げる、というの話らしい。その白羽の矢が立ったのは――私だ。

「ふざけんなよ!なんでお前が生贄にならなきゃなんねえんだよ!」

 私は、優しくかぶりを降っていた。

「なんで……お前も抵抗しないんだよ……」

 けれど私は、やっぱり憂いの表情でかぶりを振った。

 それから儀式の日まで、少年は走り回っていた。大人たちに、儀式をやめさせるよう、せめて、私以外を選ぶように、と。無駄なのに。


 ――また、少しだけ時が進んだ。里の中央では、円形に置かれた丸石が、今か今かと炎を待っていた。私は純白の装束に身を包み、そこを見据えていた。恐怖は無い。後悔は――少しだけある。覚悟はとうに決まっていた。空の穴は、未だ健在らしかった。短い人生であれど、悪くは無かった。それに、私の犠牲が神様を鎮めることが出来るのなら、それはとても誇らしく、また喜ばしい事だと思っていた。

 だというのに――

「お前……怖くないのか」

 振り返れば、少年がいた。寂しそうに、悲しそうに、悔しそうに佇んでいた。

「うん」

 私は、ただ頷いた。

「悔しく……ないのか」

「うん」

 また、私は頷いた。

 里の重苦しい空気だけが、二人の間に降り注いだ。月は満月であり、星々はただ静観していた。私には空の真っ黒な穴は見えないでいた。

「なんで――」

 少年は、やっと口を開いた。垂れ下がった握りこぶしに、力がこもっていた。

「神様が望んでいるのなら、里の皆が望んでいるのなら、私は受け入れるしかない」

 私の言葉に、力は無かった。

「お前は、それでいいのかよ」

 私は、無言で頷いた。それしかないのだと、それでいいのだと。

「いいわけがないだろ。いいはずがないだろ」

 私は、何も言わなかった。ただ無表情で、静観した。

「お前に意思はねえのかよ!感情はねえのかよ!」

 少年は怒鳴るように、私に言った。けれど私は、それでも静観していた。

「お前に――願望はねえのかよ……」

 無い。そんなものは、選ばれた時点でとっくに捨てた。選ばれた時点で、私は自分という存在を捨てた。あるのは、感情の欠けた、人形のような私だけ。

 だというのに、私は口を開きあぐねた。その覚悟に、その選択に、迷いが生じた。

 ――少年は、涙を流していた。

「なんで、泣いているの?」

 少年は、それでも決して私から目を背けなかった。

「別れを、悲しまない奴がいるかよ」

「そう……かもね」

 私は呟いた。けれど、そこに感情は無かった。

 再びの沈黙が襲った。空気は重たく、私たちを押しつぶそうと襲いかかる。気が付けば、私は震えていた。

「なあ」

 少年が口を開いた。

「一緒に、どこか別のところに逃げようぜ」と少年、「そしたら、こんなところで終わる必要なんてなくなるんだ」

 少年は、涙を拭い、私を見据えていった。けれど私は――かぶりを振った。

「それは、できない」

 少年は、「そっか」と、頭を垂れた。

 そうしてまた、再三の沈黙が襲った。長かった。苦しかった。今になって怖くなってきた。決めた覚悟が、明確に揺らいでいた。体の震えは一層強くなっていた。吹き付ける風が、やけに冷たく感じられた。

 ――もうまもなく、儀式の開始の時間だろうか。

 私は歩き出した。小さく、小さく。一歩が半歩に、二歩が一歩に、歩幅は小さく、恐怖は大きく、けれど後悔は小さく、私は歩みを進めた。

「待てよ」

 私が少年の横を通り過ぎようとした時、彼はようやく口を開いた。

 私は立ち止まった。だというのに、少年の次の言葉は出てこなかった。再びの沈黙は、けれど私にはいい加減耐えられなかった。

「ごめんなさい。もう……行くね」

 少年は、俯き、力のこもった拳を震えさせ――かと思うと、その手を解いた。そうして、少年は私の方を向いて――唇を奪い去った。

「俺の、気持ち」

 それは、一瞬であった。感触は思い出せない。重ねた時間は、正しく一瞬だった。

 私は、立ち尽くした。

「行くんだろ。早く……行けよ」

 彼の目には、もう涙は無かった。代わりにあったのは、憂いを帯びた、優しい目。

「ねぇ」私は言った。言わなきゃ、もう言えないから。

「ありがと」

 少年は、ただただ頷いた。私は、胸の内から溢れ出る何かを押さえつけ、収まった震えを確認する暇もなく、確かな歩みを持って儀式へと向かった。歩幅は自然に、表情も自然に。一歩は一歩で、二歩は二歩。恐怖は小さく、けれど後悔はどこか大きく――それでも尚、私は儀式の場へと歩みを進めた。

 ―景色が移り変わった。歩いた風景は朧げで、曖昧だった。だから、次に見えたものは、私が円形に置かれた石の向こう――その周りを大人たちが囲む、儀式の場の中央だった。大人たちは、私に口々に別れを惜しむ言葉をかけ、家族は涙を流した。

 そうして儀式の準備として、私を中心に、大人たちは木を組み始めた。井桁型に、下段を水平に二つ、その上に互い違いにまた水平に二つ。真ん中だけを空け、私を囲むように木を組み始めた。やがて木が私の背丈を超え、間もなくすると、木組みは終わったらしく、沈黙が訪れた。

 神主が祝詞と、すすり泣く声が耳に届いた。

 私は――目を閉じた。現れた暗闇は静寂そのもので、これこそが死後の世界そのものだと、そう思えてきた。 

 ――暗闇に、光が差した。轟々と、火の燃え盛る音、パチパチと木々の藻屑が弾けつ音が耳に届いた。体温をあっと言う間に上昇させ、体中から汗が噴き出した。 

 もう、終わりなんだ。そう思うと、無性に悲しくなり、また悔しく感じてきた。

 全身が痛みを訴えだした。純白の装束はあっと言う間に燃え盛り、私を業火が包んだ。痛い、熱い、苦しい、泣きたい、叫びたい、早くこの苦痛から逃れたい、早く――死にたい。死にたいと思ってしまった時、私は私に触れた少年の感触を思い出した。涙が出た。痛みからではない、悲しみからの涙。けれど私がそれを認識した刹那――私の世界は暗転した。


 ――また、時が進んだ。私は、覚えのある間に佇んでいた。朧げで、曖昧で、不鮮明で、それでいてぼやけた場所。色は純白で、汚れは無い。

 私の全身に痛みや、苦痛、ましてや火傷の後などなく、けれどこれが先の直後のものであると、何故だか理解できた。

 否、私であるはずの私は確かに私ではあるものの、自分でもわかるほど私ではなくなろうとしていたのである。そうして私は、魂の選別だの、この場所に訪れる異端者の相手などを、私が私で無くなるのを感じながら、ただこなしていた。どうやら、それが贄である私の勤めらしかった。

 そうしてやがて思い出したのである。あの時、空から落ちてきた女の子――メーネの姿を。何しろ、その姿こそが、今の私であったのだから。


「私は――」


「おはよう、メーネ」

 ――夢、だったらしい。それは、忘れ去られた記憶らしいかった。いつの間にか意識を失い、道端で倒れたらしかった。私は蓮の膝の上で、覗き込まれるようにして見守られていたらしかった。

「――どうして、泣いているの?」

 泣いていたらしかった。自分ではわからなかった。だってそれは、久しく忘れていた行為であったから。

「懐かしい記憶を――思い出したかしら」

「どんな?」

 私は、知っている。あの後、落ちてきたメーネがどうなったのかも。

 この状況は、あの時とまるで同じらしい。落とされて、帰れなくなって――この後どうなるのかも。

 私は嘆息した。そして涙を拭って、もう一度嘆息した。

「きっと大事な事だから、話しましょう」

「お願い」

 蓮は、頷いた。

 私は、ゆっくりと口を開いた。

「私がこっちに長くいれば、私は消えるわ」

「なんで……!」

 私は、蓮の膝の上から頭を上げ、立ち上がると、かぶりを振った。

「かつて――と言っても、いつのいつの話かは知らないわ」と私、「けど、かつてにも似た様なことがあった」

「だから……消えるのがわかるってのか?」

「えぇ。そうして――誰か、身近な人が贄として、きっと塔へと招かれる」

 武道館は、もうまもなくらしかった。


「ねぇ、星神君」

 華奢な体の持ち主――彩が、ミルクと砂糖増し増しのコーヒーに口をつけてから、口を開いた。

 あの後、翌日まで目を覚まさなかった彩を、仕方なく氷矢がベッドに寝かせ、氷矢自身は自室でそのベッドに突っ伏して夜を明かした。それから、先に目を覚ました彩が気まずい顔でベッドに腰掛けていたのを、氷矢が寝ぼけ眼で捉えると、その直後に朝食だと氷雨に呼ばれ、そうして朝食をとって今に至る。

 互いに、「おはよう」、「いただきます」、「ごちそうさまでした」等の挨拶やその他返答を除いては、終始無言であった。それの無言の重苦しい雰囲気を、ガルフリートも氷雨も、気まずげに遠巻きから見ていた。そうしてその沈黙を破ったのは、他でもない彩であった。

「なんだ?」

「気、失ってたみたいだね。私」

「魔力を使いすぎたんだろ」と氷矢、「で、どうしてロ……先輩が御三家の精霊と契約しているんだよ」

 彩は少し考えるような素振りを見せたあとで、口を開いた。

「助けるためだよ。姫神さんを」と彩、「だからさ、星神君。私に、魔法を教えてよ」

 その目は、決心に満ちていた。

 部屋には、三人と一匹分のコーヒーの香りが充満していた。

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