第7話 冒涜的な人生は、然れど唐突にその序章を迎える

 第7話 冒涜的な人生は、然れど唐突にその序章を迎える(著者/soltia)


 天頂にアンドロメダが輝きを一層主張する暗闇に、その彼女は居た。パーカーフードを深くかぶり、夜闇に溶け込むような、或いはそのもののような出で立ちの存在は、その口元を歪ませた。

「楽しい……。これよ、これが私の求めていたものよ……」

 その彼女は、自らのダークブラウンの髪先をいじりながら、愉快そうに一人微笑んだ。

 静寂な暗闇はしかし喧騒に包まれており、背後では暗闇で一層の光源と化した業火と、そこに向けて集結する様々なサイレン音がひっきりなしに鳴り続けている。

「ねぇ、ジャック。あなたは楽しい?」

 彼女は誰に向かって言ったのか、独り言のように、誰かに話しかけた。

 ――返事は、帰ってこない。それでも愉快そうに、ジャック、ジャックとその不詳の呼称を口にしながら、同様に返答のない会話を繰り返いた。

 そんな夜道をゆったりと歩き、やがて彼女は公園の中へと足を踏み入れていた事に気がついた。

「ついでに、ここも焼いちゃおうかしら」

 何を思い立ったのか、或いはあの快楽に酔いしれたのか、狂気を含ませながら、けれどそのフードに隠れた瞳は歓喜を望んでいた。

 彼女が何かをしようと右腕を横に突き出そうとした刹那、サイレンに包まれた喧騒の中で、一つの別種の存在の音が彼女の耳に入った。

 ――足音だ。それもゆったりとしたものではなく、明らかに急いでいると主張するものである。即ち、誰かが彼女の元へと走ってやって来ようとしていた。

「誰……」

 彼女は咄嗟に、その足音の方向を凝視した。

 暗闇の中にいても、その存在が誰なのか、少女にはわかった。真っ黒な長髪が忙しなく揺れ、華奢なその小さな存在は、見た目通りの上下セットのパジャマ――薄桃色を基調に、レースや水玉模様などがあしらわれたもの――の上に、薄手の白のカーディガンを羽織った少女。

あや……」

 不意にでたその呟きが、少女の存在を表していた。

 ――神代月かみしろづき彩、それが少女の名であった。

 すれ違いざまに発したその声は、彩の足を止めるのには十分であった。

「えっと……」

 けれど顔を判別できない彩にとって、彼女が誰であるのかは理解できずにいた。

 彼女が仕方なく嘆息を交えてフードを上げると、彩はその名を呟いた。

「刈谷さん……?」

 彼女は、刈谷里香であった。

 何故わざわざこの夜更けに出歩いているのかと疑問を持つ彩は、それを口に出した。

「どうして、ここに?」

「それは私のセリフ――です」

「火事、火事が……!知世さんの家の近くだから、行かなきゃって」

 慌てているのか、或いは焦っているらしく、今にも駆け出しそうな彩であるが、里香を不審に思ったのか、さらに続けた。

「刈谷さんは、なんでここに」

「散歩――です」

「どうして平然としていられるの!友達が……死んじゃったかもしれないんだよ!」

 けれど里香は動じることなく、「そうですね」と呟いた。

 刈谷の返答に納得の行かないらしい彩は、けれどその要領を得ない齟齬に、焦りと不安を感じながら、沈黙を送った。ならば会話はそこにはなく、自然夜の静寂とは程遠いサイレン音だけが鳴り響いた。それが一層の彩の不安と焦りを誘った。

 そうしてしばしの沈黙の後、里香はそれ以上の会話を拒否するように、歩みを進め、彩に背を向けた。しかし、彩はそれを黙って見送ることはなく、振り返って、咄嗟に口を開いた。

「あなたは――刈谷さんじゃない」

 そこに明確な根拠は無く、であればあるのは直感か、出鱈目のどちらかだった。

 けれど里香の歩みを止めるのには十分だったらしく、彼女は振り返って、不吉な笑顔を見せた。

「へぇ、どうしてそう思う?」

 この言葉こそが、彩にとって確証を得るに値するものであった。

「生徒会長がこんな夜更けに出歩くはずがない」

「先入観で話を進めるのは、話を聞く気がない証拠です」

 鋭く、射殺すような視線を向ける里香に、しかし彩は怯まなかった。

「さっきだって、刈谷さんの言葉じゃなかった」と彩、「それに、刈谷さんはそんな目はしないよ!」

「流石にわかっちゃうか」

 里香らしき存在は、その場でフードを追いやってその顔を確かなものとした。

 ――間違いなく、刈谷里香であった。しかし彩は、最早そこにあるのは根拠ではなく確証であり、不安よりも怒りを感じていた。

「まあいいよ」と彼女、「死にたいなら、最初からそう言ってくれれば良かったんだよ、神代月彩」

 彼女は殺気と共に、右腕を横につき出すと、どこからともなく怪物のようなものが姿を確かなものとした。その怪物は南瓜が顔の形に彫られており、その下にはふわふわと不自然にまう黒い布が付いていた。 要するに、ジャック・オー・ランタンである。

「何……」

 不安げに見つめる彩に、けれど里香らしき人物は愉快そうに口の端を吊り上げた。

「私はね、潔癖な魂が燃えて消え失せる様の虜になっちゃったらしいのよ」と里香らしき人物、「だから、私は今から彩、アンタでその快楽を楽しむのよ」

「何を言っているの……」

「分からないなら、それでいいわ」と里香らしき人物、「無知はそれを既知に変える為に存在するもの。そして私が、今ここでそうするのだから」

 瞬間、里香らしき人物は彩に向かって業火を放った。それは、生存そのものを罪と捉える、裁きの炎。彼女の憎しみが込められた、どす黒い火炎。

 火炎は彩へと間違いなく放たれ、彩は唐突な異形の力の前に困惑と戦慄を覚えたらしく、ただただ立ち尽くした。けれど同時に怒りも湧いてきたらしく、その瞳は絶望ではなく、何かを訴えていた。しかし、魔法を知らぬ彩にとって、その光景は驚愕であり、身体よりも先に、思考が焼却されてしまった。

「どうして――こんな事を」

 彩は為すすべもなく、たちまち火炎に包まれ、業火の中で目を閉じた。

「――うふふふふふ……あっははははははははははははははははは」

 彼女は、壊れてた。

「ねえ、ジャック。やっぱり美しいわよ、これ」

 ジャックというのはつまり、彼女の隣を浮遊するジャック・オー・ランタンの事である。

 彼女は極めて愉快そうに笑い始めた。これでもかという程に、騒がしい暗闇で、一人感情に任せて笑っていた。しかし彼女の目尻には、僅かな罪悪感が潤んでいた。

 そうして一頻り一人壊れたように歓喜の声色を排出していると、ふと視界の奥に、何時までたっても燃え尽きない業火と、もう一つの存在を目にし、その歓喜は直様消え失せた。

 ――魔法陣である。彩の足元に浮かぶのは、巨大な、八畳程の大きさの魔法陣。彼女ですら見たことの無い程巨大で、戦慄を覚えさせるのには裕に容易いそれは、幻覚としか捉えられなかった。

「魔法陣……?どうして!彩は魔法使いじゃない――」

 そこまで言ってから気がついたらしかった。あの魔法陣の形や、文様には彼女も覚えがあった。

「精霊召喚の魔法陣……」

 それは、魔法使いの素質のあるものが精霊を呼び出し、契約を結ぶ通過儀礼。即ち、彼女も経験したものであった。だというのに、今回のこれは余りにも巨大で、異様で、馬鹿げたものであった。

「この規模の魔法陣だなんて、馬鹿げている……!」

 思わずかぶりを振る彼女に、しかし陣は輝きを増し、暗闇の中に閃光を描き出した。

 腕で覆って視界を誤魔化す彼女だが、閃光は輝きを増し続け、目を閉じざるを得なかった。そうして寸分の後に光は虚構となった。

 痛む視界を強引に開き、状況を確認しようと彼女が目線を彩に向けると、そこに業火はなく、また彩もなかった。

 そこにいたのは、彩とよく似た、しかし髪が月光に映える銀のそれとなっている存在がいた。そうしてその銀髪の少女の背には――龍が居た。巨大な蛇の様相であり、二つの鋭利な角を頭頂より後ろへかけて生やし、細く長いヒゲを靡かせる。その太く、長い体には鋭利な鱗を無数に生やし、その途中に二つの腕を生やしていた。

 さらにその長い胴体からしたら邪魔そうであるが、その途中に不鮮明な翼を三対六翼生やしていた。その姿は、正しく伝説の龍であり、多少の違いこそあれど、里香のような存在を驚愕させるのには容易かった。

「なによ……それ……」

 里香のような存在は、けれど返答することなく、代わりに彩を見据えて何かを呟いた。

「汚レシ精霊ヨ、汝ハ黒キ、元ハ白キ。今尚汚レヲ豪ト成スノナラ、我汝ヲ潔白セン」

 しかしその声は里香のような存在に届くことはなく、彼女は恐怖に震えていた。

「我、天之風雷御龍ヲ持チテ、降霊ノ使命ニ基ヅキ、汝ヲ開放ス」

 天之風来御龍、その存在だけが彼女に木霊した。それは、古より伝わりし存在。即ち――

「天之風雷御龍――御三家は、とっくに滅んだはず……!ふざけるなあああああああああああああああああああああ!」

 恐怖はやがて怒りとなり、彼女は無謀にも銀髪の少女へと火炎を放出した。しかし火炎は龍の天之風雷御龍が巻き起こす雷撃を纏った疾風によって、無残にも消滅した。

「汝、抵抗ハ無謀ニテ不詳。故我汝豪ヲ持チテ潔白ヲココニ全ウス」

 銀髪の少女が腕を突き出し、攻撃の命令を下すと、天之風雷御龍が彼女に雷撃を纏った、風刀の斬撃を無数に飛ばした。周囲の大気すらも巻き込み、最早彼女は、空間そのものが仇なす状況に置かれていた。

「ふざけないでよ……。アンタも私を見下すのか!」

 彼女はその中にいながら、業火を自身の周囲に描き出し、火炎の防塞をした。然れど質量なき火炎は風刃を防ぐには至らず、けれど雷撃が火炎と暴発し、自らの周囲で連鎖的に爆発が巻き起こった。

「ふざけないでよ……。冗談がキツイわよ……」

 しかし止めを刺すには至らなかったらしく、それどころか彼女は無傷であった。

「大丈夫か?」

 その声は男性のものであった。然れどその存在を探そうにも見当たらなく、銀髪の少女は静かに、目線だけでその存在を探し始めた。

「なんとかね」

「御三家の登場は計算外か」と男性、「ここは引くぞ」

 その言葉を聞いて、咄嗟に突風を放つ銀髪の少女であるが、しかしそれが功を為すよりも早く、少女は姿を消していた。その一瞬に置いて、銀髪の少女は、彼女の素顔を垣間見た。

 辺りには再びのサイレン音の喧騒が漂い、銀髪の少女が留まる意味を無くしたした事を確認すると、少女は元の彩の姿へと戻り、そうしてその場で崩れ落ちたのであった。その一体には、焦げ跡と焦げ臭い匂いと、不安定な空気が忙しなく強風を描き題していた。

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