ダクト
サム
ダクト
電送機ががなり立てながら一枚の紙を吐き出した。紙の左上に怯えるようにして連なった文字列を目前の文字盤にタイプし、電送機の次の活動を待つ。
ふと窓を見やると、穏やかな野原に揺れる草の大群が陽に当てられ、その光がぼくの目を潤してくれた。
ぼくが電送機に向けていた注意は、背後に響く物音で逸らされた。後ろを見ると、壁にぽっかりと空いた大口にベージュのトレイが現れていた。トレイに載せられた四個のパックを素早くさらい、パックの管から中身を勢いよく吸い込んだ。それをパックの個数と同じだけ繰り返したあと、再び文字盤の置かれた机に向き直り、電送機の活動を待つ。
窓の外からは鳥のさえずりが聞こえる。彼らもぼくのことを見ているだろう。そう考えると、なぜだか癒される…
「つまり、おれたちが抱える問題の根幹は――」詰められた<グロウ・グルー>を吸いながら、向かいに座っているジョーが仰々しく語りだす。「――この胸くそ悪いジェルにいつまでも支配されなきゃならん、ってことじゃないのか、え?…おい聞いてるのか、ジャック?」
おれは答える。「おまえ、最近口数が多くなったぞ。休暇でも取ればいいじゃないか」
奴の言うことはどうでも良かったが、おれが黙ればのちのち面倒になる。
「イヤミか?休みなぞ掃き捨てるほどある。おまえも痛いほどわかってるだろ。おれが困ってるのは、それを何処で過ごすかってことだよ」ジョーは続ける。「あとな、おまえ…『それ』、いい加減やめたほうがいいぞ」
「…」おれは呆れた。また<フォンダム>の話か…。「しつこいぞ。おれが<フォンダム>を使ってたって、おまえには何の被害もないだろ。それにおまえ、<グルー>が嫌いなんじゃなかったのか」
「まあ、おれは知らねえ…」と、ジョーは言った。「そろそろ休憩おわるぜ。持ち場に戻るぞ」
「ああ」
おれは椅子から立ち上がり、早足で休憩所を出た。すこし体が火照り、眠気を感じる。<フォンダム>を摂りすぎたかな…。
外は憂鬱なほど降っていた。傘を差しつつ歩きだす。ときたまの雨は<メトロ>の汚れを完全には洗い流してくれない。むしろ、この街の陰険な空気が際立つようだ。おれは道路わきに停まっていた<ポート>に乗り込んだ。運転手は<デリバー>であったから、奴が言葉を発する前に言った。
「<ペイジイ>へやってくれ」
落ち着いた口調でおれが言うと、すぐさま<ポート>は動きだした。
窓の外では、<メトロ>に住み着く汚濁たちが蠢いていた。活力を求めてこの街に流れ、職の何たるかも知らないまま消費サイクルに組み込まれていく若者たち。今この街を汚しているのは、もはや金を持て余した老いぼれどもではない。街の隅々に病原菌のように居座る彼らだ。しかし、おれにはどうすることもできない。できることといえば、部屋の隅でおれの生きざまに対する不満を唱えることぐらい。
「着きました」
<デリバー>の耳障りな声で我に返った。財布から料金を支払うと苛立ちを抑えながら<ポート>を降り、急ぎ足で<ペイジイ>に入る。
店の奥では、すでにクリスたちが陣取っていた。
「遅いな」トーマスが言う。
「すまんな」おれは椅子に尻を滑らせながら続ける。「そういえば、ジャックはどうした?姿が見えないが」
「ああ…」気まずそうにクリスが口を開く。「奴はもうここに来ないだろう。<ケア>から抜けたそうだ」
「へえ」おれは少なからず驚いた。やつはそれといった趣味を持っていないし、まだ<ケア>から抜けられるほど成熟してはいないと思っていたからだ。
「おれの見解じゃ、やつの<フォンダム>癖が祟ったと思ってるがね」トーマスが言った。「今時、あのぐらいのジャンキーでなきゃ、何に時間と金を割くってんだ」
「しかしなあ」クリスが重々しく言う。「<ケア>にだって限界はあるさ。いつか空しくなる時が来るだろ」
「ま、そうだろうな…今のご時世、どこ探したってまともな労働はないんだから」おれは半笑いになりつつ言った。
「風の噂だが…」少し口角を上げたトーマスが話す。「労働中毒者を地下に閉じ込めて、死ぬまで働かせてる企業があるらしいぜ。まあ、そんなことできるのは…機械連中を作ってるエリート集団だけだろうが」
「ぜひ雇ってもらいたいね」と、クリス。
「これでまた一人、奴隷が出来上がったわけか」おれは苦笑しながら言った。
「本気で言ってるんだ」クリスが言う。「あんなママゴトよりどれだけ良いか…」
「あ…」クリスの顔が暗くなったのを見、トーマスが話す。「クリス、お前は何か…ゴシップはないのか?聞かせてくれよ」
「…この店、そろそろ畳むらしいぞ」クリスが言った。
「そりゃ、なんで?」困惑しながらおれは問う。
「簡単さ」クリスが答えた。「必要とされなくなったからだ」
「…では、本題に入りましょう」ようやく切り出すことができた。「こちらの新型機…Ub31は、旧来のシステムが苦手としていた接客の面に重点を置き、ポーターに対しより好ましい感情を抱けるような仕様を…」
「あぁ…」ビル氏がおもむろに<フォンダム>を取り出し、目前で摂り始めた。「…つまり、現時点で、その…ポーターとやらに反発を持つ者が少なからずいる、という訳だな」
「ええ」私は丁重に答える。「しかし、こちらの新型機を導入して頂ければ…」
「しかしねえ、君」ビル氏が尊大な口調で話す。「私たちのような零細企業にまで進出していたら、まるで…それらに不満を抱く人間の存在が無視されているようではないか」
典型的な似非科学信奉者だな、と私は思った。いつまでも人間が創造主でいられた時代に囚われている。
私は彼の顔を見つめている。彼が使っているのは旧型の義眼だ。それだけではない。四肢も旧型のものを用いている。右腕のものはほぼ初期型に近い。今どきアンティーク趣味などめずらしい、と私は思った。
「あなたが以前から機械化に対して消極的に考えておられるのは承知の上です。ですが…」私は続ける。「例え今、この新型機の導入も拒否されたとして、いずれあなたもポーターを取り入れる日が来るのです。従業員があなた、そしてその後継者の元から離れていったそのとき、もう代わりは機械しかいませんよ」
「…」ビル氏は少々考え込んだ後、言う。「…分かった。試しに三台を運用してみよう。私が気に入れば、もう一度連絡するよ。いいかね?」
「ええ、結構です」私は笑みをたたえながら言う。「では、ご報告を期待しております…」
近頃の生きがいといえば、<フォンダム>とたまの従業員との会話ぐらい。私は椅子に腰かけ、机の奥に置かれている写真を見る。妻子はもう遠くの辺境へと移っていた。送り出したときには、まさかあそこへの移住を希望する者がここまで膨れ上がるとは思わなかった。あの頃とは比べ物にならないほど辺境への移住費用は高い。
私たちの先祖が常に自然の恵みを享受していたのだと思うと、小さな田舎に移り住むためだけに、機械化されたこの世で汗水流しながら働くのが馬鹿らしくなってくる。
私は右腕を握り端末を呼び出す。この奇怪な『義腕デバイス』にもすぐに慣れてしまった。自分のアーカイブから読みはじめたばかりの小説を引き出し、腕をさすって頁をめくる。
『未荘の土穀祠の中に住んでいて一定の職業もないが、人に頼まれると日傭取になって、麦をひけと言われれば麦をひき、米を搗けと言われれば米を搗き、船を漕げと言われれば船を漕ぐ』
私は物語を愛していた。とくに、私が生まれる以前に書かれたものが好きだ。
私が生まれたころ、世界は急成長の真っ只中だった。私はその急進にもまれ、ときに従属し、ときに反抗しながら、自分でも気づかいないうちに精神が疲弊しきっていた。私は古くから続く芸術に癒しを求めることにした。小説文、音楽、活動写真、絵画…。受動的な娯楽が好きだ。まるで川の流れを覗くように爽やかな気分を与えてくれる。
窓の外は相変わらずの曇天だった。<メトロ>を這うようにして伸びる道路に剥き出しになったダクトから、濁りかけた水が流れ出ている。今晩はまだ降り続くだろう、と私は考え、少しばかり憂鬱になった。
私は気まぐれに考える。遠くの田舎はどんな匂いがするだろう、草木の香りを一度でいいから嗅いでみたい。きっと私の妻は…古く偉大な芸術家たちの生きた証を、次の世代たる幼子たちと共有できるだろう。いつかの作曲家も聴いたはずの鳥のさえずりを、時間を超えて愉しむことができるだろう、と。
見たこともない情景に想いを馳せながら、私はまた次の頁をめくるのであった。
ダクト サム @pakankisam
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