移行準備


 今回のYICでは、コンペでベンダを決める。が、提示された金額は、あまりに想定からかけ離れていた。ネックになるのは、Infochangeのライセンス料。全従業員対象なので、1000アカウント、ボリュームディスカウントを入れても1千万。牛尾はそんなに驚かなかったが、経営は腰を抜かしたらしい。さらに経営が腰を抜かしたのが、Officeソフトの金額だった。

 実は、牛尾は今回巻き込まれるにあたって、一つの目論見があった。それは「不正コピーの一掃」。それなりの社会的な認知度も高い企業にもかかわらず、未だに不正コピーが続いている。昔、パソコンが50万、ソフトが10万、それをコピーで済ませたい、という気持ちが出るのは、わからなくもない、けど、今、パソコンが20万、ソフトはまとめれば一本数万円、なのに、なんで不正コピーをしたがるのか。たしかに全て総計するとすごい額だが、必要なものだし、一つ一つなら決して高くない、役員の無駄な接待と出張を止めるだけでペイするものだ。

 でも、予想通りではあったが、役員会では「そんなに高いなら、やらなくて良い」という意見が大勢を占めたらしい。不正コピーを不正と理解できない人間が役員をやってること自体、会社として恥ずかしいが、今それを言っても始まらない。

 結局は伊賀がゴリッと押し切ったらしい。が、勝ち得たのは、必要最小限のライセンス。うーん。メール全従業員は無理だ。

 牛尾にとっては、不正コピー撲滅ができるチャンスがきたことの方が嬉しかった。もうひと息、全従業員にメール環境を提供するなら、、、やはりここはオープンソース。車内イントラの設定である程度明るくなっていたので、それを元に自分がやる覚悟は、もう付いていた、そう、あの紛糾した会議以来。

 役員会報告を兼ねたYIC会議で、伊賀が

「なんとか勝ち取ったのが2千万。これでは、、、サーバ数台、PCと、一部のライセンスだけしかまわらん。メールだけじゃなくて、情報系もウェブアプリにしなきゃならんし、将来は基幹系もオープン系に移行のつもりなのに、それどころじゃない、ってとこだ。まぁ、Officeが確保できたのは良しとするか。。」

 といらだたしげに言う。皆、黙っている。遠慮してると言うより、まだちょっと、「オープン系ありき」、にしこりを感じているようだ。牛尾も、基幹をオープンに、なんて大それ過ぎていると思っているが、逆にそこまで予算がつかなくてよかった、と本気で思っていた。

「伊賀本部長、今回はまず、不正コピーが一掃できて、メールのドメインが統合できる、は実現できます。出発点として十分ではないでしょうか?実績を上げていけば、予算も適正に認められるはずですし」

「でもな、全員分のメールライセンス分にもならないんだぞ。コンペも成立せん」

「BSBが、いくつかオプション出してきてましたよね。一番安価なオプション、インターネット接続のみの基本契約なら500万、いけると思います」

 牛尾の提案に外川が

「それじゃ、一部の者しか使えないじゃないか。全員でなけりゃ意味がないんだ、今回の目的は、みんなが使える環境を整えることなんだから」

 牛尾は

「ライセンスが回らない分のユーザには、私がオープンソースでメール環境を提供します。それでいかがでしょうか?」

 外川が

「ウェブアプリも先送りか?」

 と問う。牛尾は

「ウェブアプリは、まず情報共有の掲示板でどうですか?いまは藤留のBBSサービスで動いてますが、あの部分はカバーします」

 外川は声を若干荒げ

「だから、それすら予算が回らないんだって言ってんだ」

 と吐き捨てる。が、牛尾には勝算があった。

「そちらもオープンソースでなんとかしましょう」


 牛尾の頭の中には、メール環境としてsendmail、データベース環境としてPostgreSQL /PHPがあった[注5]。共にイントラで問題なく稼働中で、予算確保までの移行期間なら耐えうるとの判断だ。外川が

「オープンソースってのはなんだか知らんが、タダってことはないだろうが」

 と突っ込む。食いついてきた、と牛尾はここを逃すまいと力を込める。

「タダ、というと言葉は悪いかもしれませんが、使用料金を払わなくても使えます。そして広く使われています。sendmailと言う、メールを送受信するプログラムは、事実上のスタンダードと言えます」

 そこに珍しく、情報システム部が口を挟む。外海だ。

「タダって、フリーウェアだろ?大丈夫なのか。なんかあったら誰が責任とんだよ。おまえ、取れるのか?」

 牛尾はここが正念場、と、努めて冷静を意識し

「オープンソースとフリーウェアは全然違います。フリーウェアは、怖くて私も使えません。オープンソースは、直訳すると、ソースコードが開示されている、ということです。著作権の解釈上は、いろんなパターンがありますが、基本的には使用は自由です。そして、ソースコードが開示されている、ってことは、不具合やバックドアとか、不特定多数の目で常時監視され、不具合が見つかると、すぐに修正が動き出します。もちろん、使用は自己責任ですし、善意のボランティアで維持され、本来なら維持開発に協力すべきです。開発にボランティア参加するとか、ボランティアに寄付を提供するとか」

 冷静のつもりがだんだん熱くなってきた。

「外海さん、藤留のメールを主張されてましたよね。藤留のメールサーバ、何で動いてるかご存知ですよね?そう、sendmailですよ。sendmailがダメなら藤留のメールサービスは速攻でやめたほうがいいですねぇ」

 外海が真っ赤な顔で反論してくる。

「誰が管理するっていう話だよ。お前にできるのかよ!」

 牛尾は冷静を取り戻し

「基本的な運用はそれほど難しくないですから、責任持っていたします。不正使用の遮断は理解しています。あとは、セキュリティ情報を毎日チェックして常に最新を維持する事が、ちょっと負担ではありますが、そんなにしょっちゅうは発生していないので、当面は行けます[注6]」

 伊賀が割って入る。

「責任は俺がとるから、牛尾、その”センドなんとか”、で進めてみろ。契約はBSBがいいんだな」外海が何か言いそうになるのを、伊賀は押し留めた。もう、これで行く、との意思表示だ。外海は黙るしかなかった。


 会議はその後、特に大きな問題や論争もなく散会。なんだかんだで、結局牛尾は自分から巻き込まれていってしまっている状況になったが、不毛な議論に巻き込まれて、いつまでも何も決まらないよりはよっぽど建設的だと思い始めていた。骨は伊賀が拾ってくれると言うんだし。


 帰路、牛尾はふと、不安になってきた。名前解決、つまりDNS、どうするんだろ。。。


 翌朝、出社してすぐに外川の席に行った。

「外川部長。今後、うちの会社の全グループで、ドメインyasuiwa.example.comに統一するじゃないですか。で、今、既にusでは使用してますけど、そのままUSに管理してもらうんです?」

「全部日本に移管するに決まってるだろ。何か問題あるか?」

 牛尾はちょっと暗い気持ちになった。とはいえ、予想通り。。。

「持ってくるのって、そんなに単純じゃないですよ。まず、ドメインって、基本的にはNICという組織がしきってるので、そこに情報を登録するんですけど、一番キモになるのはyasuiwaドメインの名前を解決するdnsサーバ、というものです」

 出来るだけ専門用語にならないように注意して続ける。

「メールの送信は、アドレスにあるドメイン名から、どのサーバに送れば良いのか、を認識するんですが、その住所録みたいなものです。作業としては、NICに登録してあるサーバのアドレスをアップデートするだけです。でも、大抵その辺って、有償でやってくれるエージェント通して登録するんですけど、そのエージェントは、DNSまで面倒見てくれるんで、多分 うちのアメリカ法人は、自分のところでは何もやってないと思います。つまり、DNSホスティングで丸投げ、ってパターンだと思うんです。ホスティングってのは、面倒な設定とかやってくれる、って事です。なら、今のまんま、そのエージェントに投げっぱなしが楽は楽です。将来を考えると、手元にあった方が、、、いいかと思いますけど。。」

 外川は牛尾を遮って

「今やっておかないと、なし崩し的に進むものも進まなくなるぞ。問題ないならやるんだ。問題があるなら、どうしたらいいか考えろ。BSBに頼めばいけるんだろ」

「一番心配なのは、、、メールです。手順間違えると、メールが届かなくなります。これは、時間が経てば解決しますが、既にusは、メールが今の設定で動いているんで、それに影響が出ると、時間が経てば解決、なんて言い訳は通らないと思います。最悪、これを理由に、振り出しに戻そうとされるかもしれません。信頼できるエージェントに頼めるなら安心ですが、BSBがどれだけわかっているか、、、先日の打ち合わせにきた、うち担当のSEはあかんです。BSBといえば世界一流ですけど、ピンキリ、ハズレ引いたんだと思います。結構これって、イレギュラーな作業ですので、ハズレのSEでは心配です」

「どうすればいいんだ、じゃぁ」

 外川が、お約束のイライラがはじまる。牛尾は、本当はプロに丸投げしたいという思いは今でも強いが、昨日腹をくくったので、もう行くしかない、これ以上機嫌を悪くされるとしんどいし、

「とりあえず、以降のシナリオを私が作ります。そして、usにお願いしなければならないことをリストアップしますので、usにそれをお願いしてください。並行して、BSBにもシナリオを出させてください。リーズナブルに受け取れるものが出てきたらBSBに任せましょう。だめなら、わたしがやります。もう乗りかかった船ですから」

 外川は目で笑ったようだった。


 その日の午後、シナリオ案を手に、外川に説明に立った。

「まずはメールの移行を優先します。ちょっと専門用語のオンパレードになりますが、すみません。ただ、そのままUS担当者に投げていただければわかってもらえるはずですので、ざっとだけご説明します」

 外川は別に、作業内容はわからないし興味はない。ので、要所だけをわかりやすい言葉で、あとはそのまま専門用語オンパレードで説明した。

「まず、DNSサーバの登録を変えないといけません。BSBとのインターネット接続契約はできるだけ急いでください。まず、ネットワークを開通し、DNSの設定を最優先しましょう。それが済まないと、NICの登録変更や、DNSの移行がスタートできません。先ほど、ヤスハラドメインのDNS調べましたが、キャッシュと言って、一度参照したら、それを再利用しても有効であるとする期間が設定されていて、それが1週間になっています。ですので、少なくとも1週間前には設定変更をしないとならないので、それまでにこちらのDNSを変更する必要があります[注7]。ですので、USに必ずお願いしなければいけないのは、NICへのDNSサーバの登録変更の時期だけです」

 手順を書いた紙を出す。

「まず、10月1日カットオーバーを前提にすると、1週間前、遅くとも、9月23日までには、NICのDNSサーバのアドレス変更が必要です。今回はこちら、日本側に持ってくるというシナリオですので、まずは、このDNSの登録変更が出発点です。DNSレコードのキャッシュが今は1週間ですが、これをカットオーバーの日は、ほとんどキャッシュ無しにしてメールサーバの登録内容の移行を行います。ですので、最低限23日には移行、ですが、色々な状況を加味して、中旬、15日までには変更してもらいましょう。お願いとしては『15日までに登録変更してほしい、いつになるかまず連絡くれ』となります」

 続けて全体のシナリオを話す。

「DNSの移行までに、こちらの準備が必要です。ですので、遅くとも9月頭にはこちらのDNS準備ができている状態を確保したいです。登録変更と同時に、変更先のDNSを見にいきますので、ギリギリすぎるのはリスクが高いですので。となると、今日が8月15日。あと半月しかありません。まずは、インターネット開通を急いでください。グローバルアドレスは8つ、ネットワークアドレスとブロードキャストがありますから、使えるのは6つです。その使い道は、私に一任ください。まずは、DNS、次にメール、最後にWebの順番でいきます。

 9月1日には、インターネット上に移行後のDNSを準備します。設定自体はすぐにやっておきますので、あとはIPの割り当てと物理的な接続だけです。BSBの尻を叩いてください。インターネット上の新DNSが稼働し次第、USに、このアドレスを指すように、NIC登録を15日までに変更するように依頼をかけていただきます。

 その間、メールの設定を進めます。

 国内は新規なので問題ないですが、USはすでに動いているので、USアドレス向けのメールは、無条件転送をします。この辺の設定は、どうするかまだ考え中ですが、いくらでも方法はあるので、心配はされないでください」

 黙って聞いていた外川は

「今日BSB呼んだ。夕方だ。お前も出ろ」

 わぉ。そうくるか。まぁ、時間は限られているんで、まぁよかっということにしよう。

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