剣を選ぶ



レムナントの王宮は流石と言うべきか、絢爛ではあった。

他国の王宮と比べても、恐らく煌びやか、という意味であるならば負けてはいない、と思われる。




正しく豪華絢爛



こればかりは、今の王だからこそ成し得た一つの結果である、というのは否定は出来ない。

………が、しかし見た目の輝きはともかくとして、これを複数の芸術家が見たならば評し方は分かれるだろう。

一つは正しく豪華絢爛な王宮である、という言葉。




そしてもう一つは───ただ煌びやかなモノだけを飾っているだけの一色の絵であると。



飾らずに言えば、節操がない。

言うなれば黄金のみで作り上げられた箱庭のようなものだ。

美しさという観点で見れば、確かにそれもまた一つの美しさではあるかもしれないが、ただ煌びやかさだけを主張する美は、時に見る者を辟易とさせる。

レムナント王国の現状を、ある意味で端的に説明しているような世界で………一人、そんな煌びやかさに染まらぬ、と言いたげな無骨な鎧を身に纏った男が存在していた。




「───では、新人は何時も通り鍛錬を。他は決められた通りに警備を行え」


「……はっ。了解しました、ウルフルク騎士団長」



騎士団長、と言われた男は部下が己の命に一瞬、間を以て答えた理由を悟り、しかし出来るだけ気にしていない、と装う度に苦笑を───する前に、周りに人気が無い事を確認した後に、苦笑を見せ、部下の肩を小さく叩いた。



「───名目の警護だ。もしも、ばれずにさぼれそうなら上手くサボるがいい───仕事自体はサボるなよ」



部下の男は一瞬、体を硬直した後………小さく苦笑を浮かべて礼の構えを取り、了解と頷き、その後、速足で場を去る。

足取りは決して気に満ちたものではないが……間を取った時よりは足音に力が入っているから、今はそれで良しとするべきか、と思い、自分も歩き出す。

出来るだけ誰とも出会わぬよう気配を読みながら歩く自分もやる気に満ちているとは絶対に言えない。

何せ自分達が仕えるものがアレだ。




控えめに言って王、率直に言い表すならばただのデブだ



国を貪り、食い尽くすその様はデブというより害虫と評した方がいいかもしれない。

少なくとも民を嘆かせる、という意味ならばあれは一級品の塵だ。

騎士団長として、長い事傍にいるが、一度もアレに対して忠義であったり、もしくは付き合いの長さ、というものを感じ取った事が無い。



………だが、王が居なければ、この国を纏め上げる人がいないのも確かだ。



側近も似たような腐った連中。

王妃はいるのだが……さて、運がいいのか悪いのか、未だ世継ぎはいない。

王が居れば民は苦しむが、しかし王が居なくなったらなったらで、今度は権力争いに民が巻き込まれるような形になっているのだ。

何をどうしても苦しむ未来がある故に、ウルフルクは顔を上げずに………ただ国に仕えているのだ、という言い訳を以て、未だ騎士団の長に立っている。

その事を思いながら、騎士団がある駐屯所にまで向かっていると



「………む?」


駐屯所の前に、騎士が一人ポツンと佇んでいるのを見つけた。

見れば、最近入った新人の一人であり、確かこの時間帯は鍛錬をしている筈だ。

故にウルフルクは慌てずに歩きながら彼に近寄り、傍にまで近寄った後に立ち止まり、声を掛けた。




「こんな所に立ち止まってどうした?」



一瞬、声を掛けられたことに震え、恐る恐るとこちらを見上げる彼の視線には不理解の意があり………数秒後に理解の色が宿った後に慌てて礼の姿勢を取り、慌てて謝罪をした。



「も、申し訳ありません団長! お、いえ、私は………その……」


「君は本来、鍛錬を行う時間の筈だ。何故、ここで立ち竦んでいる」



当たり前の問いに対して、彼も当然、理解しているのだろう。

その事に罪悪感という名の恥を覚えているのを見る限り、この青年は好きで鍛錬を抜け出したわけではない、という事を理解し───そのお陰で彼がどうしてしたくも無い事をしたのかを察した。



「───話は中で聞こう」


駐屯所は王宮から少し外れた場所にあるが、だが王宮である事には違いない。

聞かれた場合、揉み消すことが難しい事を考えると駐屯所の中で聞いた方がいい、と判断し、中に誘う。

青年もそれに関しては特に反抗せずに、落ち込んだ声ではい、と頷き、トボトボと私の背を追いかけてくる。

一分程、歩き、大丈夫か、と思った所で歩きながら軽く真意を突いた。



「───刃を以て守りたいと思える相手が王宮ここにいない事に絶望したかね?」


「───」



驚いた顔でこちらを見上げる青年は呆然とした顔でどうして、と無言で尋ねていた。

それを横目で見ていた自分は、振り返る事はせずに、しかし苦笑を浮かべ



「何、そんな人間ばかりだようちは───騎士とは王に忠誠を仕えるもの。なのに、仕えるべき主は腐りきっており、刃も命も信念も預ける程、恥知らずになりきれないものばかりだ」



損な連中ばかりだ、と苦笑のまま告げる言葉に、青年は少しの沈黙を選び───その後に口から吐き出したい思いを言葉にした。




「……俺……騎士団に入ったのは金の為なんです」



告げる言葉には遠慮があるが、ウルフルクは気にしなかった。

生きる為に金を稼ぐ事に不思議などある筈がない。

パン屋でパンを焼く事と同じように騎士団で剣を振るって金を稼ぐ。

何もおかしな事ではない以上、特に自分も追及する事は無い。



「家族が、母と妹がいて……父が昨年、仕事のし過ぎで……倒れてしまって。だから、俺が稼がないいけなくて……でも、俺、馬鹿だから。だから、頭空っぽで稼げる騎士団に入ったんです。頭は使えないけど、体動かすのは得意でしたから、これなら俺も出来るって」


「確かにな。体さえ動ければ自分達の仕事は十分なのが多いからな」


自分の苦笑の言葉によって、青年にも苦い笑いを浮かべる余裕を与えれた事に、少しは年上らしい事が出来たか、と思いつつも、ならば、という前置きと共に再度質問を口に出した。



「なら、いいのではないのかね? 君は体を動かせば給料が貰える。無論、最初の内はそう多くの給金は渡せないが……しかし騎士団は他よりは危険事が多い分、少しは給金がマシだ。それでも不満かね?」



自分の言葉に、青年は少し迷いながら……しかし吐き出した方がいい、と判断したのか、青年はいっそスッキリしたい、と言わんばかりの苦しそうな笑みと共に全てを吐き出した。



「………俺は別に騎士団に……王宮に期待なんてせずに入ってきた、と思いました。でも……蓋を開けてみれば、俺、思っていた以上に夢見てて………腐っていても、その中で何か頑張っている人が少しくらいいるのかなって思ってて………」



全てが腐っているとは思いたくなかった………と告げられた事に、ウルフルクは恥、という言葉を心底から感じた。

自分よりも若い青年の口から、そんな言葉を引き出してしまった事に、ウルフルクは内心で歯噛みするが………絶対にそれだけは表に出さないように心掛けながら、敢えて先程と同じ口調で自嘲した。



「耳に痛い言葉だ」


「………あ! い、いえ! ウルフルク団長は別です! 団長は、団長だけは───」


「だが、自分は上の横領を見て見ぬ振りをしている───同じだ。私もまたこの国の問題に手を貸している愚物に過ぎんよ」



腐りきった汚物を前に、何もしない者が正しいわけがない。

腐ったモノを取り除くか……穢れを払い、清めるのが真の騎士としての役目だ。

何も出来ないまま蹲っているだけな存在など、民から見たら同列でしかないだろう。

その事実に、自分は内心で己を嘲笑っていると………それに気づかない青年が




「どうして………団長や他の皆さんは………それを知っていてここにいられるのでしょうか………?」



青年の真摯な問いに、自分はそうだな、と一つ間を取り




「まず、我々も別にそれら全てに何かを思わずに生きる、というのは不可能だ。各自それぞれ、くそったれな気持ちを抱いている筈だ」



勿論、騎士団に入る人間が全てが全て潔癖とは言わない。

中にはそれこそ彼みたいに生活の為に入隊し、その上で現実と折り合いをつけている者もいるだろう。

しかし、それは折り合いをつけてようやく向き合えているだけで──くそったれな気持ちを欠片も思わない人間は騎士団にいない……というのは少々親馬鹿のような考え方だろうか。




「日々腐ったモノを見れば見るだけ腹の底に溜まっていくくそったれな重みを、それでも抱えて剣を振るえるのは、それでも確かにそれで救える人間がいるからだ」



我々の剣は無意味かもしれないが………無駄であるとは思いたくない。

腐った連中も守っているが………その下の、自分達が真に守りたい人も守っているのだ、と信じたい。

例えそれが、人々からは上への点数稼ぎに見えていたのだとしてもだ。




「───だから、君もここで剣を取る理由があって欲しい、と言わせて貰おう。何も大仰な理由など必要ない。それこそ君の言う通りに家族を養う為だけに剣を振るうのも立派な理由だ」


「……その結果、他人を害しても、ですか?」


「君は自分の家族を他人の命よりも下に見る事が出来るのかね?」



沈黙する青年を見て、思わず若いな、と思う辺り、自分も年か、と思いながら、黙った青年の分まで自分の思いを口に出す。




「ほとんどの者がそうだし、私だってそうだ。何よりも大事なモノがあるからこそ、他の大事なモノを相手に、人間を刃を振るう事が出来る。敵と家族。取るのはどっちだ? そう問われたら私は迷わずに家族を選ぶ。何故なら、その結果、家族に危険が降りかかる可能性が減るからだ」



それを悪いとは一切思わぬ。

如何に魔法で超人のような強さを得れたとしても、動かせれる手足は合わせて4本。

肉体など一つしかないのだ。

どれだけ力強さや速さを手に入れた所で守れるものなどたかが知れている。

故に、大事なモノのみに専心して剣を握るのが人間が出来る精一杯の守護だ。

大体、人間の視野で見えるものなど、精々家族や友人、よくて近所や仕事などで接する人くらいしか目に映らぬのだ。

多くの人を収める視野を持つ人間など───自分が知る限り、一人しかいない。

そんな風に、自分の思索に思いを寄せていると、青年から不意に放たれた問いに、思わず心と思考を止めてしまう事になった。




「では………ウルフルク団長が剣を握るのは、何の為なのでしょうか……?」



話題を考えれば至極当然な疑問に、ウルフルクは一瞬、思考を止めた。

予想外……というわけではなく───むしろタイミング的にドンピシャな時に、その言葉を問われたが故の驚きによる思考停止だ。

その事実に思わず苦笑を浮かべながら、さて、と再び思考を働かせる。

生憎だが、自分はその質問に対して答えれる答えは複数ある。

家族の為、というのも当然にあるし、青年のように生きていく為と答えてもいい。

民の為、国の為、といのも自分にとっての真である以上、どれを取っても自分が戦う理由になるのだが………今、自分が苦笑している以上、私はその苦笑の理由を語るのが一番、今に合うだろう、と思い、それを告げた。





「自分が剣を取る理由は簡単だ───とんでもない絶望に会ってしまったからだよ」



え、と言われるのも無理はない。

何故なら自分は絶望とか言いつつ、その口調は酷く愉快気な調子になっているからだ。

きっと、青年はこう思っただろう。




……それは絶望じゃなくて、もっと前向きになれるようなものに出会ったのではないか、と



しかし、自分はそれについては前言撤回をするつもりが一切ない。

───先が見えず、しかしただ巨大な希望など諦めきれない、という意味では地獄のような苦しみを与えるだけなのだと知っているからだ。

だからこそ、ウルフルクは青年にはそれについて一切、喋らずに振り返り、青年の肩を叩く事で話題を逸らす事に成功するのであった。




「結論を直ぐに出せ、とは言わない。大いに悩み、君が許すのならば周りや御家族と相談するのもいい。ただ、その間、騎士団に所属するというのならば君には研鑽し、人を守る義務がある。君の家族を養う為、民が苦しみの中から削り取られた金銭から私達の給金は出ている───受け取るのならば、君は最低限の義務を果たさなければいけない」



自分の言葉に、少しは納得を得れる材料があったのだろう。

青年はしっかりと告げられた言葉を咀嚼し、まだぎこちないが礼を取った後に、鍛錬場に向かっていった。

それを見届けた後に……自分は腰に差している剣を見る。

最早、肉体の一部と化した後ですら重いと感じるそれを見、より過去を想起させる。

本日何度目かの苦笑と共に過去を思い出す切っ掛けとしての言葉を、敢えてウルフルクは口から吐き出した。





「剣は人を殺める道具………故に、戦う理由は自分の為であるべき、か」



とても大事で………とても重たい言葉であるこれを言ったのは自分ではない。

自分よりも一回りも小さく、そして幼い少年がそんな言葉を吐いたのだと、ウルフルクは笑みと共に意識を過去に向けた。





※※※





ある時、街で決して小さくない噂話を聞いた。




曰く、貧民街にて人々を助け、導く少年がいる




これを聞いた当時のウルフルクは失笑を以て噂を与太話と切り捨てた。

成程、物語としては完璧だ。

虐げられていた代表である貧民街から、正義と優しさを持ち合わせた少年が覚悟を以て民を説得し、そして暴君の圧政から人々を解放する。

完璧だ。

完璧なご都合主義の夢物語だ、と。

故にウルフルクは馬鹿げた話だ、と思って無視をしていたのだが………ある日、ふと貧民街に足を向けたのだ。

……確か、その日はヤケ酒を飲んでいて、酔った頭を冷ます程度の理由で貧民街に足を向けたのだ。

酔った思考で、わざわざ与太話と切り捨てた場所に向かったのが何故かと言われたら





………どこにもご都合主義希望など無いのだ、と現実に見切りを付けたかったからだ



最早、期待など要らぬ、と世界と自分を嗤いたかった。

そんな程度の覚悟で貧民街に踏み入り、大して探す気も無くぶらぶらと歩いて───そして見つけてしまった。




貧民街の一角で、無心に、そして誠実に素振りを行う少年を見つけてしまったのだ




「───」



その清らかな一刀を見て、ウルフルクの酔いは全て切り払われた。

何も、その一刀が隔絶したものであったからではない。

少なくともあの時、見た時では年齢にはそぐわぬ姿勢ではあったが、負けるとは思わなかった。

ただ圧倒された理由は強さではなく───その一振りに一切の余念が存在していなかった事だった。





少年の一振りに込める思いは、ただ己をより高みへと進ませる、という一念のみが存在していた。



それ以外には何も込められていない。

貧民街という最下層の場所で、少年は悲嘆も憎悪も無しに、ただ向上のみを思って剣を振るっていた。

その事実に、ウルフルクは己の全てが揺らぎ………結果として少年に気づかれた。

星の明かりしか存在しない場所で、少年は汗を少し流しながら、しかし微笑で振り返り、そして自分に対して口を開いた。




「───こんばんわ。散歩ですか?」



酷く在り来たりな言葉で挨拶された事に、逆に対応が遅れた。

少年からしたら唐突に表れた酔っ払いの、しかし身なりだけはいい男が現れたというのに、一切揺るがぬ自然体。

外からの事では揺るがぬ、大樹のようだ、と思いながら、しかしウルフルクは答えた。




「……ああ、そのようなものだ。君は……このような時間帯に、鍛錬かい?」


「ええ。未熟者ですから。まだまだ足りぬ所だらけなので。死ぬ程努力しないと上に上がれぬ無才な餓鬼だから当然なんですけどね」



そう言って笑う少年には地道な努力を続けるに対しての不満や不安は見抜けられない。

……知らなかった。

こんな風に努力を楽しめる人間が存在するという事を……自分は知らなかった。




「………将来、君は騎士団に入るのかね?」


「それも悪くは無いんですけどね。今は……大きな事を見るより身近にいる人の力になるだけで精一杯です」



思わず吐いた吐息に、安堵の色が混じっている事に驚きを隠せなかった。

汚いモノなんて幾らでも見てきた。

見た目が綺麗なだけで、中身がどす黒いモノなんてのも幾らでもいた。

そんな自分が




こんな………子供が穢れる事だけは避けなくてはなど………



そんな思考がまだ自分にある事に驚ろいていると、少年は自分が持っている剣を見て、あっ、という顔になり




「人と話す時に持っているものじゃないですね」



と、苦笑しながら、鞘に剣を入れる仕草をするので、思わずウルフルクは止めた。





「───いや。邪魔じゃなければ………出来れば君の鍛錬を続けてくれ」



最早、驚く事に慣れてきた自分の思考に呆れながら、ウルフルクは少年を初めてしっかりと見た。

金の髪を揺らしながら立つ少年は、やはり貧民街に沿った服装をしており、剣と瞳の輝きを無視すれば、それこそ貧民街にいるどこにでもいる少年の一人だ。

なのに、その眼は絶望という概念と無縁、と言わんばかりに輝いている。

夜空で輝く星ですら、これ程眩く、そして熱く輝いていない。

そんな少年は、しかし、そうですか? と困ったように笑いながら、そのまま剣を振り始めた。





暫くの間、剣が空を裂く音だけが、世界の全てであった




「……」



見れば、振り続ける手の平は幾つも豆が瞑れ、その分、硬くなりつつある。

……適当に剣を振っているだけでは形にならない手は、最早子供の手ではない。

一人の男としての手になるまで剣を振り続けている証拠だ。

………正直、自分はそれを褒めるよりも、本来ならばまだ親の庇護下にいるべきである少年が、もう一人前になる道を走り続けている、という事に自己嫌悪を抱いたが……己の欲求には逆らえなかった。



「………質問を、一ついいかい?」


「何でしょうか?」



剣筋を一切揺るがさないまま、何事も無く返事をする少年に感心を悟られないまま、出来る限り、何とも無いように装いながら、聞きたい事を聞いてみた。




「君は……どうして剣を……戦おうと決意したんだい?」



己の言葉は、少年が振る剣の音とほぼ同時に放たれたが、間違いなく少年には届いたのだろう。

剣を構えながら、ふーーむ、と唸る少年を見れば、よく分かる。

初めて年相応の仕草を見て、少しホッとするが、同時に何を言っているんだ自分は、と頬を掻きたくなる。

会ったばかりのおっさんに、唐突に戦う理由を問われ、はい、そうですね、と頷けるような人間なんて普通いない、というのに……この少年にのみ強要しようとしているのか自分は。

質問を取り消そうか、とも思ったが……真剣に首を傾げている少年を見ると、逆に申し訳が無くて。

だから、せめて少年が何かを言うまで待とうと思っていると




「完全完璧な自分の持論と偏見に満ちた考えで良ければ」



予想以上に早く帰ってきた為、返事に一瞬を置いてしまったが、直ぐに構わないと返した。

少年もそうですか、と頷きながら、一度、剣を振り、残心を残し





「剣を取った理由はあくまで自分の為です。誰かの為、とかそんな綺麗事の為じゃないです」




──一瞬、全身が脱力を感じたのを悟った瞬間、自分は少年に少し失望した、というのを悟った。

悟った瞬間に、己の醜さに恥所か殺意を感じた。

自分とて己が生きる為に剣を取った人間の癖に、ただの少年にはそんな綺麗事を言って欲しいなどと図々しいにも程がある。

恥知らず所ではない思考に、手を握りしめながら、そのままそうか、と頷こうとし




「───剣を取る理由に他人を使って使えば、俺が剣を振る度に、誰かを血に汚す事になりますから」



考えもしなかった言葉に、何時の間にか下げていた顔を見上げるとそこには少年の薄い笑みがあった。

月を背景にして笑う少年は一つの絵画のようで……そこで初めて少年が剣を振っていないのに気づくが、次に綴られる言葉に比べれば些細な事であった。




「剣は人を殺める物。剣術は殺人の術。どんなに言い繕っても、凶器です。凶器を取る理由を他人に預けたら、俺が人を殺しているのに、殺した理由に誰彼の為に、という言い訳が付いてしまう」



他人にも……殺した相手にも、それは失礼でしょう、と首を傾げる少年の瞳には笑みの色は無い。

口元だけの微笑にある瞳は先程までの星のような光ではなく……まるで鋼のような鈍い輝きがあった。

その事を悟り、何時の間にか背筋に冷える物が通るのを感じ、ウルフルクは理解する。




少年の言う事も一つの真実として正しい



だが、それはつまり……殺人の罪と罰を他の一切に被せずに、己の体で受け止めるという事。

当然のように聞こえるかもしれないが……自分は知っている。




人を殺すという事は、途轍もなく重く、辛く、永遠と心に重責を負わせるものだという事を



自分が初めて人を殺した時、人の目がある場で躊躇わずに胃の中にあるものを全てぶちまけた。

その事によって仲間には面倒をかけたが……正直、間違いではなかった、と今でも思っている。

その後も肉を見る度に吐いた。

当時はそれを弱さだと思っていたが……しかし、今となってはそれは恥でもなければ弱さでも無いと知っている。

それが慣れてきた頃には、自分は人を殺す事に躊躇う事が無くなっていた。

理解したからだ。




ここで人を殺さなければ、別の誰かが犠牲になる事と、人を殺す罪と罰を、人を、民を、国を守る為と言い訳すれば、仕方がない事だと納得出来るのだという事を



言い訳と言ったが、これも悪い事ではないと思っている。

そうでもなければ、殺したい、と思っていない人間が人を殺す事など出来なくなるからだ。

だけど、少年はそれをしない、と言う。

故に思わずといった調子で言葉を放つ。




「それは……辛い道だ。それでは君はこれから先、塗炭の苦しみを味わい続ける事になるぞ」


「人を殺す道です──苦しく無ければ嘘です」



一切、揺るがぬという意思に、思わず頑固者か、と思うが……しかし、それはやはり、自分には闇の中で光る星だった。

暖かなだけではなく、冷たさも混じる光だが……逆にそれが安心できた。

優しいだけの人間は素晴らしいのかもしれないが、上に立ち、采配するというのならば無能よりも時に酷い結果を招く。

優しい、という事は削る事も捨て置く事も出来ない、という事なのだから。

時には数字の足し引きもしなければいけない立場で、それは致命的な傷を招く事がある。

しかし、この少年は痛みを飲みながら、人を斬る、という意味を受け止めれるのだ。

ごくり、と思わず唾を飲む。

今、自分が何を思って唾を飲んだのか。思考が麻痺する中、少年の言葉を聞く──否、聞きたい・・・・




「君はその罪と罰を抱えて務めを果たせれるのかね?」


「1人では無理でしょう。2人でも無理でしょう。3人でも厳しいかもしれません。しかし、それが10人、100人、叶うならば多くの人が力を貸してくれるのならば不可能とは思いたくない。否、不可能を覆せれると信じたい」



空を見上げる少年の瞳には弱さが無い。

そこには天を見上げるというより、天に挑む、という意思が浮かび上がっており、益々聞いてる自分の心が燃え立つのを感じていた。




「こんな何も無い場所から始められるとでも?」


「何も無い? それは持っている人の慢心だ──ここにも何もかもはあ・・・・・・・・・・



──路地裏の汚い一角なのに、両の腕を広げて喋る少年が一人いるだけで、ここはまるで世界の中心のような絢爛さを身に纏い始めた。



自分の思考がおかしくなってきているのは理解している。

少年の言葉に毒されていると理解しているのに、その上で自分は確かにここには総てがある、と思い始めてきた。





そう、毒だ。



これは決して酒のように酔いしれるものではない。

飲めば飲むほど地獄に近付く毒のような物だ。

人を幸福に誘うのではなく、苦痛と地獄を引き寄せるもの。

セカイを変える為に、己を犠牲の贄としよ、と命じる毒の盃だ。

それを理解しているのに………自分は今、その盃を持ち上げて、飲み干そうとしている。

そんな自覚を持ったまま、しかし暴走する意識は少年への期待という名の欲望をぶちまける。



「何もかもがある、とは大きく出たな。だが、例え何もかもがあったとしても、事を為し得るには数が足りない事は理解しているのだろう? それを君はどこから得るつもりだ」


「数はどうだか分かりませんが……力はあるでしょう・・・・・・・・? 俺の目の前にも」


「───はっ! 自分を踏み倒すつもりか君は!!」



話題が何時の間にか摩り替っており、その主題も特に語られていないのに自分達は当然のように語り合っている事におかしくなってきた。

こんな路地裏の一角で、酔った騎士団長と妄言を垂れ流す少年が、酷く愉快そうにこの国をどうするかを語り合っているのだ。

馬鹿らしくて笑うしかない。

永遠と語り合いたくさえなる中、しかしウルフルクは敢えて唐突な言葉を吐き出した。




「──君はやるのだな?」


「やると決めましたからね。じゃあ、やらないと」



まるで明日の宿題を今からすると決めたからする、というような軽い調子で答える少年。

──その声に、どれだけ流血を浴びるかを覚悟しているのか、ウルフルクには察する事が出来ない。

故に、覚悟は問わず、ただ事実のみを告げた。




「───もしも、自分が民を暴動に巻き込むのは許さない、と阻んだらどうする?」



そう、天に手を伸ばす、という事はそういう事であり、犠牲は己ではなく弱い者から支払われる。

そうすれば、今以上に血が流れる事は自明の理だ。

それは正しさからは程遠く、平和を犯す行為。




善を為そうとするものこそが悪と成る。



その矛盾を前に、少年はそうですね、と小さく頷き──こちらに手を伸ばしてきた。





「───より多くの人の為に、屍山血河を築く手伝いをしてくれませんか?」



返された言葉は己の言葉よりも矛盾した言葉であった。

多くの人の為に殺戮する手伝いを申し出されるなんて聞いた事が無い。

なのに、少年の顔はまるで夢の成就を手伝ってくれ、と言わんばかりに真っすぐだ。

ぶるり、と体が震える。




武者震い──ではない。



これは心底の恐怖だ・・・

自分が今から歩む道は皆が羨むような煌めく騎士道の物語ではない。

誰もが避けたがる血と死体だかけの屍山血河を築いていく地獄のような坂道だ。

御伽噺のようにめでたしめでたしを現実に持ってくればこうなる、と言わんばかりの血の道を己に歩ませる死神のような手が目の前にある。





きっとこの手を取れば自分は9割9分命と死の狭間を歩み続ける事になり、十中八九、死後は地獄に堕ちる



それを分かっていて……しかし恐怖と同時に沸き上がるのは歓喜であった。

両の膝が地面に触れる。

位置関係上、まるで手を差し伸べる少年に対し、屈するような形になったが構わない。

見上げる形になった少年は背に月を浮かべ、より幻想的になっていたが、そんな事はどうでも良かった。

自分はそのまま差し伸べられた手を両の手で掴み取った。

かなりの力で掴んでいる自覚はあったが、少年は一切薄い笑みを崩すことなく、自分の力を受け入れてくれた。

それが最後の一押しになった。




「自分が……自分が……!」



震える声が情けないと思うが、見逃してほしい、と思う。

数十年生きてきたおっさんがまだ二十も生きていない少年に縋りついている時点で情けなさの極致なのだ。

それくらい許してほしい、と誰かに思いながら、己の思いの続きを吐き出した。




「自分が……! 自分が悲劇を背負えば……もう誰も……苦しい、と助けを乞う人が少なくなるのか……!?」



自分が現在の憎悪を受ける事で、未来の幸福を形作れるのか。




「もう……! もう、ひもじい、と泣いて叫ぶ子供を……! 子供を返せと叫ぶ親の姿を見なくて済む世界を築けるのか……!?」




路上で、おなかが空いたよう、と泣く子供が、しかし泣き叫ぶ体力が無いまま、涙だけを零す光景を見た。

栄養が足りずに亡くなった子供を抱えて、子供を返せと掴みかかってくる親の姿を見た。




苦しかった。

何もかもが苦しかった。

自分が剣を持ったのは少しでも人々を守れる力になりたかっただけなのに………蓋を開ければ、自分がしている事は肥え太った豚の安全を保障しているだけ。

弾劾してくる声がずっと耳に残った。

立派な鎧の重みを着けている事ですら罪悪感で一杯だった。

両の足で普通に歩いている事でさえ罪であった。

いっそ死にたいと何度思ったか。

しかし、死ねなかった。

自分みたいな菲才の身でも……例え少ない人数であっても、確かに人を救えるという事を事実で理解していたが故に諦めきれなかった。

それが対処方法でしかない事を理解していながら、それしか出来ない自分に絶望した。




後、何人、子供が泣く様を見届ければいい



後、何人、誰かが誰かの死を嘆いて怒る様を受け止めなければいい




一人死ぬだけで怒り、嘆き、苦しんでいた自分が段々と人々の死に対して鈍感になっていくのが怖くて仕方がなかった。

自分が腐っていく様が苦しくて苦しくて……苦しくなくなっていくのが苦しくて死にたくなった。

だから、もう何もかもが無駄だ、という自棄に陥ろうとして───ここに血と笑みを共存させる人のような怪物が現れた。

そうだ、この少年は怪物だ。

怪物に違いない。





何故ならあれ程、己を押し潰していた世界を少年は躊躇なく破壊した




殺害したと言ってもいい。

セカイを滅ぼすのは人の領分ではなく怪物の領分であるならば、猶更に。

ならば、この少年は化け物だ。

だけど、それでいい、その方がいい。

最早、人間ではこの閉じた圧政の輪を破壊する事が出来ないというのならば、いっそ化け物の手によって破壊し尽くして欲しい。

そんな意味を、多分に込めた自分の叫び声に……やはり、少年は笑みを浮かべたまま、しかし困った顔を浮かべ、それに沿った声で答えを返した。





「俺は神様でもなければ悪魔でもない。絶対なんて言えないし、約束も出来ない」




大の大人から怪物だ、と称されているとは思ってもいないだろう少年は律義に答えた。

自分がする事が絶対成功するわけでもなければ、もしかしたら悪い方向に転がる事も有り得ると。

言わなくてもいい事を言う少年に、内心で苦笑しながら聞いていると、やはり少年は言わなくてもいい事をわざわざ自分に告げた。





「だから、俺が出来るのは貴方にとってどうでもいい確約だけだ」




それは





「例えどうなろうとも───俺は、必ず地獄に堕ちる。貴方だけが苦しむなんて不平等は絶対にない」




はっ、と笑う。

確かにそれは意味のない確約だ。

同じ地獄に堕ちる者が一人増えるだけなんて意味がないにも程がある。

意味なんてない。




意味なんてない───自分が一人じゃない、と知る以外は




「………十分だ」



それでいい。

もう、それだけで自分は十分であった。

命を賭け、捧げるには十分であった。






※※※




そうして当時を思い返すと恥ずかしいのなんの。

言ってることは酔っ払いのそれだし、話題も唐突に飛び飛びするし、最後には子供に拝み倒しだ。

人生の恥という意味ならば間違いなくあの夜に全てを吐き出した気がする。

あれから数年、まだ世界は何も変わっていない。




───しかし、少年が今も変わらず動いている事だけは察していた




時折、城内の中でふと振り返ってしまう時がある。

何も見えないし、感じないのだが……殺し合いで培った第六感が何かが"居る"と囁くものが居る。

それに気づいた後、もう一度貧民街に向かえば、そんな気配がない気配がかなりの数存在するのをウルフルクは感じ取った。

普通なら調査対象だが……その存在が、貧民街を守る様に存在し、駆け巡っているのを知れば、それが誰の手によるかを理解できる。

あの少年が、あれから休む事無く"やる"と決めた事をやろうとしているのだと。

なら、あの少年は今も変わってはいない。





優しいままに冷たい死神のようなままで居てくれているだろう




それを思い、ウルフルクは小さく笑う。

これからが楽しみで仕方がない、と笑う自分は間違いなく地獄に堕ちるだろう。

その先に、あの少年がいる、と確約された地獄だ。

どれ程の悪鬼が蠢く地の底であったとしても恐れる事は無い、と思うのは聊か頼り過ぎか、と考え、想いを振り払いつつ──一つの懸念を思い、ある方角を見る。



西の方角



魔法国家と名高きレーヴェルト王国が存在する方角。

つい先日、東の大国であるエンデルバルト王国から使いの者が送られたという事実。

生憎、自分にはその使いの者と喋る事は出来なかったが、遠目から見た感じだとしっかりとした御方だと思えた。

レムナントの腐り具合を知っているだろうに何一つ顔には出さず……しかし、人々を見るとき、一瞬だけ目を細めていたのをウルフルクは見ていた。

その仕草だけで、立派で優しい御方と見るのは職務上、やってはいけないか、とは思うが、思う事は自由だろうと言い訳を自分に許した。




だから、問題は無い筈だ




無い筈ずなのに………




何故こうも嫌な予感が膨らむ………



意味も分からぬ不安感を胸に秘めながら、ウルフルクは東の空を見る。






空の色は何も変わらないまま………しかし雲だけが東の空にある今日の天気が余りにも空気を読んでおり、ウルフルクは一人、眉を顰めて空を睨んだ。





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