立ち上がるには



エルウィンは貧民街にある小さな広場で、昼食を食べていた。



「むぅ…………サンドウィッチ一つに800とは。国王め。あれ程、無駄に暴食暴飲し、宝を愛でている癖に、これ以上、何を求めると言うのだ…………」


「言うな言うな。口にしていたら、うっかりパレードの時に、尖った石をケツにぶち込みたくなるぞ」



店主と共に愚痴を溢しながら、食事にありつく。

確かに不平不満など口に出せば幾らでも出てしまう。

誰も今の王を守ろうなどと思うモノ好きはいないだろう。勿論、腐った奴らを除いてだが。

権力と欲望だけの人間が上に座ったらこうなる、という典型例のような状態に、エルウィンは漏れそうになる殺気を抑えながら、空を見上げる。

年だけは無駄に重ねたが、見上げる空だけが不変を保っている事が、とても救いのように思え、つい、口が勝手に動いてしまう。



「子供の身で警護隊を率いている少年の爪の垢でも飲ましたくなるな」


「エルウィン。そいつは駄目だ────あのクソに飲ませるには上等過ぎる。俺らの小便くらいが丁度いい」


「はっ────」


下品な冗談に、しかし確かに、と頷く。

あの無能に、レオンの爪の垢など勿体なさ過ぎる。

諺に豚に真珠というのがあるが、無能が相手なら何を挙げても勿体ない、としかならない。

そんな風に、笑いながら、再びサンドウィッチを一口頬張りながら、話題に上がった彼で話を盛り上げていく。



「そういえば、今日は警護隊のメンバーを集めて、何かをする、と言っていたが」


「どうやら街を使っての訓練らしいな。そんな派手にやっていいのか、とは思うが…………レオンもそうだが、シオンも特に否定せずにやるってこたぁ…………」



その騒ぎを、外に漏らさない自信があるという事か、とエルウィンは思いながら、視線を街に戻す。

そこにあるのは当然だが、何時もの街の風景だ。

人々がおり、物が有り、そしてそれだけ。

貧民街の外に比べれば、余りにもみずぼらしく、整地されていないが、それでも活気だけは他よりも立派な場所。

本当に何時も通りの場所────しかし、エルウィンの感覚では違うものを感じ取っていた。

目に見えるわけでも無ければ、音が聞こえるわけでもない。

視覚聴覚嗅覚触覚の味覚を除く五感では何も感じ取れない────が、今まで培った第六感が間違いなく、"いる"と囁くのだ。

なのに、エルウィンには"それ"を捉える事が出来ない。




「……………大したものだ」




小さく呟く言葉には二つの呆れが混ざっている。

一つは、老いたとはいえ、一切、目に移らず、聞かせず、匂わせない隠形。

相手が殺しに来れば別だろうが、それでもこうまで目に映らせないとなると最早、神業を超えて魔技の域では無いだろうか。

邪道であれ、ここまで達すれば、畏敬の念を禁じ得ない。

そして、もう一つはここまでの域に達した達人を勧誘せしめた人間に対する呆れの形で込み上がった感動だ。

これ程の技を持つ人…………否、集団が、この貧民街にいる理由は凡そ理解出来る。

隔絶した技能で、信用を勝ち取れることもあれば、逆に恐怖に見られる事があるという事をエルウィンはよく知っている。

もしくは、単に以前、仕えていた人間がここの王のように下らなかったのかもしれないが…………どちらにしろ、期待だったり、夢だったりに裏切られた可能性が高い。

そんな人間に絶望していたであろう者達が、こうして貧民街を囲むように技を使っているという事は、つまり、ここに己の技を駆使する事を躊躇わない存在がいるという事で、それが誰だか分からない程、耄碌はしていなかった。




全く以て、人たらしにも程がある。



それを本人も自覚しているからこそ、余り持ち上げないでくれ、と周りに苦言を呈しているのだろう。

あくまで自分も人間なのだから、全て正しい事をしているわけではない、と。

最もな意見だ────が、今までの功績が中々それを認めれないというわけだ。

贅沢なのか、切実な悩みなのか謎じゃな、と思い、髭を撫でて再び空を見上げ──────一瞬で、手に持っていたサンドウィッチを出来る限り丁寧に椅子に放り投げ、そのまま腰に吊っている長剣と短剣を引き抜く。

剣を握れば、即座に意識が切り替わり、呼吸するかのように身体が強化されていくのを感じ取りながら────上空から飛来してくる存在に対して両の刃を持って捌いた。




「────」



時間を寸刻みに刻みながら、飛来してきたモノが拳…………人である事を認識しつつ、最早、自動的の域で双剣が振るわれる。

単純な膂力という意味ならば、向こうの方が遥かに上だ。

故にただ剣を合わせれば、即座に折れるのが自明の理。

故に、エルウィンは力に頼らない。

頼るべきは剛力より柔。

元より、エルウィンの力とはすなわち長年培ってきた剣術けいけんに他ならない────




「────」



剣と拳を打ち合わせるのではなく、拳に添うように剣を這わせる。

そのまま力の流れを、まるで風が当たる穂のように誘導し、逸らしきる。

余人には、まるで攻撃を仕掛けた側が手を抜いた、もしくはエルウィンが力をもって逸らしたのだ、としか思えないだろう。

敵手からしたら悪夢ような出来事だろう。

全霊をもって攻撃を仕掛けたはずなのに、振るわれた拳は雨が落ちるのと同じくらいの自然さで逸らされ────その上でカウンターで短剣が己を突こうとする攻撃が見えるのだから。




「────ほぅ」



寸止めするつもりではあったが、響いたのは空を裂く音では無く、甲高い金属音。

残った拳を以て、連携を打ち崩された事に、感嘆の吐息を自然と吐いてしまう。

ましてや、それを為したのが元教え子となると気分は爽快である。



「よくぞそこまで練り上げたサヤ。上から目線の物言いに聞こえるやもしれんが…………賛辞を受け取ってくれるかの?」


「────流石にそこまで器は小さくありません。ですが、初撃を難なく対処されている時点で高みには未だ到達せず、といった感想ですが」



堅いのう、と髭を撫でながら、呆れを呟くが、内心ではそのストイックさは好ましく思う。

男であろうが女であろうが、道を究めようとする者は美しいものである。

少女の求道がどこまで行けるか気になるのは、正しく老婆心のようなものかのぅ、と思うが



「で、今回は何用だ? まさか唐突にバーバリアン魂が刺激されて、辻斬りならぬ辻殴りでもしたくなったというなら老人虐待じゃぞぅ」


「ええ────実は前々からその髭が目障りで。後、思い出したかのように老人アピールするのもうざいのでそろそろ息の根を止めようかと思いまして」


「貴様…………!!」


見れば、整った顔は実に美しく微笑している…………あれはマジな顔だ。



「髭狙いの侍女とは………貴様、マニアック過ぎるじゃろ! どこまで開拓するつもりだ!!」


「人を変態扱いにするとは何事ですか。私のマスタジャンルはレオン様オンリー。他はショタも爺もロリもレズも範疇外です────無論、レオン様ならば例え、ショタになろうが年を召されようが、ロリになろうがレズになろうがオールOKですが…………!! くっ………! ジャンル開拓する時間が必要ですね…………!!」


「おーーい。こっち。こっち注目」



一人、集中していく侍女を見ながら、とりあえず視線が戻らないのを確認し、吐息を吐きながら



「────で? レオン。本当ならこの辺りでお主が奇襲の段取りじゃったと思うんだが…………何を他人のサンドウィッチ、盗み食いしておる」


「このサンドウィッチうめーー」


「味の感想を聞いてるんじゃない…………!!」



ニコニコ笑いながら遠慮なく椅子に座って他人のサンドウィッチを食う所は流石だ。

実はこの少年、余り、儂の事は敬ってくれていないのではないか?

いや、別に敬って欲しいわけではないのだが…………と思っていると一つ少年に対して違和感を覚える事があった。




む…………? 武器を持っていない…………?



少年の得手はオードソックスな剣。

無手で戦えないわけでは無いが、やはり、剣を使って戦う事こそがレオンのバトルスタイルであり、所謂、最強形態だ。

本人も手を抜くような人間では無いのだが…………というか儂のサンドウィッチを全部食いおった。許せん…………!! と言って突っ込むには余りにも不穏な気配がし、思わず一歩引き




瞬間、目の前に空から剣が落ちてきた




「────」



勢いよく落ちてきた刃はそのまま大地に中ほどまで突き刺さり、残った勢いは震わす事によって消化していく。

当然だが、別に周りの誰かが落とした剣というわけではない。

というか、さっきから普通にバトッていれるな、と思ったら、何時の間にか周りは皆、避難して賭け事とかしている。

言っとくが、爺は年だから恐らく途中でぎっくりだ、という会話、聞こえておるからな? 後でしばき倒す。

まぁ、つまり、この剣を投げたのは目の前にいるおっしぃーーーと唸っている少年以外におらず────背筋が震えながらも、口を笑みの形に変えてしまう。

卑怯と思う気持ちも無ければ、恐怖も感じない。

戦闘に置いてその手の感情が動かないよう訓練された自分が感じ取れるのは怒りと…………今のような歓喜くらいだ。



「……………一体、何時投げたのかね?」


「さぁ? 何時だと思う?」



ポーカーフェイスも完璧となると満点を挙げたくなる…………が、本人は今のが当たっていない時点で問題だ、と思っているだろうな、と思う。

向上精神溢れる少年だという事は良く分かっているので、その心中は察せれる────で、あるならば儂も応えなければならない、というのが一応、仮とはいえ師であった自分の務めか、と思い────スイッチを完全に切り・・・・・・・・・・替えた・・・




※※※※




ぞっとする感覚と同時に、レオンは椅子事倒れる勢いで、後ろに首を倒しながら飛ぶと目の前に銀の線が走るのを見て取った。

剣だ、というのは見て取れたが、その鋭さと間の取り方は本当に毎度見事としか言えない。

エルウィン師父の身体強化魔法の格ははっきり言えば、中の上に近い、上の下、といった所だ。

英雄クラスには二歩程足りない、といったレベルなのだ。

なのに、今の一瞬に俺と、そして少しだけ自分より離れていたサヤが同時に・・・攻撃を受け居ているのだ。

向こうはアッパーカットで放たれた攻撃を避けたのか、仰け反りながら躱しており、侍女服のスカートの端が僅かに切れているのを見ると、向こうはギリギリで躱したようだ。

俺とサヤは互いに英雄クラスの身体強化を扱っているにも関わらず、これだ。

老いて尚、落ちる事のない剣の輝き。




剣聖エルウィンの真骨頂とは力でも無ければ早さでも無く、巧さ




俺とサヤが視線、呼吸、拍子がずれた刹那を狙っての一閃は最早、ある種の魔法の領域に入っている。

故に、それでこそ挑み甲斐があると俺は唇を歪める。

その笑みを見届けたであろうエルウィン師父も同じ笑みを浮かべながら、即座に目の前で刺さっていた俺の剣を蹴り上げる。

俺に渡して正々堂々と勝負する為────ではなく、即座に浮かび上がった剣の柄尻を更に蹴り上げ、投合武器とする為だ。

矢ですらもう少し慎ましやかに飛ぶだろう、という勢いで飛んでくる刃を軽く半身になって躱しながら、通り過ぎようとする剣の柄を掴み、結果的に武器を取り戻す。

この勢いで刺されば、如何に模擬刀といえど、人体を貫くのだが、この程度、俺達にとっては挨拶にも等しいのだが




「────何を、男二人で楽しんでいるのですか」



爆発音に近い音がエルウィンがいた場所で響く。

仰け反り姿勢から態勢を整えなおしたサヤから繰り出された一撃が、目の前にある決して小さくはないクレーター…………街の事も考えて、力は調節しているだろうが、あの細腕でこれだから凄まじい。

勿論、広場には店の為の椅子やら何やらが展開されていたのだから、周りから俺の店の椅子がぁ! とか叫ばれているが、レオンはクールに無視する。

いざという時はシオンに押し付けて、俺は"彼女"の下で癒されよう…………と決めながら、刃を突きの姿勢で構え、そのまま滑るように突撃する。

今の一撃は十分に人を殺す一撃であったが、あの程度のテレホンパンチで倒せるようならば、当の昔に打倒している。

現に、拳の威力で作られた煙の中から切り裂くように現れるエルウィンの姿には、一切の傷がない。

さっきはテレホンパンチとか言ったが…………技を習い、身体を強化された少女が放つテレホンパンチだ。

それをああも容易く躱すのだから、洒落になっていない。

そんな畏敬に、付き合う気がないのか。

エルウィンは俺に意識を振りながらも、身体はサヤの方に飛ばした。





※※※※





「────っ!!」



近かったとはいえ、エルウィンの剣先がこちらに向くというのがどういう意味か、短い瞬間ではあるが悟ったサヤは一瞬にして激怒に近い感情を発した。

数に置いて劣る人間が、まず望むことはその数を減らす事。

そして、数を減らす上で、それを為しやすい相手はつまり、より弱い方を狙うのがセオリー。

それら全ての理屈を納得した上で、サヤは激怒した。




一切…………迷うことなく、私を狙いましたね…………



寸刻みで進む時間の中、サヤが浮かべるのは怒りの形相────ではなく笑みであった。

10人が10人、その笑みを見れば、美しさに見惚れながら────己の死を自覚するだろう。

そんな笑みを浮かべている事を自覚しながら、サヤは拳を作る。

サヤとて現状を見ない愚者ではない。

エルウィンの観察眼を正しいと認識できる。

レオン様は私と自分では同格と仰ってくれたが…………先程の剣のように、レオン様には何をしでかすか分からない恐怖がある。

単純な物理では同レベルである、というのは嬉しいし、自覚もしているのだが…………サヤにはそれで彼相手に勝てるとは思えないのだ。

いや、鍛錬レベルなら勝つ事は出来るだろうが…………今みたいに実践を想定した闘いでは、勝つイメージが浮かばない。

それを弱気と取るか、事実と取るか悩むところだが…………とりあえず、エルウィンの心境には同意できる部分がある────が、だからと言って、はい、自分は弱いです、と認めれる程、サヤの器は大きくはなかった。




「────」



握りしめていた手から力を抜き、呼吸を一度行い、脱力の態勢に移行する。

勿論、諦める為ではない。

力だけでは、この剣聖には勝てない。

故に必要なのは無駄な力では無く必要最低限の力。

敵を穿つ力のみを残し────視線から力を抜かないまま、この国最高峰の剣士を迎え撃った。





※※※※




おお、とレオンは素直に感嘆の吐息を吐いた。

誰だって目の前で、こうも素敵なモノを見せられたら、こうもなる。

目の前で繰り広げられるのは剣と拳による乱舞。

力では無く、技と目の戦い。

顔のすぐ横を刃がすり抜けようが、脇を掠めるように拳が通ろうが、どちらも構う事がない。

必要なのは互いの武器と己の武器。

足首を斬り落とす為に腰を落とした斬撃を最低限の一歩で後ろに躱し、皮一枚の流血を以て、躱し反撃を狙うサヤ。

己を叩きのめそうとする拳に対し、むしろ前に出て戦うエルウィン。

訓練とはいえどちらかが失敗をすれば命を失う場だというのに、レオンの心に浮かぶのは美しい、と称賛する心であった。

現に、二人もまた笑っていた。

笑う理由は違えど、どちらも心の底から生まれた感情に沿って笑みを浮かべていた。

その笑みが余りにも美して、あっという間に憧れてしまいそうだ。




────俺は、皆が言う程、正しい人間であるとは一度も思った事が無い。



正しい事をしてくれたから、正しさを思い出せた、というが俺からしたら正しい事をしてくれたのは皆だし、尊敬し、憧れるのは周りの皆であった。

誰も彼もが苦しさの中からもがく様に、立ち上がるように生きていて、それが俺にはとても美しく、眩しい者であった。

それを言うと、お前が言えた義理か、などと皆が言う。

言えた義理だろう。




だって、俺は自分が不幸だなんて一度も思った事が無い。



生みの親に捨てられ、衣食住のどれも欠けていたのはまぁ、不運ではあったかもしれない、とは思うが、不幸だとは思わなかった。

だって、俺には立って歩ける足があった。

奮い立つための拳があった。

前を見る為の目があった。

それだけあれば大量の釣りが帰ってくる。

だけど、皆は違う。

皆は奪われた所から始まっているのだ。

家族であり、恋人であり、お金であり、仕事だったり。

どれも下らないとはとても言えないモノを奪われた所から始まり、そして立ち上がったのだ。

どう見ても、俺よりも周りの方が苦労している、と思う。




ゼロから始まっているからこそ、後は増やしていくだけだった自分と


100あったものを根こそぎ奪われて、ゼロになってしまった皆



皆は前者である俺の方が頑張ってくれた、と言うが、俺は後者である皆の方が凄いと思う。

そこら辺、理解を得れないのが残念なような無念なような。

シオンにこれを言うと、苦笑して、俺はそれでいい、と言うし、サヤは微笑んで、何も言わない。

子供扱いされているようだ、とは思うが、まぁ、周りの皆からしたらまだまだ子供か、と思いながら、そろそろサボりを終えないといけない。

さっきまでは対等の攻撃の打ち合いをしていたが、段々とサヤが少しずつ押されるような形になっている。

何時の間にかサヤの周りに店やら、机などがある雑多な場所に追い込まれたから、力を発揮できなくなってきたのだろう。

そういう所も上手いから流石だなぁ、と思いながら、レオンも参戦を決意し、走り出す。

己もまた、始まりは違えど、ゼロから積み重ねる、と誓ったのだから、と決意を胸に秘めながら、剣戟の空間に足を踏み入れた。





※※※※



結果として、鍛錬と称したお祭りは終了を迎えた。

壁にもたれているシオンは今回はまとめ役として参戦はしなかったが、そのお陰で全体を見る事が出来たのだ、一応、軍師としては良い収穫だった、としか言う言葉が見つからない。

士気もそうだが、各自のそれぞれの質を問うならば、正規兵にも劣らないと断言できる。

士気を上乗せすれば、こちらが上回っている、と贔屓目無しで判断できる。




…………まぁ、それはあの愚王が上であるから、という前提条件の下だが



あんなのが上に居れば、騎士だって剣を振るう気も起きなくなるだろう。

騎士団の多くは生きていく為に、もしくは誰かを守りたくて入った民だ。

中には貴族というクソな特権階級を見せつけに入った奴もいるみたいだが、一部が腐っているからと言って全部を腐っている、と見るのは軍師としては節穴の判断というものだろう。

無論、話してもいないのに、信じるというのも能天気な発想だが




「ああも、苦虫を噛んだ表情を見せられてはな…………」



パレードの時に王の護衛をしている騎士は、兜を着けていても隠せない程に、口を歪めていた。

無論、下らない事をしている、という形に。

そんな顔をしたまま、手を震わしていたら、文句を口にする事が出来ないではないか、と苦笑し




「────シオン殿」



壁にもたれているシオンの背中側から・・・・・声が響くのをシオンは聞き届けた。

そんな異常事態に、しかしシオンは特に苦笑を消すこともなく、そのまま会話を続けた。




「レオンは相変わらずか?」


「はい────また例の路地に入った所で追跡する事が出来ず、見失いました」



その結果に、呆れの吐息を吐くが、仕方あるまい。



「君達ですら撒かれるのならば、最早、そこはある種の異界だな。それを解除するのに私程度の命で足りるかどうか」


「入り口を塞ぐ、というのは如何でしょうか」


「さて、やってみないとどうなるかは謎だが………その手の結界はそもそも入り口という概念が曖昧だ。例え岩や鉄屑で塞いでも、それ事入り口にしかね・・・・・・・・・・ない・・




正しく万事休すという結論に、シオンは片目を瞑ってお手上げのポーズを作る。

姿の見えない話し相手からはため息を吐く音が形作られたが、こちらとしては苦笑するしかない。



「楽観論だが、今までずっと行っても帰ってきたんだ。レオンが危険しかない場所に行っているわけではないと思う。怪我もそうだが、服も一切汚れていないしな」


「我々はこれまでがそうだったからといって、これからも、と思える立場では………」


「………すまん。口が過ぎたな。だが、何度言っても聞かない以上、残りは実力行使するしかないんだが」


「………」




それを言われると弱い、と言わんばかりに沈黙を作る隠密に自身も再び苦笑を漏らしながら




「────それで。レオンに言われた指令は完遂したのか」


「────」



一拍



その間に、冷たい風が自分の体を貫いたが、即座に警戒を解いたのか。

再び、呆れのような吐息を吐きながら、しかし告げられた言葉に対する愚痴が返ってきた。



「我々が言う事ではありませんが、まるでこの貧民街は一つの特異点ですね───王も英雄も、陽炎も剣聖も鬼謀すらも集まる」


「鬼謀は持ち上げ過ぎだ。軍師と言っても、どちらかと言うと私自身は伝令役のようなものだ。気付いた理由も本当に何となくだ────この街から人が少なくなっているような気がする、というな」



シオンからしたら、些細な違和感を感じ取っただけなのだ。

ふと、街を見回すと人が少ない、と感じる。

貧民街がそう大きくない街であり、人の出入り自体は少なくはないと理解した上で、物足りない、という感覚が思考にしがみついて離れないのだ。

こういうの根拠のない違和感を感じ取れる能力を精霊に愛されている・・・・・・・・・、と言うそうだが、シオンとしては適当言っているだけではないか、と思う。

しかし、そんな根拠のない違和感で実態を探られている側は堪らないのか、成程、と前置きを置き



「まだまだ修練が足りていない、と肝に銘じます」


「これ以上、気配を消されたら触れる事すら難しそうだ」



つまらない戯言を枕に、声以外一切姿形を消したものは、問われた答えに対して口を開けた。



「────世に害を、今代の王による甘い汁だけを吸う害悪共を見張り、研ぎ澄ませ・・・・・との事です」


「………!」


思わずシオンは振り返りそうになる体を慌てて止めていた。

決して驚愕からそうしたのではなく、喜びによるもの・・・・・・・だったが、事が決して綺麗な方法ではない以上、手放して喜ぶのは余りにも不謹慎だったからだ。

だから、友として、人としての喜びには一旦蓋を閉め、彼と共に歩むものとしての言葉を紡ぐ。



「………立ち上がるつもりになった、と?」


「本人は世直しも下克上も自身の器に見合わない、と語っていました」



よく言う。

その言葉を信じるのならば、器にそぐわない事を、しかし、やる・・という事ではないか。

そちらの方が大望ではないか、と笑うが、言っても聞かない人間に対して言い聞かせるのは意味がない事だ、と知っている為、特には言わない。

だから別の文句を口に出す。




「そこで私に対して何も言わない所が、本当に昔から変わらぬ気に入らない所だ」




一応、主ではあるがそれ以前に友人である相手である故に遠慮なく不満を口にする。

その不満に、姿形がない者も概ね同意なのか。

肯定はしないが否定せず────ただもう一人の主の言葉を伝えた。



「レオン様が何れ気付くであろうシオン様が気付いたら自分達に伝えた言葉を伝えよ、との事です」


「………何と?」


「────"死ぬ覚悟は抱け。しかし、抗う覚悟も抱け。格好つけて無駄死にを良しとするなら背中から切り捨てる"」



言葉の全てを咀嚼した後、シオンはくくっ、と小さく笑う。

全く持って容赦がない。

どんな絶望的な状況でも抗いながらも、死ぬ可能性を受け入れ、しかし死を恐怖せよ、だなんて暴君かあいつは。

使える奴は、使い潰すまで壊れる事を許さないとは怖い、怖い、と笑う。



「君達も幸運災難だな。扱き使われるぞ」


「────ええ、有難い事に。道具として使い潰されるとは」



夢のようだ───



そんな呟きを口の中で見えもしない口の中で転がすのを、シオンは特に追求しないまま、空を見上げる。

全く以てその通りである。

この場合の使い潰される、という事は、消耗されるというわけではないというのをよく理解している。

自分が持っている才を、否、人生を燃やし尽くすように生きろ、という事だ。

諦めと絶望による死を以て幕を閉じるのではなく、最後の最後まで足掻いた末の死を受け入れろ、という事だ。



酷く酷な命令だ。



絶望とは決して悪い事ばかりではない、というのに、私の友兼主はそれを認めてくれない。

特に一応軍師の立場である私や影として諜報から暗殺までこなしている彼らはいざ敵に捕まったりなどしたら悲惨な目に合うというのに、そんな状況でも己の為すべき事を為せ、なんて酷く酷だ。

当然、言った本人はそれを理解した上で言っているだろう────言った本人こそがその覚悟を持っているだろうから。



「………まぁ、我らも満面の笑みで言われた時は背筋が冷えました」


「上に立つものに必要なのは暖かな日差しのような優しさと必要ならば必要なだけ焼き尽くすように奪う冷酷さ、という事だろう」



この世界には万民を幸せにする方法何て無い。

全てを救うことが出来ないのなら、必要最小限の犠牲を以て、誰かを救う。

実に正しい、人間の行いであった。

だから、少年は………否、私達は身近にいる誰かを大事にし、大事な人を傷つける相手を排撃する。

少年の命令もそれと同じだ。

例え、どれだけ少年の思考や身体能力が卓越したものであったとしても、彼の体は一つで、彼の力は彼が持っているもの以上のものはない。

だからこそ、成し遂げる為に他人の力を頼る。




………唯一甘い、と思えるのは、そうやって事前に酷く冷たい言葉を吐いて、逃げる余地を作ることだろう。



これから先の、惨い可能性を示唆して、そうなりたくなかったなら、逃げてもいい、と。

意識的にそうしているのか、無意識に伝えているのかは知らないが………毎度同じことをしているのを見るともしかして無意識かもしれない。

………当たり前だ。

ただ冷たいだけの人間が、こんな風に皆に笑いかけられるような人間になれるはずがない。

暖かく、誰かを守りたいと願う少年も、いざという時は殺戮や身内さえも使い潰す手段を肯定する姿。

どちらも真実の彼だ。

真実の姿だからこそ………その背反が苦悩になっているはずだ。

優しければ優しいほど、酷く簡単に命を切り捨てる決断をする自分に嫌気が差し、冷たければ冷たいほど、優しい己を侮蔑しかねない。




その矛盾した在り方を………人々は美しい、と称するのだろうが




そんな器用な友を持つ人間としては、精々悪態を吐くくらいだ。




「────地獄に落ちても楽しめそうだ」




そんな一言を空に零し、己の覚悟を自然と溶かす。

そんな自分に、影は何も答えないまま、しかし、笑う事もせず、友人であり、軍師でもある在り方を示した人間に沈黙を以て敬意を示した。





────何れ来る地獄の沙汰を前にしても、友と落ちるのならば、何も変わるまい、と




気付くと影の気配が完全に消え去っているのを感じ取り、シオンは職務に忠実な在り様に微笑を洩らし、再び空を見上げる。

そこには変わらぬ青空が広がっており────昨日、青空教室で子供に手を出そうとしていた変態が、何故か、空を直立姿勢で吹っ飛んでいる姿があった。

空に居るのは何時の間にか脱獄したからだろうが、空を飛んでいるのは何故だ?

吹っ飛び方から、飛んできた方角を読み取り、そちらを見てみると、明らかにそこいらの主婦と思わしき女性が、こう、ジャイアントスイングを終えたようなポーズの姿勢を作っているのを見ると下手人はあの人だ。

おまけに近くに?マークを浮かべている子供がいるのならば、完璧だ。

つまり




「再犯か………!!」



警護隊のメンバーの一人として再び変態を捕まえに足を動かせながら、今はまだ泥濘のような日常を回す。

何れ、それを壊す罪人として自分は堕ちるのだ、と認識しながら、しかしシオンの足が止まることは無かった。



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