とある都市伝説の真相

矢田川怪狸

第1話

 私が教師になって初めての年、副担任として受け持ったクラスで『窓辺に立つ少女』という怪談が流行った。


 学区内にある朽ちかけた廃屋、その二階の窓に時々姿を見せる女の子がいるのだという、実にくだらない怪談だ。

 私は、噂の発信源である犬飼君を呼び出して責めた。


「きみさあ、そんな無責任な噂をばらまいたら、いろんな人が迷惑するでしょ」


 この時、私は『窓辺にたたずむ少女』の実在を信じて疑いもしなかった。


 とはいっても、口裂け女や人面魚のような怪異の存在を認めるという意味ではない。

 私は、胡散臭い都市伝説の類など、絶対に信じない。


 廃屋に見えるその家には実は住人がおり、その少女はその家の子なのだろうという――少女の実在を信じたという話だ。


「特にそのおうちの人は、勝手にお化け扱いされたら、困るんじゃないかしら」


 しかし、犬飼君は悪びれなかった。


「そのおうちの人って……あの家には、誰も住んでないですよ」


「どうしてそう言い切れるの?」


「僕、あの家の中を探検して、誰もいないのを確かめたんです」


「よそのおうちに、勝手に入ったの?」


「だから、よそのおうちじゃなくて、誰もいないおうちなんです」


 彼がいうには、家の中は荒れ放題だったと。歩けば舞い上がるほどに埃が積もっており、並の人間なら、足跡を残さずに歩き回ることなどできないだろうと。


「ね、だから、あの家に女の子がいるとしたら、幽霊じゃないとおかしいです」


 犬飼くんは得意げだが、私は首をかしげる。


「その女の子の姿、誰か見た人はいるの?」


「僕が見ました!」


「本当に女の子を見たの?」


「嘘じゃないです! 僕は、あの窓から手を振る女の子を、本当に見たんです!」


「嘘じゃないのはわかっているわ、あなたは嘘をつくような子じゃないもの。そうね……」


 犬飼くんは嘘をついているのではなく、『女の子に見える何か』を目撃したのだろう。

 それは窓際に下がったカーテンの切れ端だったり、壁のシミだったり、あくまでも女の子の姿に見えるだけの別物だったはずだ。

 ところが犬飼くんは、自分が『女の子の幽霊を見た』のだと信じ切っているのだから、これを人に話すときは自分が見た『本当の』怪異として話すことだろう。


 そこに悪意はない。


 そして、この話を聞いた『誰か』には、その真偽に対する責任がない。

 単なる他人から伝え聞いた話として、面白おかしく次の『語り手』に話して聞かせるのだ。

 その時に、不足しているリアリティを補うために自分の考察を組み込む。

 時には、よそで聞いた噂を付け足して、よりドラマチックなエピソードを作り上げる。

 そうして、単なる見間違いによるうわさが、人の口から口へと伝わる過程で膨れ上がり、ドラマチックでリアリティのある『都市伝説』として熟成されてゆくのである。


 私は、都市伝説が生まれようとしている瞬間に立ち会っているのだ。


 犬飼君は口元をぎゅっと結んで、自分の見たものが嘘ではないことを、無言のうちに訴えていた。

 これを嘘つき呼ばわりして見放してしまうのはかわいそうだ。


 かといって私は、都市伝説などというあいまいなものを許容する気はない。

 私は駆け出しとはいえど教育者であり、そうした不道徳的で不分明な噂の類を許すわけにはいかない立場でもある。


 だから私は、優しい声音を心がけて、こう言った。


「君がその女の子を見たっていう、証明ができないと思うのよ」


「証明って?」


「そこに間違いなく女の子の幽霊がいるっていう、証拠みたいなものが欲しいっていうことかしら」


「証拠……それがあったら、誰も僕のことを嘘つきって言わないですか?」


「もちろん、言わないわ」


「そうか……わかりました」


 そのあと、犬飼君は難しい顔をして、帰って行った。

 これで、『窓辺にたたずむ少女』の怪談は、消えるはずだった。


 ところが、その日の夕方……犬飼君が死んだ。

『窓辺にたたずむ少女』が出るという家の前の道で車に轢かれて、即死だったそうだ。

 その後、犬飼君が『窓辺にたたずむ少女』に連れていかれたのだという話が、校内でささやかれ始めた。


 犬飼君は死んだときにカメラを抱えていた。

 それを現像したところ、赤いワンピースを着た少女が写っていたのだという。

 しかしよく見ると、その少女の赤いワンピースは染料ではなく血で染められていて、片手を撮影者に向かって差し出している――つまり、血染めのワンピースを着た少女が撮影者に向かってつかみかかろうとしている構図なのだという。


 犬飼君は廃屋から飛び出してきたところを車にはねられて死んだ。

 それほど慌てて廃屋の中から逃げ出したのは、この血染めの少女に追いかけたからではないだろうか、と。


 実にくだらない、典型的な『都市伝説』だ。


 ところが、この噂の発生源は特定されなかった。

 まったく偶発的に、同時多発的に、犬飼君を知る友人たちが『本当に見たこと』のように周りに語りだしたからだ。


 しかし、写真が残されているはずであるのに、その写真の現物を見たという者はいない。

 ゆえに、『窓辺にたたずむ少女』の実在は証明されず、その少女が犬飼君を『連れて行った』のだということも立証できない。


 にもかかわらず、この『都市伝説』は犬飼君を知る生徒たちが卒業した後も、わが校の定番怪談として長く語り継がれてきた。

 いつしか犬飼君という名前は忘れられ、彼は『窓辺にたたずむ少女に連れていかれた子供』というキャラクターとして、都市伝説に組み込まれてしまった。

 そして今も都市伝説の中で、仲間となる次の犠牲者を探す亡霊として生き続けている。


 ときどき、ふと思う。

 あの時、私が犬飼君をけしかけたりしなければ、彼は死ななかったのではないかと。


 しかし、都市伝説の中には、彼があの家に立ち入った経緯が語られている。

 そこには私の存在は一つも語られていない。


 彼は、あの少女が幽霊だとは思わず、ただ、写真をきっかけに友達になろうと、あの家へと足を踏み入れたのだという。


 実際には犬飼君は、あの少女がそこにいる、そして生きた人間ではないということを証明しようとしてあの家へ行ったはずなのだ。

 私が言った言葉を真に受けて……。


 まったくもってウソだらけ。

 都市伝説とは所詮、そんなものなのだ。

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