第7話 学園のリストランテ その2
エリザベートとシータは息を殺して、家庭科室の廊下から中を覗いていた。家庭科室の中では、男子生徒がひとり、難しい顔をしながら、鍋をかき混ぜ、調味料を入れ、しきりにすくっては味見をしている。
「おいしそうな匂いがするのぅ……」
「ほんとだね。昨日の戦いから何も食べてないから、なんだかお腹がすいてきたよ」
「しかし、シータよ。おぬしはまだ休息を必要とする身、ついてこぬでもよかったのだぞ」
「リハビリがてらだって言ったでしょ。それにアタシいないと君、ここがわからなかったじゃない」
エリザベートは、これまでは教室と同好会室とを行き来する毎日であったため、学内の案内には疎い。そのため、正直、シータが一緒に来てくれたのは嬉しかった。もちろん別の意味でも。
「なんだかワクワクするのぅ。こうして、友達と、冒険をしている感じがあるというか、なんというか」
「本当におおげさだね、エリィは」
元魔王であっても、1匹の魔物として生を受ける。しかし、魔界の法として、常に弱肉強食の戦いに身を投じる毎日だ。エリザベートにとってこのような体験は初めてであった。
「しっかし、アヤツ集中しておるのぅ。ワシらに気づいたそぶりも無いわ」
「料理における炎のコントロールってヤツはとても繊細な作業らしいからね。本気で料理人目指してるんだよ、アイツ」
「むむっ、ここは勇者の学園ではないのか?」
「そうだけど……周りの期待と、本人の意思とは別だからね」
「本人の意思……か」
ふと、エリザベートの頭にゴルドザークの顔が浮かんだ。ゴルドザークはこれまで自分を、自分の期待を裏切ったことなどなかった。しかし、今こうして自分がここにいるということは、その意思は、私の期待とは別のものであったのか、まさか、こんなところで思い知らされるとは。
「炎神スルトの血筋だからね……それに資質も一族の中では最高とか言われてるらしいし。絶対に許されるわけない」
シータが下を向く。そこに、その言葉に含まれた感情に、エリザベートはようやく気がついた。
「おぬし……アヤツのことを好いておるのか?」
「ババババ、馬鹿、な、何いってんのよ。いくらエリィでもそれは……」
その反応でバレバレだった。隠す意図がないのか?というほどに。
「良いではないか、こうして料理をしておる姿を見るとなかなかの男前であるし、おぬしの今までの話を聞くと、アヤツのことを大切に思うておるのだろう?それはとても尊いものだ。どのような宝石にも勝る輝きであるぞ」
「全てお見通しか、こんなに小さいのにね。でも、ありがと、エリィ」
「しかし、困ったな。おぬしはワシの、その、と、友達で、ワシの味方であると思うておったが……それを聞いてしまってはそういうわけにも行かぬ……仕方が無い、許す!アヤツの方につくがよい」
短い時間ながら、エリザベートなりに悩みぬいて出した答えだった。
しかし、シータは、それに対し頭を振る。
「……アイツの夢を壊してほしいんだよ、アタシ」
「な、何じゃと?」
「さっきも言ったでしょ。料理人になるなんて許されるわけないって。どうせ許されない夢なら、それでアイツがいつか傷つく時が来るなら、今のうちに砕いてやってほしいんだ」
「シータ……おぬし……そこまで、アヤツのことを」
周りの期待と、本人の意思、そしてシータの思い。
自身が魔王であり、自分の意思が唯一の意思であることを疑っていなかったエリザベートは、学園に来てからも同様に振る舞ってきたのだ。そんな彼女にとって、今日ほど人間の感情の複雑さを思い知らされたことは無かったといえる。
また、ゴルドザークの顔が浮かぶ。ええい邪魔じゃ、と頭を小ぶりに降りながらも、彼女は、再び、魔界にいる彼に思いを馳せた。
その時だった。
突然、深刻な話をしている2人の目の前の扉が開いた。
衛生帽子からうっすらと赤い髪が透けて見える長身の男が立っている。
「お前ら、何してるんだよ……あ、シータか。今日は友達も一緒なのか?」
傍らのエリザベートを見つけると、彼はにっこりと微笑んだ。
「う、うん」
「丁度いい、味見してくれよ。今日のスープは最高にいい出来なんだ」
「あ、ああ」
「そこのお嬢さんもこちらへどうぞ」
「うむ、苦しゅう無いぞ」
「おっと、本当に良家のお嬢さんだったかな。これは失礼」
勝手に解釈されたが、否定するほどのものでもないので、それには何も言わず、エリザベートは案内されるままに、シータと共に中に入り席についた。
2人の前にスープ皿が並べられた。
そして、彼が鍋からスープを掬い、丁寧にお皿にそれを注いでゆく。沸き立つ湯気は、なんともいえない香りがした。
しかし、そんな状況であっても、エリザベートは不安を隠しきれなかったらしい。
「どうかしたの?エリィ」
心配げなシータの顔に、今回も彼女は観念した。
「ガンマよ。このスープ、
怪訝そうな顔をするシータ。
しかし、ガンマはハッと気がついた顔をしてそれに返した。
「良家のお嬢さんを甘くみてたみたいだな。確かに、
ガンマの力説を聞いたエリザベートは、ニコリとすると、スプーンでひとすくいして口に運んだ。隣のシータも、その様子に安心したのか、それに習う。
「こ、これは……ウマいっ!体の隅々まで、心地よい何かで満たされてゆくかのようじゃ!」
「だろう?」
「おぬしはきっと最高の料理人じゃ。人間界、魔界のどこにも、他にこれほどの料理をつくれるものはおらぬであろう」
「ハハッ、まるで、魔界の料理も食べたことがあるみたいな言いぶりだなっ」
「……」
ガンマを称えるエリザベートの隣で、シータはスープを掬ったまま固まった状態だった。そんな、うつむき加減の彼女に気がついたのか、ガンマは声をかける。
「あ、そういえば、シータ、
「……アンタなんか負けちゃえばいい……」
「えっ?」
シータはスプーンを置き、急に立ち上がると、そのまま走って扉を乱暴に開け、廊下に出た。遠ざかる足音、そのまま彼女は帰ってこなかった。
「ったく、何だよアイツ」
「気づいておらぬのか、おぬしは」
「気づいて?何にだよ」
エリザベートは、ハァ、とため息をついた。走り去る時、シータは確かに泣いていたのだ。
「料理人という夢への一途さ故かの。それは美徳ではある。おぬしの料理がかほどに素晴らしいのもそのためであろう。しかし、どうやら今のワシにはそれが許せんらしい」
「な、何を言って」
「自己紹介が遅れてすまぬ。ワシの名前はエリザベート。『
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