第5話 君よ泳げ! その2

「おや、これは……」

「どうした?生徒からのお悩み相談でも入ったか?」

「いいえ、違います」

「違うのか……ワシが尋ねてよい内容なのかの?」

「もちろんですエリザベート、貴方の同好会室戦争パラダイス・ウォーの初回対戦相手から、勝負の方法とフィールドの指定ですから」

「何っ、み、見せよ!」


 そこにはこう書いてあった。


 勝負の方法:水泳バトル

 場所   :学園プール


「す、水泳バトルじゃと?」

「場所が学園プールですので水中で戦うということのようですね。あれ?どうしたのです、エリザベート」


 エリザベートは頭を抱えていた。


「こ、これは、マズいぞ……」

「マズい?どうしてです?」

「ワシは泳げんのじゃあああああああああああ」



 慰める校長の声が届いたのかどうか。

 エリザベートは「こうしてはおられぬ!」と校長室を飛び出すと、一目散に向かった。


 もちろん学園プールにである。


 学園プールは、プールとは言っても、人工のものではなく、四角い形をした聖なる泉ラクス・ジュトゥルネそのものを指す。その周辺に着替えをする場所、体を清める場所など設け、プールと称しているのだ。


「勢いで来てしまったが、どうしたものかのう」


 プールのほとりで、エリザベートは悩んだ。見るからに清らかな泉の水は、ただでさえ泳げぬ彼女に、さらに追加効果で聖なるダメージを与えそうであったのだ。


「これはきっついのぅ、今のワシでは向こう岸にたどり着く前に消滅してしまいそうじゃ……む?」


 泉のほうで、パシャパシャと水を切る音がしていた。

 よくよく見ると、水面を切り裂くような速さで移動している影がある。


「あれは何じゃ?人魚の類……か?」


 じいっと見ていると影は、プールの縁にて水面を離れ、人の形をとった。肩まである青い髪に、健康そうな肌の色、すらりとしたスタイルの良い体は、おんなのエリザベートであっても、一瞬見とれる程であった。


「何と、人間であったか!」


 そのつぶやき声が聞こえたのだろうか?

 水着の彼女は、エリザベートの気配に気がついたらしく、こっちを向いた。


「君、そんなところで何してるのさ?」


 プールには、何か許可等が必要であったのだろうか?

 エリザベートは思いもよらないその声かけに、回答に窮し、小さくプルプル震える。


「こ、ここにおってはいかんかったかの……?」


 彼女は、エリザベートのその様子にクスッと笑った。


「違う違う。泳がないのかってこと」

「泳ぐ……それができたらの……」

「えっ?」

「……ワシは泳げんのじゃ!」


 エリザベートの目に涙が浮かぶ。

 その悲痛な叫びにいたたまれなくなったのか、彼女はエリザベートの頭を優しく撫でた。


「誰しも、最初から泳げたりはしないわ」

「ううっ、ワシこの100万年程頑張ってみたけど、だめじゃった、ひっく」

「大げさな表現ねえ。でも、頑張ってもできないと、そう感じちゃう気持ちはわかるかも」

「に、人魚のような、お、おぬしにもか?」

「今だから、そんな風に人魚だなんてお褒めの言葉もいただけるけれど、アタシも小さい頃は、自分の力を上手く使えなくて、制御できなくて、水辺は地獄みたいに思えたんだ。自分の属性に有利な場所だって言っても、逆にお腹いっぱいな状態でさらに食事させられるようなもんでさ。この学園に来てからかな。上手くできるようになったのは」


 どこか違うところを見ながら話す彼女。

 彼女の語る物語はエリザベートの興味を惹くものであり、いつのまにか自分の悩んでいることは忘れ去っていた。自然と涙も止まる。


「そなたは、素晴らしい力と心を持っておるのう、羨ましいぞ」

「アハハハ、なんか王族か貴族みたいな言い方だね、君。でも。ありがと。その調子じゃ今日は……無理かな。でも、またおいでよ。そのときは泳ぎ方、教えてあげるから」

「い、いつでもよいのか?」

「アタシ、大体放課後は、いつも独りで泳いでるから……」

「……独りなのか?おぬしのような気さくな性格であれば、他の者とつるんだりしそうなものであるのに」

「昔は、水泳部入ってたんだけどね、その、いろいろあってさ」

「いろいろ?」

「目指すところが違ったっていうか……アタシは、楽しく泳ぎたかったんだけど、他の子は大会で優勝を目指すとかギラギラしててね。やめちゃったんだ、アタシ」


 だからか……エリザベートは納得した。

 実は、プールの近くに来たとき、別の方角で集団の人の気配がしたため、人気のない方へとエリザベートは移動してきたのだ。

 彼女らが、その水泳部なのだろう。


「そうか……ではワシが一緒に泳いでやろう」

「いきなり偉そうねえ。でも、君ならいいかも、ふふっ。アタシは厳しいぞぉ」

「エリザベート」

「えっ?」

「ワシの名前だ」

「なるほど、ちょっと長くて呼びにくいから、エリィって呼んでいいかな?」

「ほぼ初対面の相手に失礼な理由じゃの……まあよい、おぬしの素直さに免じて許そう」

「アハハハ。アタシはシータ、よろしくね」

「うむ」



 ……約束は、しかし、守られることは無かった。


 というのは、同好会室戦争パラダイス・ウォーの初戦はその翌日だったからである。

 校長はひたすら謝ったが、流石に許せんと、エリザベートは校長室で、他人には見せられない折檻をしたのだった。


 そして、今は、シータと2人水着姿で、プールという名の泉の真ん中くらいで空中浮遊している板の上に、のっている。


 シータは昨日出会った時と同じ競泳水着である。


 エリザベートの方はというと、校長に「伝説の装備です!」と無理矢理着せられた、胸に「2年3組 えりざべーと」と書かれた謎の紺色の水着姿だった。



「昨日の今日で泳げるようになるわけがなかろう……」

「そうか……でも、この勝負はアタシも譲れない!悪いけど勝たせてもらうよっ!『アトラスの大洋アトランティス』の勇者、シータ、参る!!」


 そう言うと、彼女は勢いをつけて板を踏み、宙を舞うと、水面に向けて綺麗な線を描きながら落下していった。そして水面から首を出し、まだ板の上で震えているエリザベートに声をかける。


「エリィ、早く来な。もし溺れてもアタシが助けるから!」

「シータよ。そなたはまことに勇者にふさわしい……」

「えっ?何言ってるの?聞こえないって」


 エリザベートが震えていたのは怖かったからだ。


 しかし、それは泳げないこと、下の水面への恐怖ではなかった。


 彼女は迷っていたのだ。


 この学園に来てから初めてできたかもしれない友を失うかもしれない、ことを。


「しかし、おぬしが譲れぬようにワシも譲れぬ。もう迷わぬっ!『氷地獄マカハドマ』の勇者、エリザベート、ゆくぞ!」


 吹っ切ったように叫ぶと、板を踏んで宙に飛び出す。

 言葉通り迷わず水面に向けて頭から落下する。

 そろそろ水面か、というところで彼女はカッと目を開いて下に手をかざす。


全面凍結スノウ・ボール・アースっ!!!!」


 水面が輝いた!

 そして、一瞬の後には、泉は綺麗なスケートリンクになっていた。


 エリザベートが唱えたのは、氷系究極魔法の1つ、その昔世界を破滅させたとも言われる凍結の魔法だ。


「シータ、すまぬぅ。やっぱりワシ泳げんのじゃああああ」


 エリザベートは、美しい氷像と化したシータの前で、さめざめと泣いた。

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