第2話 おぬしの名は。

 ところ変わって、ここはとある学園。


 桜咲き誇る季節は終わり、そろそろ緑が生える季節になった丁度その頃、学生達にしてみると、入学・進学後の学習スピードがやや早くなり、「あれ?俺って授業ついていけてない?最初の頃のゆっくりした感じはどこいったん?」って思ったりする頃、入り口の扉上に『校長室』と書いてある部屋で、校長らしき人物と、一人の少女の間に喧噪が起こっていた。


 校長らしき人物と表現したのは、外見がどう見ても20代くらいの男性であり、校長にしては若すぎると考えられたからである。


 対する少女は、ブロンドの髪を右と左でそれぞれ結ぶ、所謂ツインテールという髪型をしており、その髪型ゆえか、小柄な体ゆえか、この学園に通う生徒としては若干幼く見えた。良く言えば可愛い風体と言えるだろう。


緒芽我オメガよ、これは一体どういうことなのじゃ!」


 少女が、校長に激しく言い寄る。


「まあ、落ち着いてください、エリザベート、紅茶入れましたからこれでも飲んで」

「むぅ……変なポーションではあるまいな」

「普通の飲み物です。聖なる祝福はかかっていませんから、ご安心を」


 エリザベートと呼ばれた少女は、差し出された紅茶を、ごくごくと飲み干すと、空になったカップを返し、再び口を開いた。


「これが落ち着かずにはいられるか!教室ではボッチであるワシの唯一の楽園が奪われるというのじゃぞ」

「おやおや、同じクラスの男子生徒からは、可愛いから話かけてみたいけど隙がないとか、割と人気のようですが?」

「あいつらはワシの正体を知らんからじゃ!ちょっとだけ魔力の強いだけの普通の女の子だと思うとる」


 激高しつつ、少女は下を向く。


「……正体を知らせるわけにはいかんし。そんな状況で、懐を開いた会話などできんではないか……じゃから……ボッチを続けるしかない、ううっ」


 少女の目から涙がこぼれ落ち、床に小さなシミが点々とつくられた。

 校長は見かねると、懐からハンカチを取り出し、彼女の目の周りを優しく拭いた。


「人間変わるものですね」


 傍らを眺め、少し遠い目をして校長は言った。


「ワシは、人間ではないぞ……ぐすん」

「そうでしたね、では魂とでもいうべきでしょうか。この涙を流す姿。過去に私と激しく命のやりとりをした方であるとはもう思えません」

「さ、三十年前のことか?」

「ああ、もうそんなになりますか」


 校長のとぼけた口調に、まだ吹き出る涙を袖で拭いつつ、少女は咎める。


「今気づいたような嘘を言うでない、確かに、ワシにとってはついさっきのようにも思えるが、人間にとっては三十年とは長いものだと聞いておる」

「バレバレですか、これは失礼。でも、私も、あの時のことは、昨日のことのように覚えていますよ」

「……ま、まことか?」

「ええ、ここに初めていらした時にもお話しましたが、高慢になっていた私の鼻をへし折ってくださった方は貴方ですから」

「ワシは……おぬしの鼻になんということを……」


 うつむく彼女の表情は、心底からのすまなさを表していた。


「悪い意味ではありません。私は増長していました。我が剣に切れぬもの無し、我が魔法が通じぬもの無し、と。今となってはお恥ずかしい。黒歴史と言うべきあの頃の私」

「……そうじゃな……相対した時に思うた……こやつの性、人間よりは我々に近いのではないのか?……とな」

「初めてだったんです。伝説の剣は跳ね返され、ついには折れてしまうし、攻撃魔法も全て通じませんでした。私は全く無力だった」


 少女は涙を降りはらい、首を振ってそれに答える。


「そうは言うが、あのときはそなた一人でワシに立ち向かっておった……他の仲間があの魔法を使う時間を稼いでおったのじゃろ?無謀というべきではあろうが、その勇敢さにワシは実は心の底で敬意を表しておった。ワシと一人でやりあったのは、緒芽我オメガおぬしが初めてじゃからな。それも剣が折れ、魔力が尽きても諦めること無く」

「慰めていただけるとは、光栄です。無我夢中だったのです、全てを失った私には、もう神の祝福を受けたこの体しか残っていませんでしたから……」

「それじゃよ。ワシが唯一耐性の無い、素手による無属性物理攻撃。あれには正直ワシも焦っておったぞ。しかも、HPをいくら削っても自力回復するしの」

「私は、元々格闘家でした。愚かなことにそれをその時まで忘れていたんです。いえ、勇者だと崇め奉られ、増長する過程で、格好悪いと捨ててしまっていた」

「ワシが、そのおぬしの秘めていた力を引き出してしまったということか?」


 少女が、嬉しそうに、校長を見上げて言った。先ほどまでの涙はどこかへ行ってしまった風である。


「ええ、そのとおりです」

「そうかそうか。しかし、本当に馬鹿じゃのうワシは……」


 途中で思い出したかのように、少女の声が暗くなった。


「なぜです?」

「あの時おぬしを覚醒させ、快い戦いの中に身を埋めてしまったために、あの魔法を使うのを許してしまった……ワシは心底ずっとおぬしと戦っていたかったのじゃぞ、それなのに……」

「ご気分を悪くされたのなら申し訳ありません。しかし、貴方ほど私の方に余裕はありませんでしたから、私にとっては、待ち望んだ一瞬だったんです……」

「まあ……それは仕方のないことじゃがの」

「しかし、その待ち望んだ一瞬は驚きの一瞬でした。伝説に伝えられる対象を無力化させる大魔法KAWAIIの仲間による詠唱が終わったその時、それまで感じた敵の圧力が消えて、そこに……」

「この姿のワシがおったからの……」

「ええ、ええ。おそらく気がついてらっしゃらなかったんでしょう。その姿でポカポカとダメージの無い攻撃をしてくるのが、とても可愛らしく、愛らしくて」

「そのまま、いきなり抱きしめられて頬ずりされた上に、求婚までされたの……」


 少女は当時の状況を思い出して、仏頂面になった。


「ショックで転送魔法を連射してしまい、気がついたら周りに誰もおらなんだ……」

「いやー、我慢できずに申し訳ない。今の年齢くらいになると、もう少し分別というものをわきまえていますが、その頃は、勇者としての修行に明け暮れる毎日で、その、女性に免疫が無かったもので」

「おぬし勇者じゃろ?外見だって悪くなく思うが、パーティにいた女魔法使いとかとラブロマンスすることはなかったのか?」

「彼女達上昇志向が強くて、気が強いタイプばかりでしたからね……恋とかは当時の私にはありえなかったんです」


 校長は、話ながら、先ほどとは別の意味で、遠い目をして明後日の方角を眺めていた。


「そうか……なんだか悪いことを聞いたかの」

「いえいえ、お気になさらず……そういえばあの時の答えはまだいただけないのでしょうか?」

「ぬお、おぬしまだワシのことを……」

「今すぐにとは言いませんが、お待ちしておりますので」


 にこりと微笑む校長。少女は話を変える必要性をとても感じた。


「と、とにかくだな、この姿になってしまったせいでワシは魔王としての力を失い、それは隠し通しては来たが、そのための消極的なワシの態度に魔界での求心力も失い、こうして隠居することになってしまったのじゃ」

「もちろん責任はとります」

「むー」


 ああいえばこういう、この男からは逃れられそうにない……そうだ、今こそもう一度言う好機では!


「だったら、そうじゃ。ワシの楽園を取り上げないでくれ」

「それは別ですよ、規則ですから」


 腐っても勇者、正義の心の前では、少女の必死の願いも通じないようだった。

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