第74話 永遠の後悔。
病院に駆けつけた時には、辺りはもう明るくなり始めていた。
受付で名前を告げると、話は通っていたらしく、すぐに入れて貰えた。
走ってはいけないと言われている病院の廊下を、構わずに全力で走る。
目指すは七階の廊下突き当り左。
記憶を頼りに駆け抜けた。
病室につくと、ノックもせずに中に入る。
中にはいつねさんのご両親と数人の医師、看護師、そして横たわるいつねさんの姿があった。
いつねさんの服ははだけられ、胸が露わになっていた。
それがどういうことか、私は数秒の間分からなかったが、すぐに理解することになる。
「チャージ! 三、二、一 ――」
医師のカウントダウンが終わると同時に、どくん、といつねさんの身体が震えた。
電気ショックだ。
「もう一度! チャージ! 三、二、一 ――」
またいつねさんの身体がどくんと震えた。
その後も、心臓マッサージなど様々な処置を医師が行った。
私は棒立ちになって、それらを見守っていた。
ボキっと鈍い音が聞こえた。
心臓マッサージで、いつねさんの肋骨が折れた音だ、と後になってから知った。
やがて医師が手を止めて、告げた。
「残念ですが――」
いつねさんのお母さんが泣き崩れ、お父さんがそれを抱き止めた。
「……嘘よ……ねぇ、嘘でしょう……?」
私は横たわるいつねさんによろよろと駆け寄った。
握ったいつねさんの手は、まだ温かかった。
「ねぇ、目を開けてよ……。私、いつねさんに……どうしても言わなくちゃならないこと……が……」
言葉がつまる。
理解したくないことを、頭が理解し始める。
嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ!!!
「ねぇ! 目を開けてよ、いつね!! いやぁ! いやぁあーーーーっ!!」
肩を掴んで何度も揺さぶる。
でも、閉じられたまぶたが開くことは決してなかった。
「よせ、和泉! よすんだ!!」
身体を抱きかかえられて止められた。
振り返ると、冬馬がいた。
「冬馬……いつねが……いつねさんがぁ……っ」
「ああ、わかってる。何も言うな」
強く抱きしめられる。
私はすがりついて号泣した。
こうして、私は親友を失った。
奇しくもその日は、いつねさんが誠に告白すると言っていた日。
二月十四日――バレンタインデーだった。
◆◇◆◇◆
「これを」
死亡確認、葬儀の手配へと移る前に、いつねさんのお父さんが一冊の本のようなものを手渡してきた。
まだよく回らないぼんやりとした頭のまま、それを受け取った。
どこかで、見覚えがある。
「娘の日記です。あなたが来たら、渡して欲しいと」
そうか。
冬休みにいつねさんが毎晩つけていたものだ。
「どうしても伝えなきゃならないことがあるから、と言われました。親の私たちには絶対見せてくれなかったのに」
いつねさんのお父さんは苦笑した。
「葬儀の時にでも返して下さいますか? 一緒に、埋めてやりたいので」
私はやはりぼうっとした頭のまま、こくりと頷いた。
「それでは、私はこれで」
そう言い残し、いつねさんのお父さんは去っていった。
「どうする? 学園に戻ってから読むか?」
「……読んでから帰る……」
「そうか。なら一緒に読もう」
「……うん……」
日記は昨年の春、入学した頃から始まっていた。
四月○日
今日からあたしも百合ケ丘生だ。
あこがれの学校だったから、すっごく嬉しい。
寮生活も新鮮。
何もかもが眩しく見える。
入学早々、面白いことがあった。
あたしのすぐ前に座っていた子が、突拍子もないことを言い出したのだ。
誰とも仲良くなるつもりないので放っておいて、だって!
一条 和泉ちゃんという子だ。
そう。
あの一条財閥のお嬢様。
面白そうな子だ。
絶対、仲良くなってやるんだから!
「やっぱり、お前のことはばっちり印象に残ってたみたいだな」
「……」
四月×日
たくさん友達が出来た。
部活は演劇部にすることにした。
学園生活は順調。
体調もずっといい調子。
でも、いずみんは手強い。
いずみんは誰とも仲良くしようとしていない。
それなのに、なぜだか人を引き寄せる魅力があると思う。
結構しつこくつきまとっちゃってるけれど、うざがられてないかな。
ちょっと心配。
でも、本気でいやがられるまでは、頑張るぞ!
「結局、落とされた訳だしな。勝負はいつねの勝ちか」
「……」
五月○日
いずみんに弱点を発見!
彼女は運動音痴だったのだ。
完璧超人かと思ってたからかなり意外。
誰にでも不得意なことってあるものだね。
でも、スタイルはものすごかった。
いずみんはモデルさんになれるよ。
あたしはちんちくりんだから羨ましいな。
「総合健康診断の時だな。五十メートル走でへばってたなあ」
「……」
五月×日
ゴールデンウィーク。
とーま君のお家にお呼ばれした。
いずみんとナッキーも一緒。
そこで、私がいずみんのお家の人からマークされていると言われた。
何も思い当たらないって言ったけど、あれは嘘。
きっと病気のことだろう。
病気のことはあまり話したくない。
気を遣われるのはイヤだ。
みんなとは――特にいずみんとは自然体でいたい。
「あの時、初めてお前の相談に乗ったんだよな。お前、何でも抱え込むから心配だったんだぞ?」
「……」
五月△日
体育祭。
いずみんと二人三脚に出た。
途中であたしが転びそうになったところを、いずみんが助けてくれた。
そのことを言ったら、いずみん照れてた。
かわいい。
結局、A組は1位にはなれなかったけど、私は満足。
こういう日がずっと続くといいな。
「体育祭は惜しかったよな。ま、いつねも満足してたみたいだし、よかった」
「……」
五月□日
大変!
いずみんととーま君が誘拐されちゃった。
あたしたちの目の前で。
警察の人たちが必死に探してる。
心配だ。
どうか無事で帰ってきますように。
「あれには参ったよな。ま、オレはこれで和泉との仲が深まったと思ってるけど」
「……」
六月○日
いずみんが戻ってきた。
とーま君はまだ入院中。
いずみんは凄く辛そう。
なんて話しかけたらいいのか分からない。
自分でもらしくないと思う。
でも、本当に思いつめた顔をしるんだもの。
触れたら壊れてしまいそう。
どうしよう。
「ここからお前の迷走が始まるんだよな」
「……」
六月×日
いずみんがみんなと距離を置いてる。
とーま君だけはしつこく話しかけてるけど、他のみんなは手が出せないでいる。
彼の話では、彼が怪我したことを気に病んでいるんだそうだ。
見るに見かねたとーま君が、いずみんに勝負を持ちかけた。
期末テストで勝ったら言うことを聞いてくれるらしい。
入学試験トップだったいずみんに勝てるんだろうか。
ううん、勝たないと。
たくさん勉強しよう。
「お前、本当に頑固だったよな。みんなマジで勉強したんだぞ?」
「……」
七月○日
学期末テストでいずみんに勝った!
みんなで勉強した甲斐があったよ。
いずみんには、また元に戻ってくれるようにお願いした。
いずみんは頷きこそしなかったけれど、泣き笑いのような顔をしていた。
もう大丈夫だなって思った。
「順位表見た時のお前の顔、凄く笑えたぞ。まさかって顔してたな」
「……」
八月○日
夏休み。
とーま君のお家の別荘にみんなでお泊り。
凄く楽しかった。
カレー作ったり、湖で泳いだり、闇鍋に肝試しもやった。
最後は花火もした。
とても楽しかった。
こんな楽しい夏休みは初めて。
来年……来年かあ……。
あたし、来年もいきたいな。
P.S.
気になる人が出来た。
「本当に、楽しかったよな」
「……」
九月○日
学園祭の演劇部の公演で、サンドリヨン役を貰えることになった。
主役だよ、主役!
練習はきついけど、頑張らなきゃ。
いずみんはまこくんたちとバンドをやるらしい。
時間がかぶらなかったら絶対聴きに行きたい。
まこくんが気になる。
どきどきする。
「学園祭かあ……。お前、オレのことほったらかしだったよな」
「……」
九月×日
学園祭を病欠した。
なんで! なんで! なんで!
病気のことがいずみんにバレた。
いずみんはありがたい申し出をしてくれたけど断った。
でも、本当は死ぬことがとても怖い。
怖い。
怖い。
「いつねのやつ……」
「……」
十月○日
生徒会選挙でとーま君が当選した。
まだ一年生なのに凄い。
でも、いずみんがブレインについてたんだから当然か。
あの二人が組んだら無敵だもん。
そうそう。
お見舞いをいっぱい貰った。
早く元気になることが、一番のお返しだと思う。
「ま、オレと和泉なら当然だな。さすがいつね。よくわかってる」
「……」
十二月○日
いずみんのうちにお泊り!
どうしよう。
凄く嬉しい。
あ、でも失礼のないようにしないと。
洋服とかいいのを持っていかないと。
とっても楽しみ。
「仁乃のやつが地団駄踏んでたよな。この頃にはお前ももうだいぶデレてたよな」
「……」
十二月二十四日
いずみんやにののんと選んだドレスを着てパーティーに出た。
胸元の広く空いたドレスは恥ずかしかった。
まこくんと踊った。
夢のような時間だった。
「あの時のドレスは本当に可愛かったよな。もちろん、和泉が一番可愛いかったぞ?」
「……」
十二月三十一日
いずみんの家の家令さんに無作法を注意された。
自分でも調子に乗ってたと思う。
でも、そんな私をかばっていずみんが怒ってくれた。
見たこともない剣幕で。
あたしのこと、親友だって言ってくれた。
嬉しかった。
今日のことは、一生忘れない。
「で、ついに陥落、と」
「……」
一月○日
すごい偶然。
いずみんとお誕生日が同じだった。
一緒にお祝いしてもらうことになった。
高校に上がってから、素敵なことがたくさん起こる。
とても幸せだ。
「誕生日が同じって、まるでドラマみたいだよな」
「……」
一月×日
怪我をした。
また入院。
体調があまりよくない。
いずみんに会いたい。
「……続けるか?」
「……はい」
一月△日
いずみんとケンカした。
興奮してひどいことを言ってしまった。
ごめん。
いずみん、ごめん。
「……」
「……」
二月□日
いずみんへ。
直接言えなかった時に備えて、ここに書き残しておきます。
ひどいことを言ってごめんね。
いずみんはあたしのためを思って、いろいろしてくれたんだよね。
今なら、それが分かる……と思う。
ケンカしちゃったけど、いずみんは大切な大切な親友だよ。
出会えて本当によかった。
これを読んでいる時、私がもし死んじゃっていたら、本当にごめんね。
ひどいこと言っちゃったこと、許してもらえるかな。
無理かな。
それだけが、唯一、心残りです。
私は幸せでした。
強がりでもなんでもなく、本当に幸せでした。
その内の何割かは、間違いなくいずみんのおかげ。
ありがとう、いずみん。
さようなら。
日記は、そこで終わっていた。
私は涙が溢れて止まらなかった。
「冬馬くん、どうしよう。私、いつねさんに謝ってない……もう永遠に……謝れない……」
いつねさんは逝ってしまった。
私とのいさかいが心残りだったと言い残して。
冴子様は言った。
けんかしている時より、悪くなりようがないでしょう、と。
それは間違いだ。
本当に最悪なのは、謝る相手がいなくなってしまうことだ。
ごめん。
ごめんなさい、いつねさん。
心のなかで何度も繰り返し謝罪する。
でも、それを届ける相手はもう――いないのだ。
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