第63話 家高の憂鬱。

「そうか。じゃあ、いつねさんは努力家なんだね」

「才能がないので、人一倍やらないと追いつかないだけですよー」


 いつねさんが滞在し始めてからはや数日。

 こうして食卓を共にするのもすっかり見慣れた光景となった。


「努力できるのも一つの才能よ。いくら多くの才能に恵まれていたって、磨かなければただの人で終わってしまうもの」

「うんうん。その点、いつねさんは学園祭の主役という立派な結果を勝ち取っている。誇るべきだよ」

「えへへ……。ありがとうございます」


 一条家には無口な人が多いので、会話をするのはほとんど祖母と家和といつねさんだ。

 そこに時々祖父や家高や私がぼそぼそと参加する。


「演劇を見るのも好きなのかしら?」

「はい! 演劇の本場は海外という人も多いですけど、私は国内の劇団が好きです」

「何か理由があるの?」


 祖母が食後のコーヒーを飲みほして尋ねた。


「そうですね……。多分、私は日本語が好きなんだと思います」

「ああ、なるほどね」

「英語がぺらぺらで、全世界を相手にするのも素敵だと思いますけれど、私は身近な人――日本人を相手に表現したいです。日本語という素敵な言葉を使って」


 これには私も同感である。

 翻訳という作業をへると、どうしても元の言語が持つ何かが失われてしまう気がする。

 幼少期からバイリンガルとかであればまた違うのかもしれないけれど、ある程度の年齢が行ってしまってから身につけた外国語は、ネイティブに比べると何かが足りないのではないだろうか。


「演劇の台本以外にも本はよく読みます。一般文芸からライトノベルまで雑食ですけれど」

「らいとのべる?」

「中高生向けの、挿絵が入った敷居の低くて読みやすい小説のことです、お祖母様。ファンタジーや恋愛、学園モノが多いですね」


 家和の表現はだいぶ好意的な解釈だ。

 ライトノベルを一般文芸に比べて一段低く見る見方は相変わらず根強い。


「古典は読むかね?」


 祖父が口を開いた。


「一般文芸やライトノベルに比べると数は少ないです」

「源一郎さん。現代っ子には古典なんて面白く無いですよ」

「いえいえ。そうでもないです。更級日記とか、今読んでも身につまされます」


 更級日記は菅原孝標女によって書かれたとされる平安時代中期の回想録。

 物語を愛しすぎて、その他のことが疎かになってしまったと後悔する一節がある。


「更級日記か。私も他人ごとではないな……。物語ではないが、仕事に打ち込みすぎて他のことを疎かにしてしまいがちだ」

「本当ですよ、源一郎さん。あんまり放っておくと、浮気しちゃうんですからね?」

「……お祖母様」


 祖母の軽口を、家高がたしなめた。


「大丈夫だよ、兄さん。お祖母様はあんなこと言って、お祖父様以外の男なんて目に入ってないんだから」

「……」


 まぁ、祖父と祖母の仲はいい……らしい。

 推量なのは、私は先日まで厳格な祖父母の姿しか知らなかったので、仲睦まじい姿を見るようになったのは、ここ最近のことだからである。


「あはは。ごちそうさまです」

「いつねちゃんも、素敵な人を見つけなきゃダメよ? 女は恋してなんぼなんですから」


 いや、最近は仕事に生きる女性だって増えてますよ?


「うちの家高なんてどう?」

「そんな、滅相もない!」


 祖母がいつねさんをからかいだした。


「あら、お気に召さない? じゃあ、家和は?」

「僕はいつねさんみたいな女性、好きだなぁ」


 それに家和が悪ノリする。


「兄さんは嫡男だから、結婚となると色々と面倒だろうけれど、僕は気楽な次男坊だからね」

「け、結婚!? もー……。お祖母様も家和さんも、人が悪いですよー」


 いつねさんは照れたように頬を赤らめて言った。


 家高はその様子をじっとみつめていた。



◆◇◆◇◆



 翌日、いつねさんは東城家のパーティーに備えて、アクセサリーやバッグなどを家に取りに戻った。

 使用人任せにしないところがいつねさんらしいと思う。


 いつねさんがいなくなったことで、私は自分の部屋が急に寂しくなったような気がした。

 部屋もベッドはそのままなのに、やけに広い。

 やはりいつねさんの存在は大きい。


 気分転換になればと中庭に足を向けると、すでに先客がいた。


「……和泉か……」


 家高だった。

 なんだか黄昏れている。

 庭の椿を見つめながら、心ここにあらずといった感じだ。


「お邪魔でしたか?」

「……いや……構わない……」


 返事も何やら上の空だ。

 どうしたのだろう。


「……いつねは……いい娘だな……」

「……は?」


 オマエハナニヲイッテイルンダ。


「ええ。よく出来た子だと思います」

「……俺などとも……普通に話をしてくれる……」


 ちょっと待て。

 まさか。


「……やはり女は……俺などより、家和のような男の方が……好ましいのだろうな……」


 え、本当に?

 もしかして……恋わずらい?


「家高兄さまと家和兄さまでは、タイプが違うと思いますけれど……」

「……そうだ……だから……女に好かれるのは……家和のようなタイプだろう……?」


 どうしよう。

 どうしよう。

 とりあえず、もう少し話を聞いてみるか。

 コミュ障の私には苦行ではあるけれど。


「女性にもいろいろな人がいますから、それぞれ好みのタイプというのは違うと思います」

「……しかし……いつねもずいぶん……家和に懐いているようだ……」


 それは違う。


「いつねさんは誰とでもあんな感じですよ。家和兄さまが特別という訳ではありません」

「……それは逆に……俺と普通に話してくれるのも……特別ではないということだな……」

「それはそうかもしれませんけれど……」


 ああ、もう。

 なんてめんどくさい。


「……家和が羨ましい……今に始まったことではないが……」


 深々とため息をつく家高は、憂鬱そのものだった。


「……一条家の嫡男として……俺は何不自由なく育ってきた……」

「……」

「……だが……本当に欲しいものは……いつも……手に入らない……」


 月並みなセリフだけれど、家高の声には生々しい苦悩がにじんでいる。

 

 お金で苦労している人が聞いたら憤慨するだろうけれど、お金があるからと言って何もかも思い通りになる訳ではないのだ。

 お金があった方が、思い通りになることが多いのは確かだとしても。


「家高兄さまは、いつねさんが好きなのですか?」

「……いや……」


 今度の否定には力がない。


「……俺は……一条家の嫡男だ……付き合う相手は……お祖父様や父様が決めることだ……」


 冬馬が聞いたら怒り出しそうなセリフである。

 とはいえ、一条家という大きく古い家の嫡男である以上、家高の言い分も分かる。


「……俺はもう……過ちは犯さない……」


 その言葉には、痛烈な後悔の念を感じた。

 まさか……あの噂は本当なのだろうか。


「……余計なことを言った……俺はもう部屋に戻る……」

「はい」

「……身体を冷やさないようにな……」


 そう言って、家高は中庭から去っていった。


 今日の家高はやけに饒舌だった。

 相手が私であるという点も、とてもレアである。


 それにしても――。

 家高がいつねさんと会ってまだほんの数日。

 ちょっと優しくされただけでこれとは。


 ちょろインならぬ、ちょーローである。


(これは面倒なことになりそうだなぁ……)


 私は今日3回めのため息を付いた。

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