閑話 音に恋する。

 ※真島 誠 視点のお話です。



 俺は音楽に恋している。

 中でもギターは特別だ。

 中学校時代、小遣いを貯めて買ったスクワイヤーのクラシックバイブは相棒と言ってもいい。


 SPという硬派な職業に付いている両親は、俺がギターという軟派と呼ばれがちな楽器に傾倒していくことにいい顔をしなかった。

 それでも、毎日夜遅くまで練習する俺の姿を見て、次第に何も言わなくなっていった。


 ただ、


「日々の鍛錬と学業をおろそかにするなら取り上げる」


 とは言われた。


 もちろん、鍛錬も学生の本分もおろそかにするつもりはさらさらなかった。

 人を守れる力を持てという家訓は、対象がいないことでつかみ所のない感じではあったが、疑問に思う程ではなかった。

 学業も飛び抜けて出来るという程ではなかったが、飲み込みは早いほうだったので苦にはならなかった。


 その二つさえきちんとこなしていれば、俺は好きなだけギターを弾いていられた。

 自宅には離れに道場があったため、扉を閉め切って音を絞れば、夜かなり遅くまで練習していられた。


 コードを一つ一つ覚え、奏法を一つ一つ身につけていくのは至福の喜びだった。

 当時はバンドを組もうなどということはまだ頭に無く、ただ一人ギターと向い合っていられればそれでよかった。


 なぜ、俺はこれほどまでにギターにのめり込んだのか。

 それには一人のアメリカ人アーティストの存在がある。


 彼は世間一般的に言ってロクでなしだった。

 麻薬中毒になり、アルコールに溺れた。


 だが、彼の奏でるギターの音は超一級品だった。


 麻薬中毒を克服した直後、息子を亡くした悲しみの中作られたという、とある一曲を聴いた。

 俺は、音楽で初めて涙を流した。


 当時の俺は英語などろくに分からなかった。

 それなのに、彼の英語の歌が、ギターの音が、俺に涙を流させたのだ。


 その時の俺の驚きが、感動が、分かるだろうか。


 音楽には、音には、言語の壁すら超える何かがあるのだ。

 そして、俺はそれに魅せられてしまった。


 ギターを選んだのは、彼もまたギタリストだったからだ。

 でも、俺が追いかけているのは、ギターそのものの音ではなく、音楽が持つその何かだった。


 練習を続けていれば、いつかその何かが分かるのだと思っていた。

 だから俺は、ひたすら練習した。

 ひと通り弾けるようになったかな、と思った時、俺ははたと思い戸惑った。


(俺は何を弾くつもりだったんだ?)


 上を見ればきりがないが、それでもひとまずの「手段」は手に入れた。

 だが、肝心の「モノ」がない。


 そう。

 俺には弾きたい曲が無かったのだ。


 俺を音楽の道に引き込んだあの曲はすでに弾けるようになっていた。

 むしろ、コードも不完全な頃から無理やりコピーして弾いていた。


 だが、何かが違った。


 あの曲は、彼が、彼の手によって弾くから至高なのだ。

 俺は俺の曲を手に入れなければならない。


 それからは少しずつ作曲の練習も始めた。

 最初はギターの曲、次にDTMでバンドの曲を。


 音楽の世界は果てしなく、どこまでも続いている。

 俺は自分がどこにいるかもわからないまま、ただがむしゃらに走った。


 高校生になった。

 俺はここで初めて音楽の友を得た。

 軽音楽部に入ったのだ。


 軽音楽部と聞くと軽い部活だと馬鹿にされることは多々ある。

 だが、この部にはそんな声を気にする奴はいない。


 ただの音楽馬鹿ばっかりだ。


 他のやつが何と言おうが知った事か。

 自分はこういう音楽が好きなんだ。

 そういう奴ばかり。


 バンドを組んだ雪原姉妹もそういう奴らだった。


 姉の柚子は夢見がちなキーボード弾き。

 妹の由紀は現実主義者のドラマー。


 対照的な2人だが、音楽を愛する心はおんなじだ。

 俺たちはすぐに意気投合し、九月の学園祭を目指して練習を重ねた。


 高校入学とほぼ同時に、俺は一つの曲を作り上げた。

 『Change』と、名づけた。

 現時点における俺のすべてを注ぎ込んだ、渾身の一曲だった。


 雪原姉妹にこの曲をやらないか、と尋ねて曲を聴いてもらうと、すぐにOKの返事が返ってきた。

 ようやく、俺は俺の曲を一つ形に出来る。

 そう思った。


 それからはまた練習の日々。

 一人でギターをいじっていた頃に孤独を感じたことはなかったが、姉妹と一緒にする練習は楽しいと思えた。

 軽音部に入ってよかったと本当に思う。


 音楽には色んなモノが映り込む。

 二人の気持ちには、気づかない訳がなかった。


 練習をするにつれ、時間を同じくするにつれ、言葉にされずとも、その気持は次第に伝わってきた。

 俺のような朴念仁に、とありがたくも申し訳ない気持ちになった。


 俺は恋がよく分からなかった。


 記憶をさかのぼっても、恋と呼べるような感情を他人に抱いたことはなかった。

 唯一の例外があるとすれば、それは音楽だった。


 恋について考えると、蘇ってくる一つの歌があった。

 それは百合ケ丘に入学して間もない頃、偶然通りかかったある生徒が、俺の曲につけた歌だった。


 その生徒の名前を一条 和泉という。


 彼女はかの一条財閥の令嬢だ。

 この学園で彼女を知らぬものなどいない。

 運動だけは苦手なようだが、才色兼備の器量よしだという。


 縁あって、夏休みを共に過ごした。

 近場で見た彼女は、噂とは違う普通の、財閥令嬢とは思えないほど庶民的な女だった。


 テストの結果を見るに、頭がいいのは確かなのだろう。

 だが、両親の仕事上、要人を見慣れている俺からすれば、立ち居振る舞いなどは仁乃の方がずっと洗練されているように思えた。

 肝試しの時の様子からすると、肝は座っているようだが。


 こんな女があの歌を生み出したのか、とおかしな感慨を覚えた。

 彼女が気になりだしたのはそれからだ。


 それ以前にも、売り言葉に買い言葉で冬馬に彼女はいいなどと言ったことはある。

 だが、本気になったのは、その違和感からだ。


 さらに縁はめぐり、学園祭でユニットを組むことになった。

 お陰で雪原姉妹とはこじれたが、結局は元の鞘に収まった。


 ナキとも不思議な縁を得た。

 最初はいけ好かないナンパ野郎だと思っていたが、深く付き合ってみれば芯のあるアーティストだった。

 奴がいなければ、雪原姉妹を元に戻すのはもっと苦戦していただろう。


 奴のバイオリンには、それほどの魔力がある。


 認めよう。

 俺のギターは奴のバイオリンに遠く及ばない。


 初めて聴いた時、すぐにそれは悟った。

 奴のバイオリンは、俺の音楽の始まりとなったあの彼の域にある。


 挫折という言葉を思いつくことすらなかった。

 むしろ、これほどのアーティストと共演できることへの喜びのほうが勝った。


 まぁ、だから、それは想定内だったのだ。


 想定外だったのは、彼女の歌だ。


 彼女の歌は練習で何度となく聴いていた。

 下手ではない。

 むしろ上手い部類に入るだろう。


 それでも、彼女の歌はナキのバイオリンや、かのギタリストのギターとは比べるべくもないと思っていた。


 ところが、学園祭本番、彼女は化けた。


 彼女自身はこの曲の主役は俺のギターとナキのバイオリンだと思っているふしがある。

 だが、あのライブで主役だったのは、間違いなく彼女だ。

 あの時、彼女はナキや彼と同じ高みにいた。


 俺は完全にノックアウトされ、今は彼女のことばかり考えている。


 雪原姉妹には申し訳ないと思う。

 だが、どうしようもない。

 心の動きが全く制御できないのだ。


 今もこうして校門の前で彼女の帰りを待っている。

 もうどれくらいこうしているだろうか。


 うん?


 学園の前に一台のリムジンがとまった。

 あの車には見覚えがある。

 夏休み中に見た一条家のリムジンだ。


 中から現れたのはやはり和泉だった。


 どうしたのだろう。

 浮かない顔をしている。

 何かあったのだろうか。


 俺に出来ることがあるのなら、何だってしてやろうと思う。

 無論、彼女はただ守られるだけの女ではないから、余計な真似はせずに。


 ようやく見つけた守るべき対象に、至高の声を持つ歌姫に、俺はゆっくりと声をかけた。

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