第23話 元の木阿弥。

 空調の効いた病院にいる時は分からなかったけど、退院すると季節はすっかり梅雨に入っていた。

 じめじめとした空気が肌にまとわりつく不快な季節だ。

 ただでさえ憂鬱なこの時期、私はより一層重たい気分でため息を数える。


 学校を欠席していた間も授業は進んでいる。

 私は遅れを取り戻すことに集中した。

 もっとも、随分先まで予習してあったので、遅れとは予習の遅れのことなのだが。


 ゴールデンウィークや体育祭でうやむやになっていた、人間関係についての認識を新たにする。

 もう誰とも深く関わらない。

 入学式の日の、あの宣言を思い出せ。

 私は一人で生きていくのだ。


 そう心に決めた私は学園生活のほとんどを一人で過ごした。


 朝は仁乃さんが起き出す前に寮を出て、校庭の人気のない所を散歩する。

 朝の予鈴ぎりぎりに教室に入り、休み時間はまた教室の外へ。

 昼食は誰に誘われても一人で取り、放課後は門限ギリギリまで図書室で予習。

 そんな行動パターンになっていた。


 人を遠ざける雰囲気も一際強くなったようで、クラスメイトは誰も話しかけてこない。

 ナキやいつねさん、実梨さんたちもだ。

 話しかけてこない彼女たちに思う所は何もない。

 誘拐・監禁などという目に遭った私に、どう接していいのか分からないのだろう。

 その上、本人が話しかけてくれるなという顔をしていればなおさらだ。

 

 冬馬はまだ入院している。

 やはり私より怪我が重かったのだ。

 その事実が私の決心を一層強くする。


 話しかけてくる唯一の例外は仁乃さんだ。


「ちょっとお姉さま、聞いていますの?」

「……」


 彼女とは寮の部屋が一緒なので、どうしても二人きりになる時間が出てくる。

 出来る限り寮の部屋に帰らないようにしているが、それでも門限から就寝時間までは一緒だ。

 なので――。


「お姉さま?」

「ごめんなさい。まだ本調子じゃないんです。もう寝ます」

「……分かりましたわ」


 などと、事件が尾を引いていることを匂わせて、それとなくかわしている。

 実際、私はひどい顔色だと思うので、まんざら嘘という訳でもない。


 とにかく、私は一人になりたかった。


 そんな日が何日か続いた後、冬馬が退院した。



◆◇◆◇◆



「よお、お前ら。オレがいない間、ちゃんとやってたか?」


 冬馬は事件のことなど何も感じさせないかのように振る舞おうとしたが、それは最初の内上手く行かなかった。

 彼の顔には、額から右まぶたを通って頬まで、一筋の刀傷のような火傷の痕が残っていたからだ。


「なんや冬馬。しばらく見んうちに男前になりよったなあ?」


 そんな冬馬に、以前のように話しかけたのはナキだった。

 あの傷を見てその台詞が出るのは、流石、幼なじみといったところか。


「カッコイイだろ? 女どもが放っておかないな」

「アホ抜かすな」


 二人の様子が以前と全く変わらないと知ると、他の生徒たちもぎこちなくはあったが、元の調子を徐々に取り戻していった。

 いつねさんも、仁乃さんも、実梨さんたちも、クラスの他の人たちも。

 私はその空気を読まずに一人を貫いていた。


 しかし、冬馬も空気を読まなかった。


「和泉も混ざれよ」


 事件以来遠巻きにされている――いや、私を、同じ事件の当事者である冬馬が会話に誘った。

 クラスが一瞬、ほんの一瞬静まり返るのが分かった。

 みんな私がどう反応するのか待っているようだった。


「いえ。遠慮しておきます」


 そう言って私は席を立った。

 授業が始まるまで外で時間を潰すためだ。

 クラスの空気が失望にも似た色を帯びたのが分かったが、私は敢えて無視した。


「トイレか?」

「……」


 続けて気さくに話しかけてくる冬馬を、私は黙殺した。


 冬馬は最初気づいていなかったようだが、私が以前にもまして人を避けるようになっていることを察すると、頻繁にしつこく声をかけてくるようになった。


「和泉、昼飯一緒に食おうぜ」

「ごめんなさい。先約があるので」


「放課後時間取れないか?」

「ちょっと用事があります」


「なあ、和泉――」

「……」


 私はそのことごとくを避けた。

 

 冬馬の立場からすれば、私の態度は不義理もいいところだ。

 命がけで助けた相手からつれない態度を取られれば、不愉快だろうし憤慨もするだろう。


 だが、冬馬はあくまで以前のような態度を取り続けた。

 過剰に心配するでもなく、私を非難するでもなく、ただひたすらに私に声をかけ続けてきた。

 それにつれて、他のみんなもまた私を構うようになってきた。

 けど、私の気持ちは変わらなかった。


 私のこの行動が、みんなのためだなどとは口が裂けてでも言わない。

 自分勝手だと思う。

 自己完結に過ぎると思う。

 それでも、私はわがままを通そうと思った。



◆◇◆◇◆



「和泉、話がある」


 冬馬が退院してから一週間ほどが経った頃、放課後図書室に行こうとした私を、冬馬が呼び止めた。


「ごめんなさい。私、急ぐので」

「三分とかからない」

「……」

「駄目ならオレがついていく」


 今日はいつになく食い下がってくる。


「分かりました。何ですか?」

「お前、みんなを避けているな?」

「……」

「オレのせいか」

「違います」


 違う。

 仮にそうだったとしても、せいぜいきっかけになった程度。

 これは私のわがままだ。


「オレたちはどうしたらお前を取り戻せる?」

「別に何も変わらないですよ。言ったでしょう。私は一人になりたいのです」

「……」

「話は終わりですか? では失礼します」


 鞄を持ってその場を立ち去ろうとする。


「待て、和泉」

「……」

「待てったら!」


 冬馬が私の手首を捕まえた。

 結構、力がこめられている。


「痛いです。離して下さい」

「勝負しろ」

「は?」

「期末テスト。お前より順位が上だったら、言うことを聞け」

「何でそんなこと……」

「お前があんまりにも馬鹿だからだ」


 少しかちんと来た。

 けど、気にしたら負けだ。


「負けるのが怖いか?」

「いいえ、別に」

「ならいいだろ? 勝負だ」

「お断りします」

「ダメだ。オレが決めた。異論は認めない」

「話になりませんね」

「和泉!」


 私は冬馬の手を振りほどいて、今度こそその場を後にした。


「いいか! 負けたら言うこと聞けよ!」


 冬馬の声を背中に聞きながら。



◆◇◆◇◆



 冬馬がおかしなことを言ったので、私はいつにもまして勉強に打ち込むようになった。

 勝負が成立したとは思わないが、強引なところのある冬馬だ。

 何を言い出すか分からない。

 要はテストで勝ってしまえばいいのだ。

 そうすれば冬馬も文句あるまい。


 図書館に入り浸る日々。

 予習を一時中断して、テスト範囲の復習に熱を入れる。

 実力テストの時とは、動機の強さが違う。

 

 実力テストで冬馬は一位だった。

 今度もきっと上位五位以内は堅いだろう。

 あんな勝負を持ちかけて来たくらいだから、また一位を狙っているに違いない。


 本気になった冬馬は手強い。

 たださえハイスペックな彼が、勝ちにこだわって来るのだ。

 打ち負かすのが容易なはずがない。


 それでも、私は負ける訳にはいかなかった。


 教科書と問題集を隅々までさらう。

 実技教科のテストも取りこぼさない。

 運動では勝ち目はないけど、ペーパーテストは保健体育だ。

 単純に知識の暗記がモノを言う。


 勉強は学生の本分というけれど、今回はちょっと偏執的なほどに勉強した。

 絶対に冬馬に負けないという自信をもって、私は学期末テストに臨んだ。


 テストまでの間、誰も私に話しかけてこないことに気づいた。


(これでいい。これこそ私が望んだあり方だ)


 そう思った。

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