第20話 遠足。
五月も終盤になり、ほんの少しだが梅雨の気配を感じるようになった。
とは言え、まだ雨天になることはそれほどなく、気温も比較的過ごしやすい。
まだ、春終盤と表現したほうがいいだろう。
そして、そんな心地よいこの時期に、百合ケ丘の一年生は遠足がある。
バスで郊外の自然公園に行き、オリエンテーリングを行うのである。
行きのバスに乗りながら、私はぼんやりと考え事をしていた。
『チェンジ!』は乙女ゲーとしては異例のヒットを記録した。
発売当初はそれほど話題にならず、知る人ぞ知る名作という感じだったものだったのだが、それが徐々に口コミで評判が広がり、ファンディスクや設定資料集、画集、果てはラジオドラマまで作られるほどに至った。
中でも設定資料集は、ゲームでは明示されていない裏設定満載の、本当にコアなファンに送られた逸品だ。
以前も言ったとおり、私は『チェンジ!』をそれほど評価していない。
だが、ネットの知人に薦められて(というより半ば押し切られて)、グッズはひと通り揃えていた。
当然、設定資料集も持っていた。
(その設定資料集の通りなら……そろそろのはずなのよね……)
この世界が本当に『チェンジ!』の世界であるならば、和泉が冬馬にぞっこんになるきっかけとなる事件が、この時期にあるはずなのだ。
もっとも、すでに細かい部分で設定と違うように思われる現象が見受けられるので、実際の所どうなるのかは分からないが。
『一年生の春、冬馬と和泉はとある事件に巻き込まれ、そのせいで和泉は冬馬にべったりと依存することになった』
資料には漠然とそう書いてあった。
事件という表現に何やらきな臭いものを感じるが、まさか危険なことではないと信じたい。
一応、スマホを手放さないなど、最低限の対策はしているが。
「だから、三十分交代と言いましたでしょう! まだ一分ありますわ!」
「えー。あたしの時計ではもうたったよー?」
「まだですわ!」
「えー」
どうでもいいけど周りがうるさい。
「あ、お姉さま。お菓子召し上がります? 塩瀬のお饅頭がありますのよ?」
「あたしは村上のクッキーだよー。良かったら食べてー」
私のすぐ隣の席から仁乃さん、向かいからいつねさんがそれぞれお菓子を勧めてくる。
どちらの品も、普通、遠足に持って行こうなどとは思わない逸品である。
当然だが、百合ケ丘の遠足に、おやつは三百円までなどというルールはない。
「私は結構です。少し眠ります」
「そんな、お姉さま。お喋りしましょうよ」
「そうだよー」
「着いたら起こして下さい」
後ろの席の子にことわってからリクライニングシートを倒し、目を閉じるとすぐに睡魔はやってきた。
仁乃さんといつねさんが相変わらず何やら言っていたようだが、意味をなす音にはならなかった。
「お姉さまの寝顔……。相変わらず愛らしいですわ」
「普段は憂い顔だけど、寝顔は無邪気なんだねー」
◆◇◆◇◆
現地につくと、お手洗いなどを済ませて、さっそくオリエンテーリングに移る。
A組から順番に出発していく。
私の所属する5班は、A組の最後である。
ちなみにメンバーはというと――。
「コースレコードを狙う必要はあるだろうか……」
「かったるー。ぼちぼちでええやん」
「大将、女子の足を基準に行くべきだろ」
「私はゆっくり景色を楽しみたいですわ」
「いずみん、方向音痴だったりするー?」
冬馬、ナキ、嬉一、仁乃さん、いつねさん、私の六人である。
班決めでは、ぼっち殺しの「好きな人と班を組みなさい」が発動した。
売れ残り班でいいや、などと思っていたのだが、いつの間にかこの班に入れられていた。
主に、冬馬といつねさんの陰謀である。
それはさておき。
オリエンテーリングとはどんなものか、知らない方の為に簡単に説明しておこう。
地図とコンパスを用いて、山野に設置されたポイントをスタートから指定された順序で通過し、フィニッシュまでの所要時間を競う野外スポーツの一種である。
ヨーロッパ発祥のスポーツだが、日本でも遠足や林間学校でしばしば行われる。
この場合は集団で歩くイメージが強いが、本来は個人が走ってタイムを争う競技である。
この自然公園はそれほど勾配のない、なだらかな地形だと聞いている。
それほど大変なことにはならないと思うけど、私は運動全般が苦手だ。
気を引き締めていこう。
「A組五班、出発して下さい」
ルートを伝えられ、私たちの班も出発する。
「いつねさん、オリエンテーリングの経験はございますの?」
「中学生の時、林間学校で一度やったかなー。にののんは?」
「私もですわ」
「オレは三回目だ」
「わいもや」
「俺は二回目」
どうやらみんな経験があるらしい。
頼もしいことだ。
「いずみんは?」
「初めてです」
本当は前世の中学生時代に一度経験しているが、この場でそう発言する訳にはいかない。
「ガイドはオレに任せておけ」
「わいは適当に」
「じゃあ、俺も」
「あたしたちはー?」
「ペースはお前たちに合わせるから、足元に注意しつつゆっくり歩いてくれればいいぞ」
「お言葉に甘えさせて頂きますわ」
和気あいあいとした雰囲気の五人の後をてくてく着いて行く。
と、いつねさんと仁乃さんが、少し歩く速度を下げて並んできた。
「いいお天気ですわね」
「風が気持ちいー」
「……」
「体育祭以来、あんまり動いていませんでしたから、いい運動になりますわ」
「あたしも部活以外ではちょっと運動不足だなー」
「……」
「演劇部はどうですの?」
「すっごく楽しい。今は基礎練習だけど、百合ケ丘はやっぱりレベルが高いよ」
「……」
「私は結局陸上ですけれど、こちらもレベル高いですわ。もっとタイムが縮められそうですの」
「にののんもっと早くなるのかー。来年の総合健康診断は楽しみだねー」
「……」
若干一名完全に沈黙しているのに、気にする様子もなくお喋りを続けるいつねさんと仁乃さん。
しかも、三人で和気あいあいとしています、という雰囲気で、である。
これが、コミュ力の差か……。
私も別に悪意や意地悪で沈黙している訳ではない。
単純に何をいつどう喋っていいのか分からないだけなのだ。
これが一対一ならまだもう少しマシなのだが、三人以上での会話となると、これが全くと言っていいほど出来ない。
「お姉さま、体力は大丈夫ですの?」
「足痛くなーい?」
おっと。
でたな、自然でさりげない話題提供。
これが出来るのはコミュニケーション力Lv五以上からである。
私?
一に決まってる。
仁乃さんが推定六、いつねさんが十である。(Max十)
「今のところは、平気です」
「しんどくなったら仰って下さいね?」
「うん。とーま君たちに言って休ませてもらおう」
「……ええ」
おっと。
でてしまった、不自然な沈黙。
これが出来るのはぼっち力Lv五以上からである。
私?
十に決まってる。
仁乃さんが推定三、いつねさんは一である。(Max十)
冗談はさておき。
「女の子が楽しそうにしているとこ見るのはたのしーな」
「あら、ナキさん」
「ナッキーも混ざる?」
「ええの?」
「どうぞですわ」
「ここ広いから横に広がっても平気だねー」
進行方向左からナキ、仁乃さん、いつねさん、私の順に横一列なった。
いつねさんの言う通り、往来では通行の邪魔になりそうな位置取りだ。
「仁乃ちゃんは好きなタイプどんなん?」
「な!? いきなりなんですの!」
「お、恋バナー?」
「せやせや。参考までに教えてーな」
「そんなおおっぴらに話せませんわ」
仁乃さんは乙女なのである。
「さよか? いつねちゃんは?」
「そうだねー。面白い人がいいなー」
「例えば?」
「入学式の最初の自己紹介で、一人でいたいのでほっといて下さいとか言っちゃう人」
「あれは衝撃的やったもんなー」
「ねー?」
ほっといて下さい。
「んで、和泉ちゃんは?」
「恋愛には興味ないと言ったはずですが」
「ご冗談。冬馬がいるやないの」
「冬馬くんはただの幼なじみです」
「というのは建前で?」
「本音も同じです」
「あらー。こら冬馬が報われんなー」
台詞とは裏腹に、楽しそうなナキ。
「ナキさんはどうなんですの?」
「男の子の恋愛観っていうのも面白そうだねー」
「わい? わいは――」
あ。まずい。
「この世にいる女の子全てや!」
すっごくいい笑顔で言い切った。
「何という残念なイケメンですの」
「あはは。いっそすがすがしいけどねー」
「はぁ……」
本日四回目のため息。
「だって考えてもみーや。女の子ってみんな可愛いやん。一人だけとかもったいないやん」
「不誠実ですわ」
「せやろか? 平安時代なら当たり前のことやってんで?」
「今は現代ですわ」
「イスラム教に改宗しよかな……」
「ムスリムの方が聞いたら、激怒しますわよ!」
「冗談やて」
「宗教上のことは、安易に冗談にしてはいけませんわ」
「へいへい。肝に銘じておきます。で、仁乃ちゃんのタイプは?」
「そうですわね――って、言いませんわよ!?」
「あはは」
ナキは女子の間にも自然に混ざれる。
空気をつかむのが非常に上手いのだ。
ある意味、私よりも女子力が高いのかもしれない。
「おーい。お前らちょっとスピード上げろよー」
冬馬が結構離れた場所から呼んでいる。
いつの間にか遅れてしまったらしい。
「少し早足にしましょうか」
「そーだねー」
「せやな。――ん? 和泉ちゃん、どしたん?」
ナキが私の変調に気づいた。
「少ししんどくて。先に行って下さい」
「さよか。んなら、いつねちゃんと仁乃ちゃんは先に行ってや。わいは和泉ちゃんとゆっくり行くわ」
「それなら私も」
「あたしも」
「冬馬にスピード落とすように行ってくれる人がおらんと」
「仕方ありませんわね」
「いずみん、無理しないでね」
二人がゆっくり先行する。
「少し熱があるな」
「……朝から少し調子が悪くて」
こんなに悪化するとは思っていなかった。
「お姫様抱っこしていこか?」
「やめて下さい」
「冗談やて――ぐっ!」
唐突に、ナキの気配が消えた。
「?」
慌てて周囲の様子を探ると、ナキは地面に倒れていた。
「ナキ……くん?」
「あかん……にげ……や……」
「?」
意味が分からない。
と、背後に人の気配を感じた。
誰か戻ってきてくれたのだろう。
「あの、ナキくんが……むぐっ!?」
振り返った先に立っていた人影は、冬馬たちの誰でもなかった。
目出し帽をかぶった男が四人、警棒のようなものを持って立っていた。
その内の一人が、私の口を素早く塞ぐ。
まずい。
これは――。
「――冬馬ぁーーーっ! 誘拐やぁーーーっ!」
ナキが絶叫した。
だいぶ先行していた冬馬が振り向いた。
「んー! んー!」
私は思いっきり暴れたが、みぞおちを強く殴られ、気絶してしまった。
意識を手放す寸前、鬼の形相をした冬馬が、こちらに駆けてくるのが見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます