第19話 ぼっちと職業の関係。

 公立高校とは違い、百合ケ丘では不完全な週五日制を導入している。

 どういうことかというと、希望者に向けて土曜日にも授業があるのだ。

 内容は例えば、受験対策や教養・作法、ボランティア活動などで、選択式になっている。


 教養・作法は実家でみっちりしこまれているし、ボランティア精神には馴染みがない。

 という訳で、私は受験対策の授業を取っている。

 この授業はレベル別に、国公立上級コース、難関私大コース、普通コース、基礎復習コースの四つに分かれている。

 私は国公立上級コースを選択している。


 もちろん、勘当END対策の為だ。

 今すぐに家を追い出されては手も足も出ないが、高校卒業後ならば奨学金などを貰って、自立することもできるかもしれない。

 そうなった時、学費の高い私立大学は少し厳しい。

 国公立ならば、学費は私立の三分の二から半分である。


 まだ入学して二ヶ月もたっていないが、早いうちに将来どんな職業に就くか考えておいた方がいいだろう。

 出来るだけ、人と接しなくてすむ職業……何があるだろうか。


「このように、数学的帰納法は証明問題で頻出です。しっかり理解しておきましょう。では、今日の授業はここまでです」


 授業が終わると同時に席を立ち、私は進路指導室に向かった。


 進路指導室は一般棟一階の隅にある。

 常駐の職員はいるし、資料も豊富だが、この時期に利用する生徒は少ない。

 気の早い三年生がいるかいないか、というところだろうか。


 ノックをしてから入室する。

 部屋には先客がいた。


「あら?」


 向こうもこちらに当然気づく。


「あなた……一年生よね? 私も他人のこと言えた義理じゃないのだけど、随分と気が早いのね?」


 そう言って苦笑した女子生徒のタイは二年生のもの。

 今世では初対面だが、私は相手を知っていた。

 例の付き合うべきリストの候補者である。


「失礼しました。出直してきます」

「あら、いいのよ。ここは複数の生徒が使えるように用意されているんだから。今日は休日だから先生はいらっしゃらないけれど、分からないことがあったら、分かる範囲で教えるわよ?」


 生徒会副会長の西園寺さいおんじ 冴子さえこ様である。

 肩までのロングに切れ長の眼差し。

 可愛い系、綺麗系といった区別をすることすらおこがましい、文句なしの美人。

 落ち着いた包容力のある雰囲気と無邪気さの同居するその佇まいは、独特の空気を醸し出している。


 そういえば、今日は休日か。

 先生はいないんだった。

 うっかりしていた。


 しかし、冴子様か……うーん……まぁ、いいか。


「もっとも、私なんかが教えることなんて何もないかしらね? 一条 和泉ちゃん?」

「……」


 冴子様の台詞はややもすれば嫌味になりそうだが、からかうような響きがあるだけだった。


「そんなに怖い顔しないで。あなたとお話できる期会が巡ってきたから、ちょっと舞い上がってるの。ごめんなさいね」

「はぁ……」


 冴子様の嬉しそうな様子の真意は知れないが、何となくこの人も私のぼっちロードに立ち塞がってきそうな気がする。

 あと、どうでもいいけれど、この顔は素である。


 取り敢えずこちらからは話すこともないので、お目当ての資料を探す。

 えーと、タイプ別職業資料は……と……。


「えっ!? 和泉ちゃん、就職組なの!?」


 冴子様が驚いたような声を出した。


「いえ、違いますけれど……」

「そうよね? 一条家のお嬢様がまさか高卒で就職なんてしないわよね?」


 それはそれで何か偏見というか差別的な発言なような気がするが、相変わらず冴子様の声色に悪意はない。


「今から大学卒業後の進路の心配?」

「ええ、まぁ……」

「でも、和泉ちゃんなら一条家の系列でいくらでも引く手あまたじゃないの?」

「……それが無くなった時に備えたくて」

「そんな状況が起こりうるの?」

「まあ……。考えておくことに越したことはないかと……」


 冴子様は矢継ぎ早に質問を繰り出してきた。

 私の周りはどうして私を一人にしてくれない人が多いんだろう……。


「あの……少し、調べ物に集中したいので……」

「ああ、ごめんなさい。邪魔するつもりはなかったの。ごゆっくり」


 ひらひらと手を振って、冴子様は奥の棚へ引っ込んでいった。

 はぁ……。

 今日、六回目のため息である。



◆◇◆◇◆



 紙資料や電子資料を当たってみたが、どれも答えはだいたい同じだった。

 曰く。


『一人でできる仕事なんぞそうそうない。仕事なめんな』


 である。


 いや、全くない訳ではないのだ。

 ただ、そうした仕事は大抵、収入面か待遇面に問題があることが多い。

 真のぼっちを極めるなら、その覚悟を決めるしかないのか。


「調べ物は済んだかしら?」


 こちらが一息ついたのを見て取ったのか、冴子様が紅茶を両手にやってきた。

 

「お砂糖とミルクは?」

「使いません」

「セイロンのブレンドらしいわ。味は飲んでのお楽しみ」


 断るのも悪いので頂くことにする。

 カップを受け取ると、ふんわりいい香りがした。

 あぁ……。

 これはきっと美味しい。


「うん。悪く無いわね」


 冴子様が自ら淹れてくれたのだろう。

 紅茶は淹れ方で味や香りが全く変わる。

 この味と香りは、普段から自分で淹れているに違いない。


「どう? ここは役に立ったかしら?」

「……」

「その様子だとかんばしくないようね?」


 自分一人で調べるのにも限界があるので、この際利用できるものは利用させてもらおう。


「冴子様、少しお伺いしたいのですが……」


 私は一人で出来る職業にはどんなものがあるかを訊いてみた。


「一人で出来る仕事、ね……」


 冴子様はうーんと困ったように眉を寄せた。


「最近、この手の相談を受ける期会が結構あるんだけど、逆に聞きたいわ。何で一人じゃなきゃいけないの?」

「理由は……それぞれ違うのではないでしょうか」

「例えば、和泉ちゃんは?」

「私は……人とコミュニケーションを取るのが苦手で……」

「そう、それそれ。それって、本当にそうかしら?」

「え?」

「だって和泉ちゃん、ちゃんとこうして私と話せてるじゃない」


 それは違う。


「それは、この会話が目的解決の具体的な手段だからです。私が苦手なのは、何というか……縁故を深めることを目的とするような……」

「うん。まぁ、言いたいことは分かるのよ? でもね、和泉ちゃんの言う手段としての会話が出来るだけでも、職業選択の幅は一人ぼっちよりもぐっと広がるわ」

「……」

「仕事上の最低限度のコミュニケーションが取れて、仕事が出来ればそれでOK。仲良しこよしなんて、学生の間だけの特権よ?」

「意外と日本の職場では、いわゆる飲みニケーションが重要と聞きますが……」

「ちゃんと調べてるのね。そうね。そこは否定しない。でも、そういうものが過去のものになりつつあるのも確か」


 飲みニケーションとは、飲み会を通じて職場の人間関係や仕事上の付き合いなどを補強するという、日本の(私にとっては)悪しき慣習である。

 大学のサークルや企業に根強くはびこっており、しばしば批判の対象になっている。

 で、あるにも関わらず滅びないのは、多分、一定以上の効果はあるからなのだろう。

 私はごめんだが。


「本音を言うと、そういう日本の古い文化の凝集体であるはずの、一条の娘たるあなたが、そういうことを忌避するに至った経緯に興味があるんだけど、それは――」

「話したくありません」

「そう? なら聞かない。話したくなったらいつでも言って?」

「はい。ありがとうございます」

「取り敢えず、絶対一人でなくちゃ嫌だっていう思い込みは、いったん捨ててみるといいわ。世界が広がるわよ」

「……努力します」

「正直ね」


 冴子様はくすくす笑った。


「あらやだ。もうこんな時間。先生に頼んで特別に開けて貰ってたのよね。もう閉めなきゃ」

「冴子様の調べ物は?」

「済んだから大丈夫。ほら、行きましょう」



◆◇◆◇◆



 その後は冴子様と分かれて寮に戻り、普段通りに過ごした。

 普通に夕食を食べ、お風呂に入り、着替えと洗濯を済ませ、布団に潜り込んだ。


(一人でなくっちゃ、という思い込み……か……)


 目を閉じながら、私は冴子様に言われたことを思い返していた。

 確かに、仕事上必要な義務的会話なら出来るだろう。

 ならば就ける職業の選択肢は広がるのだろうか。


(それは……そうかもしれない。ただ……)


 結局、ぼっちであることには変わりないな、と思いながら、私は微睡まどろみの中に落ちていった。

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