第9話 Lovely Fake.

(どうしよう。大変なものを拾ってしまった)


 別に法に触れるようなものではない。

 どこにでもある普通の大学ノートだ。

 名前を書いたら人が殺せるノートでもない。

 だけど、ある意味人が死にかねないノートだ。


 主に恥ずかしさで。


(自作ポエムノート……冗談じゃなく現実に存在していたのね)


 放課後、図書館で勉強しようと空いている机に腰掛けたら、椅子に何か違和感があった。

 お尻を持ち上げると、座席にこのノートがあったのだ。


 新品のようにきれいなノートで、どこにも名前などは無かった。

 落し物とすぐに分からず、なんとはなしに開いてしまったのが運の尽き。

 そして興味本位で最後まで読み続けてしまったのが、良くなかった。


(他人に読まれたと知ったら死ねるなぁ……)


 よし。

 私はこのノートと何の関わりもなかった。

 これでいこう。


 ノートを隣の座席に置こうとしたその時、少し大きな音を立てて図書館の扉が開いた。

 開けた人物とばっちり目があってしまった。

 当然、彼女――佳代さんもこちらを見ている。


 ノートを手にしたこの私を。


 彼女は絶句してこちらを凝視している。

 そのすぐ後ろでは、幸さんがあちゃーという体で首を振っている。

 これは……やはりそういうことなのだろうか。


 佳代さんはしばしふるふると震えていたが、意を決したらしくこちらに歩いてくる。

 幸さんはその後をしずしずとついてきた。


「そ、そのノートだけど」

「はい」

「多分、私のじゃないかなって」

「そうですか」


 私は極力何事もなかったかのような顔で、左手に持っていたノートを佳代さんに手渡した。


「……」


 佳代さんはすぐには立ち去らず、何事か言いたそうにその場に立ち尽くしている。


「和泉様、これの中身読んだ?」

「いいえ」

「本当に?」

「本当に」


 佳代さんはまだ疑わしそうにしている。


「今、ノートをこっちに置こうとしてたよね?」

「ええ。座るのに邪魔だったので」

「普通、初めから空いている方に座らない?」

「……」


 しまった。

 佳代さんなかなか鋭い。


「座るまでノートに気付かなかったんです。気がついたらお尻の下で」


 これは事実なので顔色は変えない。

 誤魔化せただろうか。


「今、一瞬沈黙があったよね?」

「気のせいでしょう」


 だめっぽい。

 正直に白状した方がいいのだろうか。


「別にいいんですよ。見られて困るようなものじゃないから」

「そうですか。なら良かったです」

「やっぱり読んだのね!」


 あ。

 誘導尋問だったか。


「殺して! いっそ殺して!」

「落ち着きなさい、佳代ちゃん」

「止めないで幸! これを見られたからには死ぬしか無いわ!」

「落ち着けというに」

「あふん」


 幸さんが佳代さんの脇をつつくと、佳代さんは一時的に静かになった。


「場所を変えましょう」


 図書館を騒がす訳にはいかない。

 佳代さんだって大事にされるのは嫌だろう。

 私たちはもう誰も残っていない教室に戻ってきた。


「うー……」


 佳代さんがこちらを睨んでいる。

 いや、そんな目で見られても。

 確かに勝手に読んでしまったのは悪かったけれど。


「えっと……」


 ここは慎重に言葉を選ばなければ。

 この一言に佳代さんの命がかかっている。


「素敵でしたよ?」

「うわーん!」


 ダメか。


「いいじゃない。ポエムノートの一つや二つ。減るもんでなし」

「幸と違って私は繊細なの!」


 それは幸さんに失礼なのではなかろうか。

 幸さんは気にした様子もないようだけれど。


「こうなったら、和泉様も巻き添えよ! 何か恥ずかしいこと教えなさい!」


 何でそうなる。


「和泉様、適当に話を合わせて下さい。後はこっちでフォローしますから」


 幸さんに耳打ちされて、私は頷いた。

 さて、どうしたものか。


「実は私も詩を書いていまして」

「えっ?」

「佳代さんのように書き溜めてはいませんが」


 何から何まで真っ赤な嘘だけど、即興で詩を思い浮かべる。

 バッグから手帳を取り出して、無地のページを破ると、そこにさらさらとペンを走らせて佳代さんに渡した。


「こんな感じです」


 舐めたなら溶け消えそうな春の月


「……俳句?」

「詩の一種でしょう?」

「そうだけど……」


 どこか納得行かない様子の佳代さんだったけれど、句を眺めているうちに段々と様子が変わっていった。


「俳句もいいわね。この句は割りと好きかも」

「ありがとうございます」

「春の月のおぼろげな感じが良く出てる。視覚だけじゃなくて、触覚にも訴えてるのもいいわ。舐めたならっていう表現もちょっと官能的……」


 そこまで言われると照れるが、ここで表情に出すとまた何を言われるか分からないので堂々としていることにする。


「和泉様、私の詩はどうだった?」

「素敵でしたよ、と言いましたが……」

「もっと詳しく!」

「私は佳代さんのような専門家ではないので、批評は無理ですよ」

「せ、専門家って……」

「ぷぷぷ」

「幸! あとでひどいんだからね!」


 佳代さん面白いなぁ。


「こういう趣味って恥ずかしくない?」

「堂々としていればいいなじゃないでしょうか」

「……それは無理」


 がっくりと肩を落とす佳代さん。

 その背中を幸さんが慰めるようにぽんぽんと叩く。


「……私さ、和泉様と違って庶民だからさ」


 何やら語りだしたぞ。

 私はそろそろ帰りたいんだけれど。


「本当のことってつまらないんだよね。むしろニセモノに惹かれる」

「分かります」


 これは本心だ。

 私――というか和泉が一時期マジックに魅せられたのは、今佳代さんが言ったような感性が根幹にあると思う。


「私の詩の中で詠った記述とか思いとかは、所詮ニセモノだけどさ。ニセモノだからこそっていうの、絶対あると思うんだ」

「創作の妙ですよね」

「うん……」


 最初に実梨さんに絡んでいた時は、随分鼻持ちならない子だと思ったりもしたけれど、可愛い所もあるじゃないか。


「本物を超えるニセモノって、素敵ですよね」

「そう! そうなの!」


 佳代さんは我が意を得たりとばかりに喜んだ。


「……和泉様、結構話わかるじゃん」

「意外だね」

「そうですか?」


 まぁ、お互い第一印象が最悪だったから仕方のないことかもしれない。


「お高く止まっちゃって、何こいつとか思ってたけど」

「それはひどいですね」


 意地悪く笑ってみせる佳代さん。

 段々、調子が戻ってきたらしい。


「このノートのこと他言したら許さないから」

「しません。そもそも言う相手がいません」


 私はぼっちなんだから。


「絶対よ? みのりんにも内緒なんだからね?」

「はい」

「約束」


 佳代さんは小指を差し出してきた。

 指切りなんて何年ぶりだろう。

 私はこっちの方がよっぽど恥ずかしいのではないかと思いながらも、小指を絡めた。


「ぷぷぷ」

「幸! 部屋に戻ったら覚えてなさいよ!」


 指切りを終えると、佳代さんは幸さんを引っ張って教室を出て行った。


(まぁ、あれはお祖母様の句なんだけれどね)


 などということは、もちろん佳代さんには永遠に内緒である。

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