第8話 交錯する音。

 四月も終わろうとするある日の放課後のこと。

 寮へ戻ろうと、部活棟近くの廊下をてくてく歩いていたら、聞き覚えのある音楽が響いてきた。


(あ……。これ確か……)


 『チェンジ!』の主題歌である。

 PV発表当時、とても話題になった曲で、アコースティックやトランスなど、様々な編曲が作り出された。

 今聞こえてきているのは、学園祭イベント用のロックアレンジである。


(懐かしいなぁ)


 ゲームの内容自体はあまり面白いとは思わなかったが、この曲はとてもいい曲だと思う。


(歌詞もいいんだよね)


 記憶をたどりながら、何とはなしに口ずさんだ。

 そのまま歩き去ろうとしたら、後ろから足音が急に近づいてきた。


「そこのお前、ちょっと待て」

「?」


 聞き覚えのあるバリトンに振り返ると、思った通り誠がいた。


「何か?」

「今の歌は何だ?」

「何……って……」


 ゲームの主題歌でしょう……とは言えない。


「聞き覚えのある曲だったからつい」

「そんなはずはない。これは昨日完成したばかりの新曲だ」

「ああ……。なら、昨日聴いたのかもしれません。いい曲ですね」

「歌詞は?」

「は?」

「この曲はまだボーカルを想定していない。今の歌詞はお前が作ったのか?」

「あ……。いえ……」


 失敗した。

 一年目のこの時点ではまだそういう扱いなのか。

 口ごもっていると、不審そうにこちらを見ていた瞳が細められた。


「いい歌詞だった。声もいい」

「あ、ありがとうございます」


 今世は帰宅部だが、もともと和泉には合唱部のソリストという設定がある。

 体感時間では歌など随分歌っていないが、この喉はいい声が出る。


「お前とは、確か前に一度あったことがあるな」

「図書館で会いました」

「ああ、なるほど。Take Fiveの楽譜の時か」


 誠は普段は寡黙だが、音楽のことになると饒舌になる。

 今も私がうっかり口にした歌詞につられているのだろう。


「今の歌詞をもう一度歌ってもらえないだろうか」

「え」

「何なら報酬を払ってもいい」

「いえ、いりませんけれど」

「取り敢えず、こっちだ」

「あの、ちょっと……」


 手を引かれて部活棟の一室に連れ込まれた。

 軽音楽部の部室だ。

 ドラムセットやギターなどが壁際に置かれている。


「主旋律だけ弾く。ボーカルを頼む」

「で、でも」

「恥ずかしがるな。本当に上手いし、見ての通り、俺以外誰もいない」

「は、はあ……」


 マナー的には、男女で二人っきりになる方がまずいはずなんだけど。


「この曲に命を吹き込んでくれ。頼む」

「……」


 誠が真摯な姿勢で頭を下げた。


「分かりました。一度だけ」


 そうして二人だけのコンサートが始まった。



◆◇◆◇◆



「和泉! 無事か!?」

「冬馬くん? どうしたですか、そんなに慌てて」

「和泉が男に連れて行かれたっていう話を聞いて、あちこち探しまわったんだよ!」

「それは……ご心配をお掛けしました。別に危険なことは何もありませんでした」

「あってたまるか! 取り敢えず見つかって良かった」

「すみません」

「ちょっと待ってろ。ナキたちに確保のメールするから」


 どうも私が良からぬことに巻き込まれていると思ったらしく、手分けして探してくれたらしい。

 誰だ通報者は。

 いや、本当に危ない場合もあるだろうから、こういう防犯意識があるのはいいことなんだけどね。


「おい。お前、B組の真島だな? どういうつもりだ」

「別にどういうつもりもないが……」

「部屋のドアを開けずに女と二人きりになるなんて、どう思われても仕方ない状況だぞ」

「外にギターの音が漏れたらうるさいだろうが。だいたい、ここは部屋ではなく部室だ」

「そういう細かいことを言っているんじゃない!」

「じゃあ、何が言いたい」


 二人の空気が不穏だ。

 仲裁に入るべきだろうか。


「和泉はオレのものだ」

「お前は和泉というのか。そういえば名前も聞いていなかったな」

「話をそらすな。こっちを向け!」

「うるさい奴だ」


 これはダメだ。

 相性が悪すぎる。


「冬馬くん。私は少し軽音楽部のお手伝いをしていただけです。冬馬くんが心配するようなことは何もありませんでした」

「だから、あってたまるか。お前も無防備すぎるぞ。仮にも一条家の令嬢だろうが」

「今日のことは本当に迂闊でした。次からはきちんと振る舞います。もう、いいでしょう? 誠くんも、すいませんでした」

「いや。どうやら俺にも非があったようだな。悪かった」

「……もういい」


 冬馬は私の腕をつかむと、早足で部室を出た。


「冬馬くん、腕、痛いです」

「……」

「冬馬くん」


 冬馬は唐突に腕を離すと、ほっと一息ついた私を壁に押しやって、私の顔の横に右腕をついた。


(うわ。これが壁ドンか)


 などと場違いなことを思っていると、冬馬が思いつめたような顔で問いかけて来た。


「お前、どういうつもりだ……?」

「何がですか」

「あいつのこと好きなのか?」

「…………は?」


 オマエハナニヲイッテイルンダ。


「いえ。全く、全然、微塵も」


 声はいいなぁ……なんて少しは思うけれど。


「本当だな?」

「本当です。入学式の日の宣言、忘れたんですか?」

「……」

「誠くんとは、何もありません」

「確かか?」

「確かです」


 そう言うと、冬馬ぐったりとうなだれた。


「……嫉妬か。我ながら情けない」

「いえ……なんかすいませんでした」

「お前が謝るな。みじめになる」


 冬馬は手をどけると、ふうと大きく深呼吸した。


「悪かった」

「いえ」

「お詫びに何でも一つ願いを叶えてやる」

「別にいいですよ」

「いや。オレの気持ちがおさまらん」

「はぁ……」

「別に今でなくても構わん。考えておけ」

「分かりました」


 よく分からないがそういうことになった。

 多分、その内二人とも忘れるだろうけれど。


「今日は図書委員か?」

「いえ」

「なら送っていく」

「一人で帰れます」


 送っていくって、距離の離れた自宅通いの恋人同士じゃあるまいし。


「いいから」

「……はい」


 結局、寮までの本当に短い距離を送ってもらった。

 これに何の意味があるのだろうと思いながら。


 女子寮の前で別れる時、冬馬がぽつりと呟いた。


「お前にその気がなくたって、あいつはどうだか分からないんだぞ」

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