第7話 健全なる魂はなんとやら。

(はぁ……。また身長が伸びた……)


 私は今日五回めのため息をつきながら、計測台から降りた。

 記録は百六十八cmである。

 まだ伸びる気配なので、この分だと百七十cmの大台に乗ってしまうかもしれない。

 体重の方はトップシークレットである。


 今日は総合健康診断である。

 一日がかりで生徒の健康状態や体力を把握する行事だ。

 午前は女子が体育館で健康診断、男子が校庭で運動能力・体力測定。

 午後は女子が校庭で運動能力・体力測定、男子が体育館で健康診断である。


 人によっては一喜一憂するイベントだ。

 私もその一人である。


 記録用紙を見やりながら六回めのため息をつく。

 前世は身長・体重ともに普通だったが、今世の私は女性としては背が高い方に入る。

 ともすると私より身長の低い男子もいるので、乙女心としては複雑なのである。


「いずみん、どうだったー? ふむ、どれどれ……?」

「ちょっと、いつねさん」


 後ろから記録用紙を覗きこんでくるいつねさんに気づき、慌てて胸に抱いて隠す。


「ほほう。いずみんはモデル体型ですなー」

「縦に長いだけです」

「ご謙遜。あたしはちんちくりんで嘆かわしい限りだよー」


 そう言われて、改めていつねさんを見る。

 背は低い。

 私より確実に十五cm近くは低いだろう。

 肉付きは普通かほんの少しぽっちゃりめかもしれない。

 むしろグラマラスというべきで、決して太っては見えない。

 私の理想はむしろそういう体型だ。


「お姉さまはカッコイイですわ」

「ねー? にののんは分かってるねー」

「当たり前でしてよ。お姉さまのことなら身長体重からスリーサイズまで――もが」

「何で知ってるんですか」


 余計なことを口にしようとする仁乃さんの口を慌てて塞ぐ。


「そりゃー、ルームメイトなら下着を洗うこともあるだろーし、知ってても不思議はないんじゃない?」

「そうですわ。下着の柄までしっかりと――もが」

「変態さんは黙ってて下さいね」


 仁乃さんを見る目が、ちょっと変わったかもしれない。

 もちろん、「変態さん」という表現はジョークであるし、同性愛に偏見はないつもりだ。

 けれど、私にそういう指向はない。

 いや、仁乃さんだってジョークだと思うけど。


 いつねさんとか可愛いなぁと思うけれど、これは小動物を愛でる感じのあれである。

 レズビアンではない。

 ……ないと思う。

 …………ないよね?


「次の方、心音どうぞ」

「あ、はい」


 私たちは普段の制服姿ではない。

 某百合ラノベで一躍その存在が全国に広まった白ポンチョ姿である。

 百合ケ丘の健康診断にあたる医師はみな女性だが、それでも素肌を晒すのはやはり抵抗がある女子は多い。

 そんな訳で百合ケ丘でも白ポンチョを採用している。

 素肌の上から羽織るのだ。


 ちなみに男子も希望すれば白ポンチョを着ることができる。

 性的アイデンティティの概念が見直され、性同一性障害の生徒がいたりするためだ。

 彼ら……いや、彼女らは、多くの女性と同じく肌をさらすことを嫌う。

 そういう生徒は、もちろん水泳などの授業も特別な配慮がなされる。


 着替えも男女問わず、更衣室が使われる。

 百合ケ丘には、そういうデリケートな問題にも、出来る限り配慮しようとする姿勢がある。

 いい学校だ。


「はい。いいですよ」

「ありがとうございました」


 問題なし、という所見を頂いて、次へと回る。

 こんな風に、血圧や視力、聴覚に始まって、果てはレントゲンに至るまで次々とこなしていく。

 動作は静かにきびきびと。

 でないと、午後の男子が困るからね。

 

 最後はマークシート式の心理テストとカウンセリングだった。

 黙々とペンを走らせた後、用紙を持って個室に入る。


「失礼します」

「どうぞ。掛けて下さい」


 カウンセラーさんは私から用紙を受け取ると、何やらその上に何枚かの透明なフィルムをかぶせては外していた。

 覗き見てみると、フィルムにはマークの配列が書いてあり、一枚ごとにパターンが違うようだ。

 おそらく、そのパターンに合うと何かしらの傾向があると判断されるのだろう。


 現代人は心理テストのたぐいが大好きだが、実は私はシャレにならないほど緊張していた。

 私は転生などという非科学的な現象の体験者であるが、これがある種の精神疾患からくる妄想である可能性も捨てきれないからだ。

 私はすでに正気を失っていて、今こうしている間にも、前世の(と、私が認識している)私は相変わらずあのままなのではないかという疑念が消えないのだ。


 ドキドキしながらカウンセラーさんと会話した。

 幸いにも、大きく逸脱した精神状態に有るということはないようだった。

 最後に、


「対人関係に不安があるかもしれないけれど、それは自然なことよ」


 とのお言葉を頂いた。

 せっかくのアドバイスですが、ぼっちはほっといて下さい。



◆◇◆◇◆



 昼食を挟んで、午後は体力測定である。


「いがーい」

「意外ですね」

「私は存じ上げておりましたわよ?」


 上からいつねさん、実梨さん、仁乃さんである。


「記録、十一秒五〇」

「はぁ、はぁ、はぁ……」


 短距離走の記録である。

 百メートル走ではない。

 走である。


「いずみん、何でも出来そうに見えるのに」

「運動は苦手なんですね」

「私は存じ上げておりましたわよ?」


 トラック脇の芝生に大の字になって寝っ転がる。

 もうダメ。

 一歩も動けない。


 そう。

 私はひどい運動音痴なのだ。


「みのりんはタイムいくつー?」

「八秒四二だったかな」

「まあまあですわね」

「仁乃さんは?」

「七秒五一ですわ」

「おー、速いなー。あたしは九秒○四だったよー」


 何でみんなそんなに速いんだ。


「和泉様、これどうぞ」

「ありがとう、実梨さん。でも放っておいて下さっていいんですよ?」

「えへへ」

「……」


 タオルを受け取ると、実梨さんは仲良しの二人の元に駆けていった。


『せ、先日は、生意気な口を叩いてしまい、申し訳ございませんでし、あ痛っ』


 顔面を蒼白にして、私に噛み噛みの謝罪を告げたのがつい先日のこと。

 実力テスト結果発表の時のいざこざで、私にきついことを言ったのを気に病んでいたらしい。

 私も相当きついことを言ったのでお互い様だと思うのだけれど、彼女は冷静になってみたら、一条家の令嬢に向かって弓引いてしまったと、大層狼狽したのだそうな。


 しばらくは完全に怯えてしまって、私を見かける度に逃げ出すほどだったのだが、見るに見かねたいつねさんがとりなして和解に至った。

 以来、こうして時々話すこともある。

 まあ、仲良しの二人と一緒に三人でいることの方が圧倒的に多いのだが。


 ちなみに、相変わらず私に関わってくる人間は少ない。

 いつねさんが私の近寄るなオーラを無視してちょいちょい話しかけてくるので、便乗して話しかけてくる者もいるにはいる。

 ただ、いつねさんほどの根性というか物好きさはないようで、すぐに離れていくのだ。

 ぼっち化計画は順調に進行中である。

 ……多分。

 何人か例外がいるような気もするが。


 その後は走り幅跳び、ハンドボール投げ、持久走などの運動能力測定と、反復横跳び、垂直跳び、背筋などの体力診断を疲労困憊で乗り切って、なんとか放課後を迎えた。



◆◇◆◇◆



「和泉。お前、なんかボロボロになってないか?」

「なんや、今にもぽっくり逝きそうな風になっとるで?」

「ほっといて下さい」


 冬馬とナキの二人はケロっとしている。

 五○mのタイムを訊いてみたら、冬馬は六秒一二、ナキは六秒二三だそうで。


「相当速いのではないですか?」

「そうでもない。世界記録は五秒台だ」


 それは比較の対象が間違っていると思う。


「わいらより早かった奴もおるで」

「はあ」

「B組の真島だ。六秒○一だった」


 おっと。

 あの寡黙な眼鏡武士か。


「次は絶対勝ってやる」


 冬馬は真剣な顔でそう呟いた。

 たかが駆けっこと思うのは男女の違いなのだろうか。

 女性選手でも一流のアスリートはカッコイイと私も思うから、多分程度問題なんだろう。


 けど、そういえば小学校の頃は足が速い男子がモテたような気がする。

 ……心なしか、冬馬の顔もいつもよりかっこよく見える。


 いかんいかん。

 私はぼっち。

 よし。


 二人と分かれて寮へと戻った。

 へとへとに疲れていたが、勉強は欠かさない。

 むしろこの状態で勉強できれば、普段は絶対さぼらずにすむはずだ。

 二十一時近くまで粘って、その後ゆっくりとお風呂に入り、消灯時間きっかりに眠りに落ちた。


 翌日、筋肉痛で悲鳴を上げたのは言うまでもない。

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