第6話 防災避難訓練。
今日は避難訓練の日である。
授業の最中に校内放送で巨大地震発生の報が流され、私達は一斉に机の下に隠れた。
私は女子にしては背の高い方なので、机の下は少し窮屈だ。
男子諸君については言わずもがな。
しばらくして再度放送があり、教師の指示に従って校庭へ避難する。
上履きを履き替えないのは当たり前。
後で雑巾で拭うのは面倒だけどね。
校庭に並んで全校生徒が整列するのを待つ。
『チェンジ!』には、登場人物たちが生きている年代に、大きな地震があったという設定がある。
実際に日本で起きた震災をモデルにしたと思われるので、少し物議をかもしたが。
その設定のせいもあってか、生徒たちは真面目に訓練に取り組んでいる。
ダラダラしたり騒いだりするものはほとんどいない。
そう、ほとんど、である。
中には訓練の重要性を分かっていないおバカさんも、残念ながら一定数いる。
働きアリの法則というのをご存知だろうか。
アリの群れ100匹をつぶさに観察すると、
約20%が勤勉、約60%が普通、残り約20%が怠け者なのである。
面白いのはここからだ。
怠け者である20%を取り除くと、どうなるか。
残りの80匹のうち、また約20%が勤勉、約60%が普通、残り約20%が怠け者になるのである。
この比率は、常に変わらないと言われている。
このたとえが当てはまるのかどうかは知らないが、私のクラスにも五、六人ほど真面目に訓練に取り組んでいない男女がいる。
危機感が足りない。
地震列島日本で、いざというときにそんなことでどうするのか。
本人たちがあおりをくうのは別に構わない。
それは自業自得だからだ。
問題は、いざ災害が起こった時、こうした不真面目な連中が足を引っ張って、全体の避難に遅れが出ることだ。
「あなたたち、もう少し真面目に取り組んだらどうですか?」
思わず、口に出してしまった。
実梨さんの時もそうだが、私ってばこらえ性がない。
不真面目さんたちは一瞬、気まずそうにお互いに目配せしあっていたが、相手が私一人だと分かると余裕の表情を浮かべた。
「へっ、避難訓練なんてたかが訓練だろ。実際に大地震が起きたら、みんなパニックでどうにもならないさ」
「そうよ。それに、この間の大震災の時も、教師の言う通りにしていたら亡くなっちゃった学生もいたしね」
彼らは私が一条家の令嬢だと知らないらしい。
でなければ、この態度はありえない。
百合ケ丘に通うような子女にしては、躾がまるでなっていないことが嘆かわしいとは思う。
ともあれ、一条家の威光が効かない相手には、私は所詮ただの小娘だ。
彼らの言うことにも一理の半分くらいはあるのかもしれない。
本当の災害というのは、有無を言わせず理性的な行動を取れなくするものなのかもしれない。
教師の言う通りにして災害の直撃を受けたという話も全くの間違いではない。
では、避難訓練を真剣に考えるのはおかしいのだろうか。
彼らのようになあなあで軽く流してしまっても構わないのだろうか。
私の逡巡を怯えと取ったのか、彼らはまたお喋りを始めた。
と、そこに近寄る人影があった。
「真面目に訓練しなさい」
担任の柴田先生だった。
先生は不真面目君の襟首を掴んでぐいっと引き上げた。
その顔は真剣そのもので、これまでの気弱そうな印象とは180度違った。
「ぐっ……てめっ……体罰……っ!!」
「先生、やめてください。訴えますよ!」
問題児たちが生徒の立場をかさにきて喚き立てるが、華奢な身体のどこにそんな力があるのかと思うほど、柴田先生は小ゆるぎもしない。
「いくらでも訴えてくれて結構。君たちが考えを改めないのなら、僕など教師をしている資格が無い」
そう言い切る迫力に、問題児たちが気圧されるのが分かった。
「僕はね、自分の音楽の授業の時に、生徒が居眠りしていても怒ったりしない。ましてやこのように手を上げたりすることなど絶対にしない。ホームルームでもそうだし、部活指導の時もそうです」
確かにそうだ。
柴田先生は容姿こそナイスミドルだが、気性は虫も殺せなさそうな気弱な、どちらかと言えば、一部の生徒になめられるタイプだと思っていた。
「だけど、避難訓練だけは別です。これは君たちの命に関わる授業。君たちが納得するしないに関わらず、真剣に受けてもらうことを強制します」
問題児たちが沈黙し、話を聞く態勢になったと見ると、先生は男子生徒の襟首から手を放した。
「先日の大地震の時、我々教師たちの一部はいくつかの過ちを犯しました。君たちの言う通り、そのせいで犠牲になった学生も確かにいます。でも僕たちは二度とあのような悲劇を繰り返さないよう、必死に勉強しているんです」
ハザードマップの見直し、避難計画の見直し、地方自治体との連携、近隣住民との助け合いなどなど。
先生は自分たちが行ってきた様々な取り組みについて、理路整然かつ淡々と説明した。
「それでも、不十分です。何より大切なのは、一人ひとりの防災意識なのです」
「防災……意識……」
「人は平穏に慣れます。次の瞬間に全てが崩壊することなど、想像もしない。もちろん、それはそれで正常な心の有り様です。常に緊張していては、日常生活を送れなくなってしまいますからね」
「……」
「でも、時々、せめて避難訓練の時くらい、防災意識を持って世界を見て欲しい。その経験があるかないかで、いざという時、本当に違うのです」
先生はそこまで言うと、頭を下げた。
「だから、真面目に訓練を受けて下さい。僕など、クビにして構いませんから」
私たちの間にしばしの沈黙が流れた。
「……分かったよ」
問題児たちはまだ不満そうだったが、取り敢えずお喋りをやめて列に並んだ。
その様子を見ると、柴田先生は他の先生方の元に戻っていった。
「何だよ……畜生……」
ふてくされたように言うのは、先ほど襟首を掴み上げられていた男子生徒だ。
それを見ていたナキがつまらなそうに口を開いた。
「柴田な、震災で娘さん失ってん」
「……はぁ!?」
ナキの言葉に、その男子生徒だけでなく、私を除くみんなが驚いた。
「家も流されてな。柴田は職場で避難指導にあたってたんやけど、色んなことの行き違いで生徒も何人かのうなったらしいで」
「な、何でそんなことナキが知ってんだよ!?」
「んなん、どうでもええやろ。とにかく、少しは察したれや」
かったるそうに言うナキ。
私は前世の記憶で知っていたことだが、柴田先生とナキは入学前から面識があるのだ。
それについては、いつか語ることも有るだろう。
「ねえ、ナキくん。何で先生は娘さんのこと話さなかったの? それ聞いてたら、私たちもっと――」
「フェアやない思ったんちゃう? いくら自分が被災者やからって、経験したこと無い人間にまで分かれ、っていうのはある種の横暴やもんな。あとは――」
「……あとは?」
「単純に、まだ口に出せんくらい辛いんやと思うで」
被災者の言葉だと知れば、取り敢えずその場は収まったかもしれない。
実際、当事者の言葉というのは重みがあり、意味があり、意義がある。
でも、いわゆる「被災者の言葉」は、メディアに溢れすぎた。
いずれ今日の体験もその中に埋もれ、風化してしまうだろう。
だからこそ、柴田先生は具体的な震災への取り組みを丁寧に理詰めで説明し、災害と本当の意味で相対するとはどういうことかを伝えようとしたのだろう。
自分が被災者だということを隠して。
「おい、お前ら、柴田先生を可哀想だとかなんとか、そんなことだけ思ってんじゃないだろうな?」
無言を貫いてきた冬馬が低い声で言った。
「何か思うことがあるんなら、態度で示すべきだ。 おら、くっちゃべってないで、整列整列」
それからはもう、無駄口を叩く者は一人もいなかった。
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