第5話 断固として帰宅部。
百合ヶ丘では部活動が盛んだ。
運動部・文化部を問わず、それぞれの大会でなかなかに優秀な成績を修めている。
最も活動が盛んなのは、運動部ではテニス部、文化部では管弦楽部であるが、その他にも多種多様な部が存在する。
他の学校であまり見ないものだと、例えば速記部なんていう部がある。
速記は特殊な文字を使って、人の会話を素早く正確に記録する技術である。
昨今、人材確保の問題、音声認識記録技術の発展などの理由で徐々に衰退しつつあるものの、日本では明治時代から存在する、歴史ある奥の深い技術なのだ。
国会で今なお活躍する第一線の速記士は、最低でも10分間で3200文字を書いて、誤字脱字は64文字(2%)以内というレベルである。
簡単に聞こえるかもしれないけど、実際に試してみると分かる。
一般人には絶対に出来ない。
上流階級の子女が通う百合ケ丘らしい部活としては、和装礼法部が珍しいかもしれない。
和服の着付けと作法を極める部活である。
基本的な知識の習得から始まって、小紋や浴衣などの普段着から振り袖や留め袖などの正装の着付け、また、姿勢の正し方や立ち居振る舞いも学ぶ。
日本発祥の文化だが、世界大会もある。
我が校の部は毎年上位に入賞している。
実家で散々しごかれた私にとっては、絶対に入部したくない部の一つであるが。
「そっかー。みのりんたち三人はみんなテニス部かー」
「みのりんはマネージャー志望だけどね」
「百合ケ丘のテニス部はほとんど経験者だから、私なんかじゃ試合出してもらえないし」
「マネージャーも素敵だし大事でしょー?」
「うん。佳代ちゃんとさっちゃんは多分、試合出られるよ。中学時代、ダブルスで全国大会まで行ったもん」
「おおー」
「いや。百合ケ丘は選手層厚いからどうかな?」
「でも、頑張ろ?」
昼休みの終わりも近い教室内。
いつねさんたちのお喋りをなんとはなしに聞き流しながら、私は次の授業の準備をしていた。
実梨さんと仲良しの二人は、
くったくなく笑い合う三人に、以前のギスギスした感じはない。
「いつねちゃんは?」
「あたしは演劇部だよー」
「へー」
「役もらえるといいね」
そこへナキと冬馬がやってきた。
「なんや。部活の話なん?」
「賑やかだな」
「二人はどこなのー?」
「わいは帰宅部」
「オレは委員会が忙しい。ゆくゆくは生徒会に入るつもりだ」
二人とも部活には入らないらしい。
「ナッキー、管弦はー?」
「あー。ま、色々あってなー」
「ふーん?」
私もお気楽な帰宅部である。
早く寮に帰ってカリカリ勉強するためだ。
そのために委員会も、活動が少なくて仕事の待ち時間に勉強出来る図書委員を選んだ。
全ては順調に進んでいたかのように思えたのだが……。
◆◇◆◇◆
「ね? ね? お願い。籍を置くだけでいいから」
「人助けだと思って」
現在、私は二人の三年生による必死の説得にあっている。
「私は帰宅部と決めていますので」
「そこを何とか!」
「お願い!」
男子と女子が一人ずつ。
体育会系の雰囲気はまるでない。
「このままだと……これなんだよ!」
男の先輩の手が宙を掴んだと思うと、どこからともなくカードが現れた。
カードには廃部と書いてある。
そう。
彼らは奇術部の部員なのである。
「お姉さま。いいじゃありませんの」
「なになにー?」
仁乃さんは先輩二人を連れてきた張本人である。
見慣れない人たちと珍しく会話している私に気づいて、いつねさんたちが寄ってきた。
実梨さんたち仲良し三人組は寄っては来ず、遠巻きにこちらを見ている。
「奇術部に入部して欲しいんだそうです」
「ほう」
「マジックやら手品やらのことやな」
ちなみに日本古来の
この呼び方する時は、少し内容が独特だが。
「二条さんに聞いたよ。一条さん、結構な腕前らしいじゃないか」
「もったいないわ。ぜひ、うちへ」
「というのは建前で、部活成立の最低人数である3人に達しないんだそうです」
「あー、なるほどねー」
百合ケ丘には同好会のような部活の下位互換システムはない。
三人以上で部活が成立し、それ以下は各自の趣味――つまり、予算がつかない。
マジックはトランプ一組、コイン一枚あれば出来るが、色々しようと思うと意外にお金がかかる。
例えば、コインマジックによく使うハーフダラー(アメリカの五十セントコイン)は、普通のものなら二百円ほどで買えるが、本格的な手品用のものは二千円近くする。
銀の含有量が違うので、輝きが全く違うのだ。
「入ってやればいいじゃないか。籍を置くだけでいいなら易いものだろう」
「生徒会長を目論む人が何を言うんですか。学園に対して不誠実です」
「いずみちゃん、真面目やなー」
「どうしてもダメかい? ああ……伝統ある百合ケ丘奇術部も今年で終わりか……」
先輩が泣き落としにかかって来た。
面倒だなぁ。
「はぁ……。分かりました。一つ勝負をしましょう」
「勝負?」
今日5回目のため息をつきながら、私は鞄の中からトランプを取り出した。
「バイシクルを持ち歩いているなんて、君、本当はマジックが好きなんじゃないのかい?」
「恩師の形見です。他意はありません」
バイシクルとはマジックで最もよく使われるアメリカ製のトランプのことである。
中学校時代の理科の家庭教師がマジック好きで、ちゃんと宿題をしておくと、マジックを教えてくれたのだ。
老齢の先生で昨年お亡くなりになったが、子どもの心を上手につかむとてもいい先生だった。
「ポーカーで私と勝負して、先輩が勝ったら籍だけお貸しします」
「そんなことでいいのかい?」
「ただし、ディーラーは私。ワイルドカードありのクローズドポーカー1回勝負です」
「あ! 先輩、駄目で――」
「仁乃さん、シャラップ。ご返答は?」
仁乃さんが余計なことを言いそうになったので遮った。
ワイルドカードとはジョーカーのことで、どのカードの代わりにすることも出来る。
クローズドポーカーは、日本で遊ばれている一番普通のルールだと思ってもらえればいい。
「いいとも! いかさまは?」
「当然、ありで」
「いいのかい?」
「構いません。先輩の熱意に配慮します」
「ありがとう」
「では」
ケースからトランプを取り出し、何回かシャッフルする。
私と先輩、交互に一枚ずつ、五枚二組を配る。
先輩が手札を見た。
そして、ニヤリと笑った。
「なるほど。なかなかの腕前だ。でもミスったね?」
「そうかもしれません」
「僕はこのままでいい。勝負だ」
「では、私もこのままで」
「いずみんは、手札を見ないの?」
「ミスしていたのなら、いくらあがいても無駄ですから」
「そうだろうね。これなら絶対に負けない」
先輩が勝ち誇った顔で手札をオープンした。
スペードの10、J、Q、K、Aである。
「わ! ロイヤルストレートフラッシュだー」
「策士策に溺れたね。ボクの勝ちだ」
「……」
私は無言で自分の手札をオープンした。
「えー!」
「ば、馬鹿な……」
「……だから止めたんですのよ」
ダイヤ、クラブ、ハート、スペード、それぞれの5とジョーカーからなる役――ファイブカード。
ワイルドカードありの時にだけ成立する、ポーカー最強の役である。
「私の勝ちですね」
「いや、待て。待ってくれ! もう1回!」
「往生際が悪いですよ」
「今のは油断した。目で追えなかったけれど、フォールスシャッフルだろう?」
「ご明察です」
種明かしはこうだ。
二つの役を交互に噛み合わせるようにしてカード全体の一番上にセットし、予めケースの中に準備しておく。
その後、フォールスシャッフルというカードの順番が変わらないシャッフルを行う。
後は、相手と自分に交互にカードを配れば、ご覧のとおりである。
「もう一回! もう1回だけチャンスをくれ!」
「はぁ……。では、もう一回だけ。今度はもっとシンプルにしましょう。私が一番上からどんどんカードを机に置いて行きますので、お好きなところでストップを。その時一番上にあるカードを私が当てたらこちらの勝ちです」
「いいだろう」
「では」
説明したとおりどんどんカードを置いていく。
七秒ほどたった所でストップがかかった。
「よろしいですね?」
「待った。もう一枚、ボクに置かせてくれないか?」
「……そういったことは事前に決めておくことではないでしょうか?」
「分かってる。恥を承知で頼む」
「……分かりました」
先輩は慎重な手つきで、私の手にあるカードから1枚取り上げて机に置いた。
「もう何枚か取りますか?」
「……それでも勝てるっていうのか? ……いや、このままでいい」
「では。ジョーカーです。今度も先輩の手でどうぞ」
先輩の手が一番上のカードをめくる。
めくられたカードは、確かにジョーカーであった。
「すごーい!」
「負けた……。完全に負けた……」
「お姉さまったら。大人げない」
いつねさんは素直に驚き、先輩たちは呆然とし、仁乃さんは呆れたような声を出した。
「セカンドディールのフォースかと思った。完敗だ」
「途中まではそうでした。先輩が自分でと仰った時点で、念のため打っておいた別の手を使いました」
「タネは……いや、それはマジシャンの流儀に反するな」
「そうですね」
セカンドディールとは、一番上のカードを配るふりをしつつ上から2番目のカードを配る技術である。
これを使うと一番上のカードをずっと動かさずに、カードを配り続けることが出来る。
つまり、一番上のカードだけ覚えておけばいい。
先輩はそれを見抜いて、自分にカードを取らせろと言ってきたのだ。
フォースとは、相手に自分の思った通りのカードを取らせる技術の総称である。
先ほどのポーカーで先輩が警戒していることは分かっていたので、私はさらに別の手を準備しておいた。
カード全体の中ほどにあるもう一枚も覚えておき、ブレイクという小指を引っ掛ける技法でそれを保持する。
さらにパスという技法でそれを一番上にすり替えたのである。
パスという技法には色々な種類があり、説明するのが難しいのだが、イメージとしては、カード全体の上半分と下半分をそっくり交換する感じだ。
「では、お約束通り、お引取り下さ――」
「その技術! やはり、ぜひとも我が部に入ってもらわねば!」
「……は?」
「そうよ! 素晴らしい腕前だわ!」
「あの、ちょっと」
あるぇー?
「お姉さま。火に油を注いでどうするんですの」
「いや、だって約束――」
「あんなの見せられて、引き下がる訳ないじゃありませんか」
そりゃそうだ。
不覚である。
幸いにもすぐにお昼休み終了の時間になったので先輩方は引き上げていったが、その後しばらく勧誘は続くのであった。
私のため息は五割増しになったことをここに記しておく。
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