第4話 ぼっち令嬢の一日。

 学園生活にも少し慣れてきた。


 百合ケ丘の朝は早い。

 遅くとも五時半には起きだして身なりを整える。

 部活に所属して朝練を行う生徒は、もっと早く起きだして準備をする。

 帰宅部の私には関係のないことではあるが。


 各部屋にはお風呂、トイレ、洗面台、IHの簡易キッチンが備え付けられている。

 シャワーを浴びて顔を洗い、お湯を沸かして紅茶を頂く。


「……んんん……おはようございまひゅわ……」

「おはようございます」


 ルームメイトの仁乃さんは、意外とねぼすけであることにも言及しておきたい。


 その後、食堂に向かう。

 全校生徒約六百人の食事を賄うだけあって、食堂はかなり大きい。

 さすがに六百人が一度に座れる訳では無いが、それほど待つことなく食事にありつける。


 メニューも豊富だ。

 朝、昼、夜ごとにラインナップが違う。

 食費は予め一年分納めてあるため、何を食べても自由。

 食べ盛りの男子用こってりボリュームメニューから、小食なベジタリアン向けあっさりメニューまで。

 今年はいないようだが、宗教的な食のタブーがある生徒が在籍した場合のメニューすらあるという。


 私はだいたい基本的な和食を食べることが多い。

 ぼっちで。


 本日のメニューは――。


 五穀米のご飯。

 あさりの味噌汁。

 焼き鮭。

 茶碗蒸し。

 温野菜の盛り合わせ。

 香の物。


 以上である。


「頂きます」


 自宅の料理人には及ばないものの、ここの料理人もいい腕をしている。

 素直に美味しいと感じる。

 食事が美味しいというのは、とてもありがたいことだ。

 よくよく味わって頂く。

 一口三十回噛むように、とはお祖父様の言。

 そんな訳で私の食べるスピードは遅い。


 食事を終えると大体七時。

 ホームルームが七時半なので余裕を持って教室へ向かう。

 教室には大体決まったメンバーがいる。

 早くに来て、友人と歓談している生徒たちだ。

 その中心にはいつもいつねさんがいる。

 

「いずみん、おはよー」

「おはようございます」


 他の人たちは私に話しかけては来ない。

 やはり初日のアレが効いているようだ。

 いつねさんも今のところはしつこく食い下がって来ず、挨拶を終えるとすぐに友人たちの輪の中に戻っていく。


 私が教科書などを机にしまい終える頃に、冬馬とナキがやって来る。


「おはよう、和泉」

「和泉ちゃん、おはよーさん」

「おはようございます」


 いつねさんに負けず劣らず社交的な彼らは、自然と会話の中に混ざっていく。

 私?

 カリカリ自習だよ。


「はーっ……間に合いましたわ……」


 最後に時間ギリギリでやって来るのが仁乃さんである。


「おはよーにののん、今日もギリギリだねー」

「うぅ……朝は弱いんですの」

「ルームメイトのいずみんは、結構早く来るのに」

「お姉さま、起こして下さらないんですもの」


 私は甘やかさないのだ。


「一時間目は何でしたかしら?」

「英語だよー」

「私、この学園の英語苦手ですわ」


 百合ケ丘の英語教育はコミュニケーション重視なのである。

 読み書きよりも、会話に重点が置かれている。

 内容自体はそれほど高度なものではないのだが、日常的に英語を使う機会のない日本人にとっては、やはり敷居が高いらしい。

 私はといえば、祖父が付けてくれたアメリカ人家庭教師のお陰で、日常会話には不自由しないくらいである。


 ホームルームが始まる。

 出席を取り、担任の柴田先生から簡単な連絡事項が伝えられる。

 この日は欠席者なし。

 近々、避難訓練があるらしい。

 校舎の中でまだ知らない場所が沢山あるだろうから、予め調べておくようにとのことだった。


「いずみんいずみん、放課後一緒に周らない?」

「一人で周ります」

「いけずー」


 いつねさんはまだ私を諦めていない。

 本当に打たれ強い。


 八時。

 授業開始である。

 五十分の授業と十分の休み時間を四回繰り返すとお昼になる。

 授業には真剣に臨む。

 前に触れたように予習はバッチリなので、復習をしながら記憶への定着をはかる。


 百合ケ丘は教師陣の質がいい。

 予習でつまづいた所も分かりやすく解説してくれる。

 それでも分からない所は授業後の休み時間に、積極的に質問していく。

 その日のうちに疑問点を残さないことが大切だ。

 あとはテスト期間中に仕上げをすれば万全である。


「お姉さま、ここが分からないのですが」

「ごめんなさい。私も分からないです(真っ赤な嘘)」

「じゃあ、二人で職員室に聞きに行きましょう!」

「……打たれ強い子が多いですね」


 昼食は十二時から。

 昼食時の食堂はとても混み合う。

 朝や夜と違って学生が一斉にやってくるからである。

 

「和泉、こっちだ! こっちが空いているぞ!」


 今日は冬馬たちに捕まってしまった。

 そもそも昼時は選り好みできるほど席が空いていない。


「……そんなに大声を出さなくても聞こえています」

「冬馬のやつ、和泉ちゃんのためやーて、先輩方から白い目で見られながらもキープしとったんや。少しくらい感謝してやってもバチは当たらんと思うけどなー」

「頼んでいませんので。私は1人でどこででも食べられますし」

「つれないねえ……」

「そんなところも可愛いんだがな!」

「めげないねえ……」


 午後の授業は十三時から。

 五十分の授業と十分の休み時間を二回繰り返せば放課後だ。

 お腹がいっぱいになって襲ってくる睡魔と闘いつつ、午後も真剣に授業を受ける。

 

 放課後の行動は人それぞれだ。


 友達と教室でおしゃべりする者。

 部活に勤しむ者。

 委員会活動に従事する者。

 寮へと直帰する者。


 普段の私は最後だが、今日は図書委員の当番の日なので図書室へと足を運ぶ。

 図書室は一般棟とは独立した大きな建物になっていて、もはや図書館と呼んだ方がふさわしいほど立派なものである。


 入り口には駅の自動改札に似た装置があり、学校が発行するIDカードを使わないと通過出来ない。

 このカードは貸し出しカードにもなっていて、貸出はコンピューターを利用したセルフサービスとなっている。


 自然と図書委員の仕事は少なくなり、初めて利用する学生への説明や、細々とした各種相談・要望への応対と、あとは返却処理くらい。

 専属の司書さんもいるしね。

 前世の知識でこのことを知っていた私は、進んで図書委員に立候補したのである。


「すまない。少し聞きたいんだが」


 暇つぶしに化学の教科書を読んでいると、声を掛けられた。

 深いバリトン。

 この声には聞き覚えがある。

 攻略対象その四だ。


 短く切った黒髪に精悍な顔立ち。

 リムレスの眼鏡はやや冷たい印象。

 どこか寡黙な武士を思わせる彼は、真島まじま まことという。


「はい。何でしょう?」

「楽譜のたぐいは置いてあるか?」


 手元の端末で検索する。


「楽譜は……いくつか置いてあるみたいですね。

 タイトルを教えて頂けますか?」

「Take Fiveだ」

 

 うーん、いい声。

 などと悦にいっていてはいけない。

 調べてみると、どうやらジャズの楽譜らしい。

 誠は軽音楽部だったっけ。

 彼の楽器はエレキだったはずだから、ロックアレンジするのかもしれない。


「お持ちしますので、少々お待ちください」

「助かる」


 棚を巡ってお目当ての楽譜を抜き出すと、早足でカウンターに戻った。


「お間違いないですか?」

「ああ」

「手続きの仕方はお分かりですか?」

「問題ない。ありがとう」


 これから練習があるのか、手続きを済ませると誠は足早に去っていった。

 その後は特にこれといった仕事もなく閉室時間の十七時を迎えた。


 夕食は十七時からである。

 これは食堂が17時からやっているという意味で、混雑のピークは十八時頃になる。


 百合ケ丘の夕食は、「ファミリー」という形容詞がつかない、ちょっとしたレストラン並みである。

 和洋中、各種業界から引き抜いてきた一流シェフが腕を奮うのだから、その味は推して知るべし。


 その代わり、テーブルマナーも求められる。

 テーブルマナーと一口に言っても、和洋中でそれぞれに違う。

 私はひと通りお祖父様に叩きこまれたけれど、稀にいる一般家庭から百合ケ丘に来た生徒は、まずここで格差を感じるという。


「どうした?」


 おっと。

 手が止まっていたみたいだ。

 見事なフォークさばきでフレンチを食する冬馬が怪訝な顔をしている。


「いえ、別に」

「味に不満があったら言えよ? 学園に抗議してやる」

「そら恐ろしいこと仰らないで下さい」


 東城家からクレームがついたなどとなったら、そのシェフは飲食業界ではまず生きていけない。


 東城家は一条家と違い戦後急速に力を伸ばした家で、歴史こそ浅いものの、その勢いは一条家と肩を並べる程と言われている。

 国際的な事業展開を得意とし、各種外食・中食産業も手広く手がけている。

 「国内」に強い一条家と「外交」に強い東城家は、戦後手を取り合って発展してきたのだ。


「それはともかく。何度も言いますが、私に構わないで下さい。先日宣言したとおり、私は一人でいたいのです」

「好きなだけ一人でいたらいいぜ? オレ以外とならな」


 口元をフキンで清めつつ、冬馬は傲然と笑う。


「婚約者をないがしろにするのは、看過できん」

「親同士の口約束にすぎないですよ、そんなの」


 正式に取り交わした約束という訳ではないのだ。

 それに私は知っている。

 この後、私たちは仲違いし、婚約は形式上だけのものとなる。

 そして主人公が登場し、冬馬は彼女にべた惚れするのだ。


「オレはお前以外の女など眼中にない」

「今のうちだけです。そのうち、お眼鏡に適う女性が現れます」

「もう目の前にいる」

「幻ですよ」


 埒があかないと判断した私は席を立った。


「お前はオレのものだ。……逃がさないぞ」


 まるでこの世の全てが自分中心に回っているかのような声を振りきって。


 夕食が終われば自由時間である。

 寮の門限は十九時で、これを過ぎると反省文を書かされることになる。


 とはいえ、もうお分かりかと思うが、全寮制の我が校は自由時間が非常に少ない。

 中には門限過ぎまで遊び歩き、予め話を通しておいた1階の3年生の部屋の窓から出入りさせて貰う生徒もいるらしい。

 当然その場合、点呼は何とか誤魔化すわけだ。


 ちなみに消灯時間である二十三時までに、入浴や洗濯、着替えを済ませておかなければならない。


「お風呂、お先でした」

「以前はご一緒させて下さいましたのに」

「何歳の頃の話ですか」


 交代でバスルームに消える仁乃さんを見送ると、私は机に向かって勉強を始める。

 今日は図書委員の仕事であまり時間が取れなかったから、その分集中しないと。


 勉強するのは日本史。


 私は理数系に比べると文系がやや弱い。

 暗記も決して得意ではないので、日本史には多めに時間を割くのだ。

 

 地道に勉強しているとコンコンコンとドアがノックされた。


「点呼です」

「一条 和泉います。二条は今お風呂です」

「確認しました。二条さんには出来るだけ点呼の前に済ませるよう言っておいて下さい」

「分かりました」

「それじゃ、おやすみなさい」

「おやすみなさい」


 点呼をごまかす場合は、今のようにお風呂とかもう寝ているとか言うのだとか。

 私は容赦なく本当のこと言うけれどね。


「はー……。さっぱりしましたわ」

「点呼来てましたよ。出来るだけ点呼の前に上がるようにって」

「お風呂ぐらい、ゆっくり入らせて欲しいですわ」


 そろそろ消灯である。

 私はベッドに潜り込んだ。


「明日は起こして下さいましね?」

「目覚ましかけなさい」



◆◇◆◇◆



 夜中、ふと目が覚めた。

 どこからか、人の声のような音がする。


「……様」


 仁乃さんの寝言のようだ。


「お母様……」


 この時期、ホームシックにかかる子もいるらしい。

 実家にそれほど愛着のない私には持ち得ない感覚だ。

 私は仁乃さんの乱れた布団をかけ直して、そっと頭をなでた。


「……」


 仁乃さんの寝顔が心なしか穏やかになった気がする。

 気がするだけかもしれない。


「ま、いいや。おやすみなさい」


 朝日が昇れば、またぼっち令嬢の一日が始まる。

 私は小さくひとつあくびをし、ふかふかの布団に潜り込んだ。

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