53話 案件:A子 4

「それではあらためまして、『怪我の状況と合意の有無』について、ご意見のある方」



 新島裁判長さんの言葉に、資料に目をやる私たち。


 Aさんの手足に付けられた傷は、暴行された際に、拘束に用いられた結束バンドが擦れたことが原因とみられ、靴擦れをうんと酷くしたようなケロイド状に爛れた皮膚からは出血を伴い、素人の私たちが一見しただけでも、かなり酷い状態だと分かるほどでした。


 それ以外にも、体中に残された様々な傷跡から、拘束されたまま、長時間にわたって惨い暴行が繰り返されたことが想像に難くなく、いたたまれなくなります。


 ナースでもある補充裁判員2番(育休中ママ)さんによると、



「ここまでの状態って、現場でもなかなか見ないですよ」


「納刀被告は『そういうプレイだった』という趣旨の主張をしていますが、如何でしょう?」


「あり得ないです! 大の大人でも、悲鳴を上げるレベルですから…!」



 普段、ちょっと靴擦れした程度でも、処置せずに歩くのは拷問ですし、ましてAさんの傷の状態はその比ではなく、職業柄いろんな傷を処置してきたであろう補充2番さんが、思わず涙声になる様子からも、その重症度合いが理解出来ます。



「そもそも、合意があったなら、ずっと縛っておく必要性ってありますかね?」



 裁判員1番(女子大生)さんの言葉に、首を横に振る私たち。



「血が出るほど結束バンドが食い込んでる状態なら、外しますよね」


「せめて傷口のお手当てくらいはするわよねぇ~」


「援交や行きずりの相手だったとしても、それくらいは気遣うでしょう」


「逆に気になって、行為に集中出来ないっすよね」


「それに、結束バンド部分だけじゃなく、Aさんが初体験なら、性行為自体、相当痛かったでしょうしね」



 私の言葉に、ハッとする男性陣と、大きく頷く女性陣。


 性的暴行だけでも相当なショックなのに、加えてそれが初体験となれば、心と身体に与えるダメージは計り知れないというもの。



「では、Aさんには合意の意志はなかったと思う方、挙手して頂けますか?」



 新島裁判長さんの問い掛けに、全員が挙手。ほぼほぼ疑う余地はありませんが、終始一貫してそうだったと考えられるのか、疑問点をつぶしてゆく作業に取り掛かかります。


 というのも、はっきりと抵抗したという事実が立証出来ない場合、ほんの少しでも、たとえそれが途中からでも、被害者が加害者を受け入れた可能性があれば、その犯罪は成立しないことになるのです。


 ただし、全く抵抗しなかったとしても、薬やお酒などで体が動かせなかったり、意識がなかったりして、物理的に抵抗が不可能な状態や、刃物や暴力、暴言などで脅されて抵抗することが出来ない『恐怖による支配からの心神耗弱状態』と推察される場合には、抵抗した事実がなくても、受け入れたとは認定しません。


 そこで、全体を俯瞰して観るために、Aさんがコンビニに放置され、保護された時の状況も併せて検証することに。


 最初に意見したのは、稲美さん。



「自分がその立場だったらと考えて、拉致監禁されたうえに、拘束までされている状況では、自力で逃げ出すのはほぼほぼ無理だったと思います」


「それに、下手に抵抗して命の危機を招く可能性を考えれば、おとなしく従う以外なかったんだろうな、と」


「コンビニの店長さんは、もしまたAさんが納刀被告に連れ去られたら、次は命が…って危惧したくらいだったんですよね?」



 コンビニの駐車場に乗り付けた車から、まるでごみでも捨てるように無慈悲に放り出し、全身の怪我の状態からも、その猟奇性を感じたと証言したコンビニ店長さん。


 放置した犯人が戻ってくる可能性を恐れ、その場にいた店員と客全員が協力して、ドアを施錠し、さすまたや棒を持った男性陣が入り口をガードし、Aさんと彼女に付き添う女性客をカウンター裏に匿ったほど。


 通報を受けて、現場に到着した警ら課の吉岡巡査部長も、Aさんの状態含め、自身が目撃した状況から犯人の異常性を指摘しており、当事者であるAさんの恐怖や絶望と言ったら、言葉に表せないほどだったことでしょう。



「拉致されたばかりの時点なら、逃げ出す気力や体力はあったと考えられませんかね?」



 今回も、的確に疑問点を提示してくださる裁判員4番(銀行員)さん。それに対し、私たちもあらゆる角度から潰して行きます。



「手足の拘束が、一番のネックでしょうね」


「仮にそれがなかったとしても、逃げて捕まった時のことを考えると、怖くて実行に移すのは難しい気がします」


「それに、自分が今居る場所も分からないんっすよね? 捕まる確率、高くないっすか?」


「よしんば、Aさんに格闘技の覚えがあれば、あるいは抗うことも出来たかも知れませんがな」


「先ずもって、二人の体格差がありますもんね。いくら納刀被告が小柄な中年男とはいっても、Aさんはそれ以上に小柄な少女ですし」


「自宅に押し入られたとき、『騒いだら殺す』や、車の中でも『逃げたら殺す』と言われてますよね? これ、相当怖いと思います」


「それに、監禁中は服を脱がされていたんですよね? 17歳の女の子が全裸で逃げるとか、私なら絶対無理です!」


「60代の私でも、その状況では逃げる気力も失ってしまうわ~」



 そうして出された意見を総合し、物理的にも、精神的にも、状況的にも、逃げ出すことは困難だったということで一致。


 さらに、度重なる暴行と長時間の監禁、さらに身体に受けた傷の痛みや恐怖から、最悪命の危険を感じ、それによって暗黙の裡に出来上がった主従関係に支配されていたと考えられ、服従する以外の選択肢を失った、という結論に達した私たち。



「よってAさんは、納刀被告により、恐怖による支配からの心神耗弱状態であったため、抵抗することが出来なかったと推察される、ということでよろしいですか?」


「異議なし!」



 新島裁判長さんの言葉に、拍手とともに全員一致で合意しました。





 そして、最後のポイント『コンビニ駐車場に放置した人物は誰なのか』という問題に移ったのですが、こちらはあっけないほど簡単に解決されることに。


 その立役者となったのが、補充裁判員1番(車ディーラー)さんでした。彼は、運転した人物は間違いなく納刀被告であると断言したのです。



「どうしてそうだと?」


「MT車で飛ばしシフトしてて、引っ張りに特徴があるんっすよね」


「ん?」「ん?」「どゆこと??」



 聞き慣れないワードに、理解が追い付かない私たちにも分かるように、丁寧に説明してくれた補充1番さん。


 彼が言った『飛ばしシフト』とは、MT車の運転でシフトチェンジする際、数字の順に変速するのではなく、1速→3速や5速→2速のように『飛ばし』て操作することをいうそうです。


 メリットはクラッチ操作を減らすことで、より短時間での加速が可能になりますが、MT車に慣れていないと、エンジンのトルク不足や過回転を起こし、最悪エンジンブローやクラッチの破損といった故障につながることもあるとのこと。



「あれですよね、たまーにマニュアル車動かすと、ギアチェンジ失敗してノッキングするやつ!」


「分かります! 自動車学校で、何度泣いたことか!」


「それで、これが納刀被告だと断定出来る理由は?」


「簡単に説明すると、加速してシフトアップするときに音が変わるんすけど、一速から3速までの引っ張り、つまりアクセルの踏み込み方が特徴的なんで、そこを聞いて欲しいんっすよね」



 すぐさま稲美さんが、コンビニの駐車場でAさんを放置して走り出す映像を再生。それに続き、Cさんを拉致した際、警察の尋問を振り切って発進する映像他、数点と比べると、その全てが同様に特徴のある加速音とタイミングであることが確認出来ました。



「うん、同じですね!」


「確かに!」


「私でも、同じに聞こえますな」



 念のため、いくつか別のシフト飛ばし動画とも比較すると、ドライバーの癖が出るらしく、納刀被告の物とは明らかに違いがあり、Aさんを放置したのは、間違いなく納刀被告だったと判断することが出来たのです。



「それにしても、補充1番さん、よく気付きましたね」


「自分、子供のころから車が大好きで、ディーラーになったのもそれが動機なんすよね」


「凄いわ~。お手柄よ、補充1番くん!」


「あざっす!」



 照れくさそうに賞賛を受ける彼の姿を見ながら、



「そう、こういうのも、裁判員裁判の大きなメリットなんですよ」



 にこやかにそう言ったのは、新島裁判長さんでした。



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