52話 案件:A子 3

 あまり根を詰めてはいけないということで、いったん休憩を挟み、円卓の中央に置かれたお菓子を頂きながら、先ほどの評議の中に出てきた『スピリチュアルな理由』について盛り上がる私たち。



「でも、怪奇現象が理由で、家にいたくないとか、あるんでしょうかね?」


「ありますよ~」



 食い気味に即答した熊野さん。



「え!?」「マジで!?」


「僕、前年度まで民事にいたじゃないですか。『心理的瑕疵物件しんりてきかしぶっけん』いわゆる『いわくつき物件』とか『事故物件』とか絡みの裁判って、案外多いんですよ」



『心理的瑕疵物件』とは、殺人事件や死亡事故、自殺などの不審死が発生した建物や部屋のことで、自然死であったとしても、発見までの時間経過により遺体の状態が悪く、特殊清掃が発生してしまった場合も該当します。


 賃貸の場合、告知義務は3年、ただし、建物外で発生した事故は告知義務の対象外となりますが、売買の場合は、期間によって告知義務がなくなることはありません。



「身内ならともかく、知らない人っていうのは…」


「確かに、積極的に住もうとは思わないですよね」


「知らなきゃ良かったのにねぇ~」


「知らぬが仏とも言いますからな~」


「それが、そうでもなくて、知らずに住み始めたら、毎晩のように何かしら怪奇現象が起こるものだから、調べてみてそうと分かったという事例も多いんですよ」


「うわ…!」「そりゃ訴えたくもなりますよ!」


「相当な慰謝料貰わないと、やってられないですね」


「貰っても嫌っすよ~!」


「ところが、逆のパターンもあって、いわくつき物件を購入したのに、全く怪奇現象が起こらないって訴訟を起こしたケースもありまして」


「何じゃ、そりゃ~~!?」


「どういう方なんですか?」


「オカルトマニアの方だったり、ホラー作家の方だったり、オカルト系の動画配信をされてる方だったり」


「なるほど~」


「人によっては、魅力的な不動産になるんですね」



 ふと隣の席を見ると、裁判員4番(銀行員)さんが、目を閉じたまま、両耳に突っ込んだ指を動かし続けていて、不思議に思った私がそっと肩を叩くと、「うわっ!!」と声を上げ、驚いた表情でこちらを見たのです。



「びっくりした! 何やってるんですか?」


「皆さんが怖い話をしてたんで、絶対に聞こえないように防音バリアを張ってました」


「そっか、4番さん、ホラーが苦手でしたものね」


「4番さんなら、悪霊相手でも論破するイメージなのにねぇ~」


「地縛霊とか、理路整然と追い出してくれそうですけど」


「無理無理無理」



 そう言って首を横に振り、再び防音バリアを作り始めたため、それ以上怖い話をするのはやめ、美味しくお菓子を頂きながら、別の話題にシフト。それにしても、皆さんがおっしゃるように、合理的思考で冷静沈着な彼が、そこまでホラーを苦手になった理由が気になるところです。


 私たちが今いる第6評議室のある建物は築年数が古く、全体的に内部が暗くてちょっと不気味な感じなのですが、先日、私がお手洗いから出ると、評議室に戻る裁判員4番(銀行員)さんの姿があり、歩きながら何かを口ずさんでいる様子。


 そっと聞き耳を立てると、小さな声で『オバケなんてないさ~、オバケなんてうそさ~、寝ぼけたひとが~』と童謡を歌っていらっしゃいました。ああ、多分この人は、根っから苦手なんだろうな、と。


 そんなことを考えていると、隣の席の熊野さんが話しかけてきました。



「それにしても、5番さん、ご近所関係に詳しいですよね」


「一応、専業主婦なので」


「やっぱり、ご近所にもネホリーナの方が?」


「ええ、いらっしゃいますとも。特別強烈なのが」



 もしこの世にネホリーナ選手権があるなら、間違いなく上位入賞、何なら殿堂入りを果たすのではないかと思うお方、それこそが我が家の斜めお向かいに住む、葛岡さんのおばあちゃんです。


 町内で、私が裁判員としてこの裁判に参加していることを知っているのは、業務上の理由から町内会役員の皆さんだけでしたが、このところ、頻繁に出かけている私を訝しんでいたらしく、今朝、出掛けに偶然を装って声をかけてきたのです。



「あら~松武さん、おはよう~」


「葛岡さん、おはようございます」


「こんな早くから、どこかにお出掛けかねぇ~?」


「ええ、ちょっと用事がありまして」


「もしかして、働きに出られてるの~?」


「いえ、違いますけど、どうしてですか?」


、このところ朝早くから出掛ける姿が見えたもんだからねぇ~」



 ネホリーナの上に、スピーカーでもあるおばあちゃんに『守秘義務』という概念は存在しませんので、絶対に、裁判員に選任され裁判所に登庁していることは、口が裂けても言えず。


 これ以上引き止められたら本当に遅刻しそうだったので、笑ってごまかしその場を後にした私。



「怖っ!!」「ホラーだ!」


「普通、待ち伏せしてまで聞く!?」


「それって、『』んじゃなくて『』って言うよね!」


 すると、新島裁判長さんがちょっと表情を曇らせながら、



「いや~、それはそれは! 私たち裁判官は転勤が付き物ですから、官舎住まいを余儀なくされていますので、定年退職後は一戸建てに住むのが夢なんですがね。そんな人間関係があるとなると、新興住宅地というのもちょっと考え物ですね」


「いえいえ、ほとんどは良識的な方たちばかりですし、彼女のような方のほうが特殊なんですよ。ほどほどに距離を取っていれば、それほど実害はないと思います」


「ほどほどの距離感って、具体的には?」


「そうですね、例えば職業! 元裁判長なんて知られたら、格好のターゲットになりますから、お気をつけて」


「分かりました。絶対に他言しないように気を付けます」


「ただ、ものすごく嗅覚が鋭いといいますか、なぜか嗅ぎつけられちゃうんですよね」


「そんな、じゃあ一体どうすれば?」


「どんなに追及されても、しらを切り通すしか」


「まるで被疑者ですね」


「相手は百戦錬磨のプロですから」



 そのやり取りに、思わず室内に笑いが起こりました。


 ご近所では知らない人はいない葛岡さんのおばあちゃんを知っている莉帆ちゃんは、笑いをこらえるのに必死だったことでしょう。


 そんな他愛ないおしゃべりでリフレッシュしたところで、評議再開です。





「それでは、次に『怪我の状況』と『合意の有無』についてですが、まず、Aさんの怪我の状態を記録した証拠資料の写真をご覧ください」


「あ、6番さんはこちらを!」



 すかさず稲美さんが裁判員6番(中央市場仲卸)さんに手渡したのは、写真に写った傷の状態をイラストに起こしたもの。


 普通の裁判同様に、裁判員裁判でも証拠として、被害者が負った傷口部分や、ご遺体そのものの写真が提出されることもあり、中にはプロである裁判官でさえ目を逸らせたくなるような悲惨な状態のものも含まれます。


 個人差はあれ、一般市民の私たちにはあまりにも衝撃が大きく、裁判員制度が始まった当初、そうした画像が原因でトラウマになってしまわれた方も出たため、あえてイラストにするといった配慮をすることもあります。


 今回のように、とにかく血が苦手な6番さんのために、絵が得意な稲美さんが業務時間外にわざわざ描いてくださったそうで、同じものは他の全員にも配布されました。



「凄い上手ですね!」


「いつ描かれたんですか?」


「いつも、終電ギリギリまで残業されてるんでしたよね?」


「帰りの新幹線の中で。その時間だけは暇ですし、イラスト描くの好きなので、リフレッシュ出来るんですよね」



 最終の新幹線の中で、若い女性が嬉々として凄惨な傷のイラストを描いているシチュエーション。



「でも、隣の席の人に、びっくりされませんでした?」


「大丈夫です。私、全然気にしないので」


「あ、そうですか…」「それなら…」



 穏やかな笑顔でそう答えた稲美さん。ある意味、最強メンタルの持ち主だと思いました。




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