50話 案件:A子 1

 最初に手掛けたのは、三人の被害者のうちのAさんの案件。配布された資料には、時系列を追って、実際にあった事実だけが簡潔に纏められています。


 私たちが議論するのは、真っ向から対立するAさんと納刀被告の証言に関して、どちらの言っていることがより整合性があるのか、ということです。



「まず、Aさんの案件に関して、検察側は、


『一人目の被害者A子さん(当時17歳・高校生)。彼女の自宅前で声を掛け、自宅に押し入り暴行し、そのまま車で連れ去り、数日間監禁し怪我をさせた後、コンビニの駐車場に放置。罪名及び罰条『強制性交等致傷』刑法第181条第2項、『未成年者略取及び誘拐』刑法第224条』


と主張をしているわけですが、以前に少しだけこの件について、皆さんとお話した際、大まかなポイントとして、


・最初に声を掛けたのは、納刀被告、Aさん、どちらからか。

・援助交際を持ちかけた可能性。

・連れ去りか、家出か。

・怪我の状況と合意の有無。

・コンビニ駐車場に放置した人物は誰なのか。


といったことが論点になるということで、よろしいですか?」



 新島裁判長さんの説明に、一同異議なしと返答。



「では、最初にふたりが接触した時点、Aさんが学校から帰宅した場面から順を追って行くと、Aさんは被害者本人尋問で、


『学校から帰宅して、自宅の玄関の鍵を開けて中に入ろうとしたとき…、後ろから声を掛けられて…、振り向いた途端に家の中に押し込まれました…』


と証言していますが、それに対して納刀被告は弁護人側の被告人質問で、


『私が彼女と出会ったのは、そう、彼女の自宅の前だったと思います。その際、彼女のほうからにこにこしながら近づいて来て、私に援助交際を持ちかけてきたんです』


『袖口をツンツンと引っ張られたので、何かと思って振り向くと、天使みたいな可愛い笑顔で、『援交しませんか?』って誘われたんです』


と。それに対し、弁護人側から、


『児童買春は犯罪ですよ? あなたは拒否しなかったんですか?』


という質問に対して、


『無理ですよ、そんなの。いくら犯罪だと分かってても、あんな可愛い顔で、腕を絡めて見上げるようにして誘われたら、男ならそりゃ誰だって応じてしまいますよ。私も、気が付いたら家の中にいたという感じでしたから』


と証言しています。これについて、如何でしょう?」



 一番に手を上げたのは、裁判員1番(女子大生)さんでした。



「前にも言ったと思うんですけど、もし、自分が援交をするとしても、まず自宅とか学校とか、自分の生活圏内ではしないと思います」


「私も同意見です。知り合いに見られるリスクが高いですよね」



 補充裁判員2番(育休中ママ)さんも続きます。


 それに対し、裁判員4番(銀行員)さんが質問。



「でも、昼間の閑静な住宅街なら、人通りもまばらで、むしろ人目につかないということはないですかね?」


「逆だと思います。一見、誰もいないように見えても、じつは自宅の中や敷地内から外の様子を見ている人は、意外に多いものなんです。特に静かな住宅街だと、話し声は良く聞こえますから」


「現場を目撃したとして、それを誰かに喋りますかね?」


「はい。中には週刊誌の記者さんですか、というくらい、ゴシップネタ大好きな情報通の方が」



 そう答えた私に賛同したのは、裁判員5番(中央市場仲卸)さんと補充裁判員1番(車ディーラー)さん、そして裁判員3番(元大学教授)さんでした。



「分かります! うちの近所にも、そういう感じのオバチャンがいますんで」


「自分も親から、昔よく『ご近所の目があるんだから』って言われてました。たまに何かすると、親にチクられたこともあって、あの人たち、マジヤバイなって思ったんすよね」


「うちの家内の友達にもいましたな~。とにかく噂話が大好きで、情報を収集しては拡散するのに余念がないご婦人方が」



 そう、コミュニティーのあるところ、必ず一人や二人『ネホリーナ』や『スピーカー』と呼ばれる人種がいるため、男性、女性、年齢問わず、自宅へ見ず知らずの異性を引き入れる行為は、相当難易度が高いということで意見が一致。



「状況から見て、Aさんの証言のほうが、より整合性が高いことは分かりました。ただ、ふたりの証言に関して、Aさんの証言は非常にシンプルなのに対し、納刀被告の証言はもの凄く具体的というか、臨場感溢れるというか、このあたりに関しては如何でしょう?」



 新島裁判長さんの提言に対し、裁判員2番(女将)さんが尋ねました。



「その前に、Aさんというのは、普段どういったお嬢さんだったのかしら?」


「そうですね、Aさんの周囲から聞いた話として、とても大人しい性格で、17歳という年齢のわりには幼いところがあり、これまで異性との交際経験もなく、お友達も女の子ばかりで、家族仲も大変良かったそうです」



 熊野さんの説明に、ビデオ録画ではありましたが、実際に法廷で見たAさんや、傍聴席にいた彼女のご両親の姿からも、その様子は伝わっていました。


 一方で、納刀被告のほうはというと、法廷での言動からも、かなり常軌を逸しており、あまりの饒舌ぶりに話に引き込まれてしまい、本当かのように錯覚させられるのですが、後で冷静になって振り返ると、つじつまが合わない部分があるなど。



「確か、納刀被告のお母様が上申書で、昔からコミュニケーションが苦手、みたいなことを書かれていましたよね?」


「ああ、この部分ですね。


『息子は、幼い頃から他人様との交流が下手で、本人の一方的な思い込みや言葉足らずな部分から、何かと誤解を受けることも多々ございました』


 と」



 私の問いかけに、即座に資料を読み上げた熊野さん。



「それです。他人との交流が下手と聞くと、口数が少ないような印象を受けるんですけど、実際はその逆で、嘘や妄想を多発する子供だったと考えると、腑に落ちる気がするんですよね」


「ああっ! いました、そういう子!」



 そう叫んだのは、裁判員1番(女子大生)さん。



「普通に話してるんですけど、後になって嘘だってバレるんですよ。一回くらいなら、ちょっと話を盛ったのかなって思うくらいだけど、しょっちゅうそんなことしてるから、その子の言うことは誰も信じなくなって、虚言癖がある子っていうレッテル貼られてましたね」


「そうそう! そういう方、お店のお客様にもいらっしゃったわ」



 裁判員2番(女将)さんも同意。



「まあ、客商売なので、あまり追及したりはせずに、こちらはただお聞きしているんですけどね、前に聞いたこととまったく話が変わっていたりして。1番さんが言ったように、ご本人の見栄のようなものから来ているのかしら、って思うようにしているのよね」


「そういう人って、妙にリアルに話したりしません? 嘘なのに」


「そうなのよ~。嘘だとは思えないくらい、饒舌に」



 おふたりの具体的な実例に、やはり似た経験をした人も多く、皆さん納得されたご様子。



「それでは、一つ目の論点『最初に声を掛けたのは、納刀被告、Aさん、どちらからか』につて、一度多数決を取ってみましょうか?」



 新島裁判長さんの提案で、挙手による多数決が行われました。結果は、全員一致でAさんの証言のほうが、整合性があるということで合意。


 一応、反論する立場の裁判員4番(銀行員)さんの意見として、



「納刀被告自身、虚言癖のようなものがあるんだろうな、と推察はするんですが、今回も嘘をついていたと断言するまでは行かないのかな、と。ただ、より信ぴょう性が高いと感じるのは、やはりAさんのほうだと思えるんですよね。この場合、Aさんに投票して、問題ないんでしょうか?」



 その疑問は、私はじめ、他の皆さんにもありました。確かに、絶対に納刀被告が嘘をついたという確証はなく、このまま彼の証言を否定して良いものなのかと。


 何しろ、一般市民である私たち裁判員にとっては初めてのことですし、ましてこれで誰かの人生を左右するとなると、慎重にならざるを得ないので、そうした疑問をきちんと言葉にしてくれる4番さんに感謝です。



「勿論、大丈夫ですよ」



 そうした私たちの疑問に対し、にっこり笑って解説してくださるお三方。



「さっき、皆さんで事件が起きたときの状況を、ご自身の日常に照らし合わせて、意見を交換して頂きましたよね? 事件は、そうした日常の中で起こっているんですよ」


「どちらが嘘をついてるかは、正直、本人じゃないと分かりませんから、その状況を推察して、どちらの言っていることがより整合性が高いのかを、善良な市民である皆さんの感覚でジャッジして頂くことが、裁判員裁判の本来の目的でもあるんです」


「それに、最終的に有罪か無罪かを決めるのは、これ以外にもたくさんの項目を総合して決定するわけですから、先ずは目の前にある問題点について、シンプルにご自身が感じたままのジャッジでよろしいかと思いますよ」



 つまり、より多くの人が同じように感じたということは、より整合性が高いということで、一応全員が納得したのです。



「では、この論点に関して、『Aさんではなく、納刀被告のほうから声を掛けた』ということでよろしいでしょうか?」


「異議なし」



 ひとまず、全員一致で結論が出ました。


 こうして、大まかな流れが分かった私たちですが、まだスタートラインに立ったばかり。ここから、たくさんの意見交換をしながら、この事件を紐解いて行くのでした。


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