49話 評議・評決について

 相変わらず、穏やかな笑顔で現れた新島裁判長さん。挨拶もそこそこに、私たちの会話に加わりました。



「私ね、常々思うのですが、事件を起こした犯人の親が、マスコミに囲まれて平謝りしているシーンがニュースで流れるじゃないですか」


「よく見ますよね」


「少年犯罪ならまだしも、いい大人の犯罪に、高齢の親がバッシングされるというのも如何なものか、と」



 その言葉に、強く共感した私、裁判員4番(銀行員)さん、裁判員6番(中央市場仲卸)さん。



「わざわざ親にインタビューするって、視聴率稼ぎですかね?」


「ホント、見ていて気分が悪くなりますよね」


「『人間性』っていう部分で、多少は育て方が関係したとしても、40過ぎてれば、ほぼ自己責任の範疇だと思いますけどね」



 それに対し、悲しげな表情で話す、裁判員2番(女将)さんと、裁判員3番(元大学教授)さん。



「でもね、やはり親としては、謝罪せずにはいられないと思うのよね。何歳になっても、自分が産み育てたという事実には変わりはないから」


「私も、いざそうなったら、知らん顔は出来ないでしょうし、それまで築いたすべてを失う覚悟もすると思いますな」



 それぞれに社会的地位があり、立派に子育てを終えられたおふたりの言葉には、相応の重みが感じられるというものです。



「素晴らしい。おふたりとも、ご自身の子育てにしっかりと責任を持って来られたからこそのお考えなのですね」



 照れ笑いを浮かべるおふたりを賞賛する新島裁判長さんでしたが、ふっと小さな溜め息をつき、こうおっしゃったのです。



「ただ、たくさんの事件を見て来た私の経験から、一概に『親』といっても千差万別だと感じるんですよね。子に『無償の愛』を注ぐ親もいれば、幼い我が子を手に掛ける親もいます」


「僕も、そういう事件をニュースで見ると、一つ間違えば、加害者の立場になっていたかも知れないって」


「え!? 4番さんが!?」「いやいやいや、犯罪から一番遠い人じゃないですか!」


「今でこそ、手を煩わされることも減りましたけど、小さい頃なんて、言う事聞かないわ、思い通りに行かないと泣き叫ぶわ、暴れるわ、物を破壊するわ、ここだけの話、何度手が出そうになったことか」


「分かるぅ~~!!」「分かりますともっ!!」



 喰い気味に賛同したのは、今まさにイヤイヤ期真っ只中の育児中である、熊野さんと補充裁判員2番(育休中ママ)さんのおふたり。


 すると、裁判員3番(元大学教授)さんがおっしゃったのです。



「私の時代では、躾で子供に手を上げることは、普通にありましたよ。勿論、子供相手ですから、手加減はしましたけれど、今どきの人からは、考えられないことでしょうな」


「私の父も厳しくて、子供の頃は普通に殴られましたよ」


「信じられない!」「マジっすか!?」



 新島裁判長さんの言葉に、驚きを隠せない裁判員1番(女子大生)さんと補充裁判員1番(車ディーラー)さん。


 表情にこそ出さないものの、司法修習生の4人も含め、暴力は絶対NGという環境で育った世代の彼らからすれば、あり得ない世界なのかも知れません。



「子育ての常識というのは、時代とともに変わりますからね。ただ、どんな時代であっても、子供に限らず、誰もが悲しい思いをしないですむ世界であって欲しいものですよね」


「はい」「そうですね」



 熊野さんが担当した事件の、被告人の母親が身元引受人を拒否した話に端を発した雑談でしたが、この話の内容は、後に納刀被告の親子関係に関して、それぞれが意見を出す際の礎となるのですが、それはまた後ほど。






「それでは改めまして、皆さん、おはようございます」


「おはようございます」


「予定通り、本日から評議に入りますが、具体的な内容は、都度詳しく説明するとして、全体の流れをざっくりと解説しますと…」



 いつも通り、ホワイトボードを使いながら、私たちにも分かるように、丁寧に説明を始めた新島裁判長さん。



「先ずは、被告人が『有罪』か『無罪』かを決めます。無罪ならそこで終了、有罪なら『量刑』を決めます。次に『執行する懲役の年数』から『拘留日数』を何日差し引くかを決めて、最後に被告人が支払う『裁判費用』を決めます」


「えっ!?」「裁判費用って、被告人が払うんですか!?」



 驚く私たちに、熊野さんが分かりやすく説明。



「有罪判決が出た場合、裁判に掛かった費用は、原則被告人に請求出来るんですよ。裁判の日数にもよりますけど、例えば国選弁護人一人当たり、ざっくり100万円くらいと計算して、今回は3人の弁護人が付いたので300万円、その他諸経費を合わせると、結構な金額になるんですよね」


「うわ~~」「高っか~」


「それを払ったら、刑務所に入らなくていいんっすか?」


「いえいえ、それは『保釈金』といって、まったく別のものですよ」


「それはいつ払うんですか?」


「そもそもお金がなかったら、支払うこと自体無理よね?」


「刑務所で働いた賃金が当てられるとか?」


「本人が無理なら、家族に請求が来るのかな?」



 一気に『裁判費用』の行方で盛り上がる私たち。



「いえ、家族に請求されることはありません。あくまで、罪を犯した本人に対する裁判費用ですから」



 その説明に、少しホッとしたものの、



「あと、刑務所での労働賃金で支払うのは、無理だと思いますよ」


「どうしてですか?」


「囚人の時給って、数円~数十円なんですよ」


「ええええっっ!?」「安っ!!!」



 一般的な企業に比べて、安いだろうとは想像しましたが、まさかそこまでの落差があったとは、驚きを超えて驚愕です。



「本人に支払い能力がない場合、経済状況やその他様々な理由などを考慮して、免除するかを判断します」


「最終的に、費用は誰が負担することに?」


「国民の皆さんが支払った税金で賄われることになります」



 犯罪者にも人権があり、公正な裁判を行うためには、弁護人を付けなければならないことは理解出来ますし、何より冤罪を産まないためには、必要不可欠だということも分かります。


 が、原資が『税金』と聞くと、それを『犯罪』という身勝手極まりない行為をした人に使われることに対して、どうしてもモヤモヤしてしまう気持ちは拭えません。



「ただし、これは『国選弁護人』の場合なので、『私選弁護人』を選任した場合の費用は、当然ながら自己負担ということになりますので」


「…ですよね~」「あははは…」



 そうしたことをすべて知った上で、万が一犯罪に手を染めようとした時、何らかの抑止力にはなりそうな気がしないでもありませんが。



「ちょっと脱線しましたが、評議で議論を尽くした後、『評決』すなわち罪に対する刑を決定するわけですが、意見の全員一致が得られない場合、多数決によって決めることになります。但し、…」



 ホワイトボードにペンを走らせながら、新島裁判長さんはさらに続けます。



「基本的には、裁判官も裁判員も平等に1票の権利を持っていますが、被告人に不利な判断をする場合、多数意見の中に、最低でも裁判官一人以上が賛成していることが必須となります」



 つまり、裁判員6名全員が『有罪』に投票しても、裁判官3人全員が『無罪』に投票すると、有罪と決定することは出来ないということ。


 いくら裁判員裁判制度が一般市民の感覚を重視するために取り入れたものだとしても、私たちは裁判についてほとんど何も知らない素人です。


 被告人の人生や生命(死刑判決の場合)を決定するには、あまりにも責任が重いものですから、やはりそこはプロである裁判官の判断が必要不可欠であることは言うまでもありません。



「裁判官と裁判員で意見が分かれた場合、評決はどうなるんですか?」



 裁判員1番(女子大生)さんの質問に、お三方が答えます。



「なぜ自分がそう思ったのか、皆さんで納得行くまで、話し合いを重ねます」


「必要に応じて、さらに掘り下げて検証する必要も出てくるかも知れませんしね」


「採決は一回きりではありませんし、他の方の意見を参考にして、途中で変えてもOKですので」



 そう言いながら、稲美さんが手に持った3色の付箋を広げて見せました。


 さらに、ホワイトボードに『推定無罪の原則』と書いた新島裁判長さん。



「以前にも申し上げた通り、被告人は、刑事裁判で有罪が確定するまでは『罪を犯していない人』として扱わなければなりません。そして…」



 その下に『疑わしきは被告人の利益に』と記載。



「刑事裁判では、検察官が被告人の犯罪を証明しなければ、有罪とすることが出来ません。一つ一つの事実について、証拠によって『あった』とも『なかった』とも確信出来ない場合、被告人に有利な方向で決定しなければなりませんが、では、それをどういう基準で判断するかといいますと…」



 続いて『合理的な疑問を残さない程度』と綴り、



「法廷で見聞きした証拠にもとづいて、皆さんの常識に照らし、少しでも疑問が残るときは有罪とすることは出来ませんが、通常の人なら誰でも間違いないと考えられる場合に、初めて『犯罪の証明があった』ということになるんですよね」



 さらに『人を裁く』と書いた文字に、大きくバツを付け、



「裁判というのは、人が人を裁くのではなく、検察官が提出した証拠が『合理的な疑問を残さない程度』かどうかを判断するもので、証拠にもとづき、皆さんの常識に照らして考えたとき、検察官の言い分に何の疑問もなく確信できるかというのが、裁判の基準なんですが…」



 そこまで言うと、ペンを置き、にっこり笑っておっしゃいました。



「まあ、一度にいろいろ言っても、頭が混乱してしまうかも知れませんので、とりあえず始めましょうか。それでは、宜しくお願い致します」


「よろしくお願い致します」



 室内の空気がピリッとしました。



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