第三章 評議・評決

48話 評議一日目(8日目)

 金曜日から日曜日までの3日間のお休みを挟んで、月曜日に登庁した私たち。


 これまでの公判と違い、今日からは事件についての評議を行うため、ランチタイムを除いて、この第6評議室の中だけで過ごすことになります。



「おはようございます~」


「おはよう」「おざ~す!」



 法廷には出ないので、本日はTシャツにパンツというカジュアルな恰好で登庁した私。


 同様に、裁判員1番(女子大生)さんと補充裁判員2番(育休中ママ)さんもラフなパンツルックで、裁判員2番(女将)さんだけはワンピースでしたが、いつもより幾分カジュアルに決めています。


 裁判所内での服装に関しては、当初の説明で、法廷を侮辱するようなものや、極端に派手な色やデザインだったり、ノースリーブに短パンのような露出度の高いものでなければ、普段着でOKということでしたが、男性裁判官のおふたりを含め、男性陣はもっぱらビジネススタイルが主流。


 対して、女性裁判官の稲美さんは、日によってまちまちですが、公判のある日でも、わりと派手な色柄のブラウスにミニ丈のスカートというチョイスも多々あり。ご本人曰く、『法服を着てしまえば襟元しか見えないし、足元も法壇に隠れるので、全然大丈夫』なのだそうです。


 そういえば先日、雨で濡れた熊野さんが、売店で購入したクマさんの柄のTシャツに着替えて、法廷に出ていました。傍聴席の方々は、まさか裁判官がそんな恰好で法壇に座っていたとは、思ってもいなかったでしょう。



「おはようございます…」



 そんなことを考えていると、何だか疲れた表情で自分の席に着いた熊野さん。今日からは公判がないので、いつもは一緒に評議室に来られるお二方とは、別行動となっているようです。



「おはようございます」


「どうされました?」「何だかお疲れのようですね?」


「もうね、聞いてくださいよ。金曜日に担当した刑事事件の公判で、じゃあもうどうしろっていうんだ、っていう…!」



 いつになくエキサイトした様子で話し始めた熊野さんに、興味津々で聞き入る私たち。それは、ご自身が担当している、金曜日に行われた法廷での出来事だったそうで。






 裁判官になって7年目の熊野さん。彼のような、任官して10年未満の裁判官を『判事補』といいます。


 本来、裁判長として裁判を執り行えるのは、キャリアが10年以上で、最高裁から任命された裁判官=判事なのですが、熊野さんのように、キャリアが5年以上の判事補で、最高裁の使命を受けると『特例判事補』となり、単独で審議が出来るようになるのだそうです。


 今現在、私たちが担当する裁判員裁判の他にも、複数の裁判を抱えていて、それら担当する膨大な事案を、日々同時進行でこなしている状態なのだといいます。


 とはいえ、まだ半人前である特命判事補が担当するのは、比較的軽い犯罪が多く、その金曜日の裁判というのも、自身が起こした窃盗事件について、本人も認めており、反省の態度を示していることから、執行猶予が付くかどうかという事案でした。


 20代の被告人男性の身元引受人及び情状証人として、証言台に立った50代の母親でしたが、



「お母さんにお尋ねします。息子さんに執行猶予が付いた場合、身元引受人として、お母さんがしっかり監督して頂けますか?」


「・・・」



 熊野裁判長さんの問いかけに、なぜか返事をしない母親。



「どうされました? 質問の意味が分かりませんか?」



 そう言って、手元の資料に目を遣った熊野さん。


 一見して日本人に見えても、じつは外国人で言葉がきちんと理解出来ないケースや、物理的に耳が聞こえない(聞こえにくい)人といったような情報は見当たらず。


 また、中には緊張のあまり、固まってしまう人もいるのですが、むしろ彼女からは、何か言いたいことがありそうな様子が伝わって来たため、



「もし、何かおっしゃりたいことがあれば、ここで発言して頂いて構いませんが?」



 熊野さんの言葉に、彼女は小さく深呼吸をすると、はっきりした口調で言ったのです。



「無理です! 私、身元引受人なんて、出来ません!」



 一瞬にして、騒然とする法廷内。中でも一番驚いたのは、息子である被告人本人と、その弁護人だったに違いありません。



「静粛に! では、お母さんにお尋ねしますが、なぜ息子さんの身元引受が無理だとお考えなのでしょう?」


「だって、この子を育てたのは、この私なんですよ? この子がどんな人間か、私が一番良く知ってるんです! 大体、まともに育ってたら、こんな大それたこと仕出かすような人間にならなかったはず! まだ小さな子供なら、やり直しも利くかも知れないですけど、今更こっちに返却されたところで、親の言うことなんか聞くわけないですし、更生するはずがないでしょ!」



 肩で息をしながら、思いの丈を一気に捲し立てる母親に対し、間髪入れずに発したのは、被告人席に座っていた息子でした。



「…ってめ~、親なら、普通はそこで『私が責任もってやります』とか、嘘でも言うんじゃねえのか!」


「ほーら! 裁判長さんも皆さんも、聞いたでしょ!? これがこの子の本性なんです! 私の手に負えるような代物じゃないから!」


「うっせーっ! このババアがっ!!」



 そう叫び、証言台の母親に向かって掴み掛かろうとした被告人でしたが、両脇に座っていた刑務官に腕を掴まれ、着席させられる始末。



「静粛に! 被告人は、許可なく勝手に発言しない! 証人! お母さん、あなたも落ち着いて下さい! 弁護人! 暫時、休廷しますか?」


「はい、裁判長! しかるべく…」


「私は冷静だから! このまま続けて! 今言わなきゃ言えないから!」


「だいたい、こうなったのも、てめえの育て方が悪かったからだろうがよっ!」


「出た! 責任転嫁!」


「はあ~っ!? ぁんだとぉ~!?」


「もう無理! 絶対無理! 無理無理無理!」


「いい加減にしなさい! 一旦、休廷します!」



 カオス状態に陥った法廷から、強制的に、別々の部屋へと連れて行かれた母子。







「…で、その後どうなったんですか?」


「続きが気になるぅ~」



 興味津々で聞き入っていた私たち。



「皆さん、今、傍聴マニアの気持ちが分かる、って思ったでしょ?」


「あ、ヤバっ!」「バレてました!?」



 疲れ切った表情の熊野さんにそう突っ込まれてしまい。


 熊野さん曰く、ほとんどの裁判が真面目に粛々と執り行われる一方で、たまにそうしたイレギュラーな裁判があり、一部の傍聴マニアの方々にとっては、まさに『神回』といったものなのでしょう。


 ふと、この裁判所ではカリスマ的な傍聴マニアである『マダムローズ』さんが頭を過った瞬間、



「5番さん、今、マダムローズのこと考えましたね?」


「うっ…! なぜそれを!?」


「え? そうなの?」「熊野さんて、特殊能力の持ち主っすか?」



 肯定も否定もせず、さっきまでの疲れた顔が一転、悪戯っぽい笑顔で話す熊野さん。



「それがね、いたんですよ、マダムローズ!」


「うそ!」「マジで?」


「ああいうカリスマ的な人というのは、本能的か、あるいはもの凄く研ぎ澄まされた嗅覚で、神回が分かるんですかね?」


「あるいは、彼女自身が、法廷を荒れさせる何かを持ってるとか?」


「裁判官の私が、軽々なことは言えないんですけど、ホントにそのどちらかなんじゃないかと思うくらい、彼女の出現率が高いんですよね。これはもう、この裁判所の七不思議の一つに数えられているくらいです」


「単純に経験値から来るもの、とかでは?」


「だとしたら、もの凄い才能だと思いますよ。私個人的にアドバイザー契約したいくらい」



 確かに、スムーズに裁判を進めるために、契約したい裁判官が殺到すると思います。



「で、話は戻りますけど、その裁判の母子はどうなったんですか?」


「結局、母親は、身元引受人はしたくないの一点張りで、情状証人のはずが、むしろ息子の悪い人間性を暴露することになってしまって、弁護人側も立場がないという感じだったんですよ」


「そうなると、判決に影響があるんですか?」


「執行猶予を付けるには、身元引受人の存在は重要ですから、厳しいですね」


「ましてや、実の母親からそこまで拒否されてるとなると、ねえ~」


「執行猶予が付くのと付かないのとで、そんなに差があるんっすか?」



 補充裁判員1番(車ディーラー)さんの問いかけに、深く頷いて答える熊野さん。



「実刑で刑務所に収監されてしまうと、その間、社会との関係を分断しますから、仕事や家族を失うなどして、釈放後の社会復帰をより困難にしてしまう可能性があるんですよね」


「でも、実の母親なら、最後まで自分の子供に愛情と責任を持つもんじゃないんっすかね?」


「それは、それぞれの母子関係によって、千差万別じゃないでしょうか」



 そう答えたのは、新島裁判長さんでした。




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