46話 被告人 最終意見陳述

「以上で、審理は終了です」



 新島裁判長さんの言葉に、着席したまま、法廷内にいた全員が軽く頭を下げました。


 先ほど同様、法廷内の雰囲気が落ち着かないことから、引き続き予定されている被告人の最終意見陳述の前に、ふたたび20分間の休憩を挟むことに。


 私たちは、評議室に戻っている間の僅かな時間を利用して、先ほどの弁護人の最終弁論のおさらいと、疑問に感じたことについての質問タイム。



「全部無罪を主張するのかと思ったんですけど、カーチェイスや無免許運転は認めるんですね?」


「動かぬ事実については、争う意味がありませんからね」


「弁護人側としては、あえて認めるべきところは認め、反省の態度を示すことで、被告人の印象アップを狙ったんでしょうね」



 裁判員1番(女子大生)さんの質問に、そう答えた熊野さんと稲美さん。



「もう一つ、注目すべき部分として、被害者が怪我をしているということなんですよね。これは、Bさんのケースが分かりやすいんですけれど…」



 Bさんの場合、車から逃げる際に斜面で足を踏み外し、その結果、全身に酷い裂傷を負ったわけですが、強姦があった場合、その怪我は強姦に起因する一連の事象とみなされ、『強制性行等罪』よりさらに罪の重い『~致死傷罪』が適用されることに。


 逆に、強姦がなかった(認められない)場合、Bさんの怪我はあくまで彼女の過失であり、被告人には全く責任がないとなるため、判決に雲泥の差が生じます。



「強制性行等致死傷罪は最高刑が無期懲役ですから、弁護人側も、ここだけは絶対に譲れない部分なんですよね」


「確かに!」「無期と無罪じゃねぇ~!」


「それともう一つ。注目するべきは、弁護人側の最終弁論に、女性の関川弁護士を起用したことですね」



 お二方に続き、新島裁判長さんからもこんなお話が。



「弁護人は、被告人の権利や利益を守る役割を担っていますから、強姦されたとする被害者の主張に対して、真っ向から反論しなければならないわけです。

 別に性差別するつもりではありませんが、男性弁護士から、被害女性の人格を貶めるような内容を声高に語られたとしたら、どう感じられますか?」



 裁判の仕組みや、裁判員という立場上、致仕方ないことと理解してはいても、一般人である私たちが法廷という公の場所で、生々しい性的暴行の様子を詳らかに聞かなければならないというのは、なかなか重いものがあるのは事実。


 いかに理論の応酬とはいえ、先ほどのように、加害者を弁護する立場の人間からの、被害女性に対する『小遣い稼ぎ』や『ストレス解消』『火遊び』といった発言には、人として胸が痛みます。


 被告人の無罪を主張するためには、どうしても必要な表現なのだとしても、被害者の主張に感情移入している状況下では、少なからず不快感を覚えたり、下手をすれば大きな反感を買う危険をも伴いかねません。



「理屈じゃなくて、感情的な部分で抵抗がある、というのが正直な感想ですかね」


「それだけで私、その方のことを嫌いになりそうだわ~」


「自分も、『はい、論破!』じゃねーよ! って思うっす」


「それそれ~!」「分かる~!」



 口々に『感情』の部分に言及する私たちを、にこやかに見詰めながら、



「今回、その一番厄介で、デリケートな部分を担ったのが、穏やかな話し方と、ほんわかした雰囲気を持つ癒し系女性弁護士の、関川さんだったということです」



 確かに裁判長さんがおっしゃる通り、彼女の最終弁論を聞いていても、それほど不快感や反感を抱かなかったのも事実。


 逆に、裁判全体の雰囲気が被告人寄りに傾いていたのであれば、理詰めで力強く語る男性弁護士を起用していたのかもと考えると、弁護側の臨機応変で緻密な計算を感じます。


 それを受け、納刀被告が何を話すのか、いよいよ被告人の最終意見陳述が始まりました。





「それでは、被告人の最終意見陳述を始めます。被告人は証言台の前に立ってください」



 新島裁判長さんに促され、いつものように覇気のない表情で証言台に進んだ納刀被告。


 初めてこの法廷で彼を見たときの第一印象は、『小柄で大人しそうな中年男』といった感じで、想像していた『厳つい風体の悪人顔』のイメージとのギャップに驚いたものです。


 初公判では、半分も埋まっていなかった空席だらけの傍聴席も、ここ数日は満席の日が続いていました。



「被告人、最後に何か話しておきたいことはありますか?」


「はい、あります! まず、最初に申し上げたいことは、私は無罪だということです!」



 口を開いた途端、先ほどまでの気怠そうな様子から一転、水を得た魚の如く、つらつらと言葉を紡ぎ始める二面性にも、もう驚くこともなくなりました。


 『まず、最初に』と口火を切った通り、次から次へと自身の主張を繰り出す納刀被告。そのほとんどが、独自の理論で自らの正当性をアピールするものばかり。


 というのも、彼がこの法廷で話したのは、裁判冒頭での『人定質問』と、証拠調べにおける『被告人質問』のときのみ。その際には、裁判官や裁判員、検察官、弁護人からの質問に答えるだけで、自発的に発言することは出来ませんでした。


 ですが、この『最終意見陳述』では、反対尋問も『異議あり』もなく、基本的に何を話しても自由なので、被告人にとって、誰にも邪魔されることなく、思う存分、自分の意見を主張することが許される、最初で最後のチャンスなのです。




 最終意見陳述の際、実刑か執行猶予かで悩むような場面では、どれほど被告人が真摯に反省しているかという陳述内容によって、判決が左右されることもあり。


 逆に、無罪を主張している場合、余計なことを喋ってしまったばかりに墓穴を掘るという危険もあるため、なるべく簡潔に済ませたほうが無難でもあり。




 そのため、被告人の多くは『無罪を主張します』など、一言二言話す程度で、情状酌量を訴える場合でも、数分くらいで完結させることがほとんどなのだそうです。



 が・・・。



 三人の被害者との遣り取りを、そのときの状況や感情を交えながら、臨場感たっぷりに話し続ける納刀被告。


 それらは、被告人質問の際にすでに聞いている内容とほぼ変わりませんでしたが、話を聞いているうちにどんどん引き込まれて行くのです。


 何より恐るべきは、いつしか彼の言っている事が本当なのではと錯覚を起こすほど口が達者で、もうそれは一種の特殊能力といえるレベル。


 そうして、納刀被告が話し始めてから、かれこれ20分ほどが経過した頃でした。



「…ですよ。それで私はですね~」


「被告人! 発言の途中ですが、あなたの陳述はまだ続きますか?」



 延々と話し続ける納刀被告を、半ば強制的に遮り、そう尋ねた新島裁判長さん。


 20分も独壇場で言いたい放題の被告人も異例なら、それを中断する裁判長の発言も異例でしたが、いくら最終意見陳述が被告人のために設けられた『自由に意見を主張出来る場所』だとはいえ、限度というものがあります。



「これまでのあなたの発言を聞く限り、すでに被告人質問の中で、あなたが答えた内容と何ら変わりません。以後の発言も同様であれば、これ以上続けることは慎むように。それ以外に発言することがあれば、続けてください」



 裁判長さんの忠告に、即答できずに口篭る納刀被告。思わず、助けを求めて目を遣った弁護人席からも、空気を読むように目配せされる始末。


 すると、しんみりとした口調で、こう言ったのです。



「被害を訴えている3人の女性に対して、唯一、申し訳ないと思っていることがあります」



 思わぬ言葉に、息を呑む法廷内の雰囲気に気を良くしたのか、ふたたび弾みの付いた口調で続ける納刀被告。



「それは、裁判とはいえ、たくさんの人たちの前で、彼女たちとの秘め事を公にしなければならなかったことです。じゃなければ、彼女たちにこんな辛い思いをさせなくて済んだのに…」



 一瞬、罪を認めるのかと思いきや、そういうことかと思いつつ、続きに耳を傾けました。



「これまでにも、同様の誤解を受けたことがありましたが、これまでも、そして今回も、私は常に女性に対して真摯に対応して来ましたし、すべては自分なりの愛情表現であり、相手も同意していたと確信しています」



 あくまで受け取り方の相違だったのだ、と。そして、



「もし、あの現場を第三者に見て頂くことが出来たら、きっと一目瞭然で私が言っていることが真実だと理解してもらえると、自信を持って言えます」



 何とも突拍子のない発言。録画された映像でもあれば別ですが、もしそれが可能なら、どれほどの密室事件が解明されることか。



「本当に、どうしてこんなことになってしまったのか…。女心は、難しいですね」



 最後に、自分に言い聞かせるようにそう呟くと、法壇に向かって、深く頭を下げた納刀被告。


 それが計算しつくした演出なのか、それとも本心からの言葉なのかは不明ですが、10秒ほどして、おもむろに頭を上げた際、ほんの一瞬、僅かに右唇が上がったのが分かりました。



「被告人は、席に戻ってください」



 新島裁判長さんに促され、被告人席に戻る姿を目で追いながら、彼が最後に発した言葉が、頭の中でリフレインしていたのです。


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